アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

どんな自分も本当の自分だと思いますか??
ならアイデンティティっていらなくないでしょうか??
それとは意味が違うのでしょうか??

A 回答 (4件)

どんな自分も本当の自分だと思いますか??


 ↑
どんな自分も本当の自分の一部です。
色々な自分が集まって本当の自分になるのです。



ならアイデンティティっていらなくないでしょうか??
  ↑
だから必要です。



それとは意味が違うのでしょうか??
 ↑
ハイ、意味が違います。
    • good
    • 0

アイデンティティについて調べてみました。



自己同一性という心理学の概念であり、国語の表現などで文学的に用いられるようになったようです。

病理的な障害に対する言及であり、割と深刻な話です。

哲学的な話じゃないようですよ。


自己同一性は、エリクソンと言う人が提唱したもので、

青年期に人が獲得する成長課題であり、精神の発達課題の一つだということです。

獲得できないと様々な病理的な問題の原因になるようです。

「これが正常に獲得されないと、自分のやるべき事が分からないまま日々を過ごしたり、
 逆に熱狂的なイデオロギーに傾いてしまうと考えられている。」(wiki)

だそうです。

アイデンティティの獲得(精神の発達課題)に失敗すると、

精神病の病巣を内包して人生を歩むことになります。


獲得の失敗により、

「自分が何者なのか、何をしたいのかわからない」という同一性拡散の危機に陥ると、

対人不安や自己否定(非行)、選択の回避(後回し、逃避ですね)、麻痺・アパシー

(感情がわかなくなるうつ病の様な状態)になるそうです。

また、さまざまは精神病や神経症を発症し、

これと重なって、重度に悪化する原因にもなると考えられています。

エリクソンと言う人は生涯を通して苦しんだそうで(インポテンツ、その他)、

その原因となるものを研究し、

精神の発達課題として概念化(おおよその検討をつけた)したということです。

つまり、奇行に走ったり、素行が悪くなったり、精神を病んで医者に掛かかる人の殆どは、

アイデンティティの獲得に失敗しているわけです。


「私は大丈夫なのかな?」


と思う人がいるはずです。

発達障害であるか否かの識別の大きな要素として、「忠誠性」が挙げられています。

発達障害もしくは一時的な不全があると、

社会的な活動や大人のコミュニティに対して「忠ずる姿勢」を伴わないそうです。

そういった言動や姿勢をもって、判別されるという事です。

「働いたら負けだと思う。」

「おれは社畜になんてならないぞ。あいつらは社畜だ。」

「こんな社会に生きてやるもんか。俺は俺の好きな世界で生きてやる。」

「俺は俺の考えで協力しないだけだ。これが俺のアイデンティティだ。」

「もうどうでもいいよ。何が面白いのか分からない。すきにすれば・・・」

等など、これらはアイデンティティの未獲得による症状です。

この後、重度の精神障害に発展していく可能性が高く、軽視できるものではありません。

この負のループに陥るのは青年期だけではなく、人生において何度かあるそうです。

つまり、アイデンティティの未獲得、または崩壊と言うのは、

文学で表現されるような曖昧なものではなく、

病理的な症状を引き起こす深刻な状態のようです。

小説や創作がアイデンティティと言う言葉を多用するのは、

登場人物が犯罪や自滅に走る説得材料として利用しているというだけのようです。


これらは(精神病に発展する発達障害ですから)、

今に始まったことではなく、古代からあったようです。

古代日本には現代の心療内科や精神病院に相当する機関が無く、

社会の仕組みとして不安定であったと思います。

そこで、精神面のケアで先進的であった中国を経由して、

儒教(中国)、仏教(インド)などを輸入し導入したわけです。

こうした方策が無かった国は滅亡(自滅)しています。

精神病と言われるものの定義が、自滅を誘う心の働きです。

自滅に結び付く選択をする性質が人間にはあり、

そういった本能の働きを抑える事がとても大事なんです。


さきほど識別のために「忠誠性」があると述べました。

儒教に五常(仁義礼智信)と三綱(君臣・父子・夫婦間の道徳)とあわせた「三綱五常」があります。

忠誠性は、三綱にあたる部分であり、五常により健全に精神が守られていると発露する部分です。

それ自体が善行であるというのではなく、健康であるという証拠なんです。

その目的は自己実現状態に至ることです。

仕事や余暇に自らの意思で(自然に)自分の楽しみを見つけ、

状況(他人や環境の変化)に左右されず、何があったとしても楽しくなってしまう状態。

つまり人生そのものを楽しむ能力の獲得を目指しています。


全てには原因と結果の関係があります。

道徳的でない行動、言動に現れる反社会的思想は、病理的な状態の発露でしかありません。

これを持って是非を唱えるのではなく、常態を判別してケアをするのが正しいでしょう。

明らかに異常として分かりやすいもの以外に、初期症状として判別できるものがあります。

これが「忠誠性」の有無です。

要因として発達障害が考えられ、

その大きなものとして幼少期の発達障害、青年期の発達障害があります。

後者に対してアイデンティティの獲得課題が大きくかかわっているという事のようです。

つまりは、今の状態でどうこういっても仕方なく、

健康を損なっていると考えるのが正しいようです。


就職の面接などで確認されるほとんどが「忠誠性」です。

(本当に忠誠を強要する会社があったら労基署に罰せられます)

発達上で問題がある方は激しい抵抗感を感じてごまかせません。

「なにそれ? 奴隷になれってこと? そういう奴らがいるから! この社畜め!」

と激情を伴って自分を抑えられなかったり、自分には合わないと感じて意欲が減退します。

健康な人はやる気が出てくるんです。

このように反応が真逆なので簡単にわかる(面接可能)という事です。


ではアイデンティティは何か?

