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「5円の物が3個有る何円でしょう?」5*3=15
"How many yen have 3 items of 5 yen?" 3*5=15
つまり、日本語だと5*3=15 が正しいが、英語だと3*5=15が正しいという事だろう?
しかし、数学は使う言語によって正誤が違うものなのか?
これは数学の「普遍性」を否定してないか?普遍性の無い数学が数学と言えるのか?
欧米人は、"How many yen have 3 items of 5 yen?" 5*3=15 と回答した子供にダメよと言ってるのか?むしろ「数学の普遍性をよく理解している」と褒めていないだろうか?
アメリカは移民国家だから、日本から来たばかりの子供は、英語が良く理解できず、英語を日本語に変換してから答えるかもしれない。その結果がダメだと言われたら、英語のテストでは良い点を取れなくても、数学のテストなら良い点をとれると思っていたその生徒はがっかりするだろう。数学は普遍的な学問ではなかったのか?と数学の普遍性に疑問を持つかもしれない。
要するに「数学の何たるか?」の問題だ。数学の本質は普遍性に在ると理解すれば、どちらの回答も正しいでなければならない。どんな言語を使おうが、数学は数学でなければならない。ダメだと言う者は「数学の普遍性」が分かってないのだ。要するに「数学の何たるか」が分かっていないのだ。

質問者からの補足コメント

  • プンプン

    日本の小学校では「5円かける3個=15円」と答えないと処罰されてゼロ点です。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/02/24 22:55
  • >ここでは100を3個たしたから100×3と答えます。これが数学の本質です。


    しかし、英語では「100を3個足す」は"Add three 100" です。つまり3*100です。

    数学の「本質」は欧米と日本では違うのでしょうか?欧米と日本で違うものが「本質」と言えるでしょうか?

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/02/25 00:27
  • へこむわー

    「数学の本質は自由である」ゲオルク・カントール

    日本の小学生のように「型にはまった」数学教育を受けた子供たちは、数学の面白さを理解しないでしょうね。

    「「5円の物が3個有る何円でしょう?」5*」の補足画像3
    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/02/25 02:18

A 回答 (7件)

英語圏では、5の3倍は


3 times 5
ですから
3×5
と書くのが―般的で、しかも逆に書いてもOK。

日本の小学校の順は世界的にみれば少数派。
しかも実社会では 日本でも 個数×単価
と書く方が多い
#経費申請、領収書、納品書、レシート、etc

つまり小学校という村社会の中でのみ通用する
ロ一カルルールです。

残念ながら教えた通りの順でかないと
減点されることが有ります。
私の見た例では、計算結果は○、立式は×で点は半分くらい
というパターンしかみたことないです。
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日本では 5+5+5 という足し算を 5×3 と表すことでかけ算を導入します。

だから 5+5+5 = 5×3 なのですが,だからといって 5×3 の唯一の意味が 5+5+5 とは言えないのに,それを前提としてしまっていますね。

日本では,テストというのは問題を正しく解けるかを試すのではなく教えたことを身に着けたかどうか,ちゃんと教わったことを聞いていたかどうか試すものであり,教えていない方法での回答はこれに適合しないという理由で間違いとされるのです。

算数や数学だけでなく,英語も教わっていない答えではバツ,国語も教わっていない漢字を使ったら減点ということがあるそうです。ひどい話では自分の名前の漢字さえも。

教わったかどうかを採点基準にする方が楽ということもあるでしょうが,根底にあるのは言いつけを守れば評価し,背けば処罰するという精神だと思います。
最近問題になっているブラック校則のように,それ自体の妥当性でなく「決まりだから守れ」という考え方で,この方式での教育により高度成長期には同じように問題を解く均質な労働者の量産に役立ったのでしょう。
学校というものはなかなか自発的に考えを変えませんから,まだまだ古いやり方が踏襲されているようです。

しかしもうそういう時代ではないでしょうね。私は日本と逆の順のかけ算が一般的な国に住んでいて子供も現地方式でかけ算をならったのですが,日本の教育方法にはいい面もあるとはいえこういう硬直的なところには危惧を覚えます。
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「5円の物が3個有る何円でしょう?」5円+5円+5円=15 円


"How many yen have 3 items of 5 yen?" 「5円の3倍は何円?」5円x3