自分と他者を区別する拠り所、理由だそうです。

これが前向きであればやる気が出てきます。

後ろ向きであれば、それはアイデンティティと呼ばず、病気の症状と捉えます。

つまり獲得中なのではなく、獲得できなかったため悪化中であるという事。

また、「自分と他者をわける前向きな理由」が事実でなければ矛盾が生じます。

つまりアイデンティティの崩壊を容易く引き起こし、その衝撃で前より状態が悪くなるわけです。

自分を偽る(嘘をついて自分を元気づける)ことが良くないと言われているのは、

挫折の頻度が上がり、危険な状態が続くからです。


エリクソンの場合を考えますと、

青年期にスムーズにアイデンティティを獲得するためには、家庭環境や教育環境が大事なようです。

例えば、

プロファイリングと呼ばれる犯罪捜査の発想は、犯行の異常性を見出し、発達障害を疑い、

その様な症状で通院した経歴を調べたり、その様な家庭環境の人物を特定するというものだそうです。

逆に言えば加害者も被害者であり、誰かが助けなければ行けなかったんです。


こうした不条理を防ぐためには、ある程度の効率化、役割分担が必要です。

そこで、見出されたのが道徳というものであり、

滅亡の運命を回避し、今日の社会へたどり着いた先進国には、

必ず似たような概念が教本としてあります。

これを使って手分けして教えることで環境改善を行ってきたんです。

しかし現状では罰則を法令化する方法が多くなり、末期的な社会となっています。


以下にwikiで掲載されていた、アイデンティティの獲得段階を記載します。

最後の段階が健康であるという事です。

●Refuser
拒否する者
・成人としての役割スキーマの取入れを阻害する認知を形成する
・子供っぽい行動に固守する
・他人への広範囲な依存性を示し、成人コミュニティとのかかわりに有意義さを感じない
●Drifter
放浪者
・ Refuserよりもさらに多くの心理社会的資源を投じる(例えば理性やカリスマ)など
・ 心理社会的資源の適用に無関心である
・ 成人コミュニティとのかかわりに有意義さを感じず、コミットメント(責任もって判断する)を行わない
●Searcher
探索者
・高度な個人的・社会的期待があるため、不満感を抱いている
・ コミュニティ内の不完全さを軽視する
・ ロールプレイによっていくらかの社会的相互作用を取るが、最終的にこの関係は破棄される
●Guardian
守護者
・ 明確な個人的価値観や態度を持つが、一方で変化を深く恐れている
・ 個人的なアイデンティティの感覚は、社会的アイデンティティ感覚により大部分が摩耗している
・ 極めて厳格な社会的アイデンティティ感覚と、成人コミュニティへの強い識別をもつ
●Resolver
解決者
・ 意識的に自己成長を望む
・ 個人的スキル・能力を受け入れており、それを積極的に活用している
・ 自己成長の機会を提供するコミュニティに敏感である

最後の段階以外の人を良く見かけませんか?

これを性格と位置付けるのは酷い話です。病理として危険な状態であり、必ず苦しんでいます。

価値観が多様化しているのではなく、

成長途上の方々が上位者に守られず、自己責任で放置されているわけです。

誰であっても最後の段階を獲得できるのです。

しかし、途上の段階を肯定されてしまえば迷いますよね。

忠誠性は、五常を段階的に獲得して初めて生まれるものです。

安易に自己を肯定したり否定するのではなく、

もっと先に素晴らしい自分があると信じて、

「まだ時期ではない。」

として焦らずに基本的な事(道徳=五常)を確認することが大事だと思いますよ。


以上、ご参考になれば。
    • good
    • 0

どんな自分も、自分に「無いこともない」とおもいます。



アイデンティティはその根幹にあるのではないでしょうか。

自分の演じるキャラは、
「『かすっている』私」

アイデンティティは、
「ありのまま、どストレートな私」

って感じじゃないですか笑

 アイデンティティあって初めて、また違う自分も生まれると思います。
    • good
    • 1

見せたいアイデンティティと、わざわざ人に履歴書や名刺に書いてまで披露しないアイデンティティもあるけど、「常に自分のアイデンティティ、これが私だ!を模索しているのが私」ってのが今の質問者さんのアイデンティティでは無いですか?どこ生まれ、親は誰、どの学校を出て友達はこう、仕事はこれ、考えはアイデンティティで悩み中、それが私。

みたいな感じです。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございます。
その悩みがアイデンティティって事ならば、それを苦に感じていてもアイデンティティになるのでしょうか?
アイデンティティを守りたいと言う言葉がありますか、そのアイデンティティも守りたいものなのでしょうか?

お礼日時:2019/11/16 07:03

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!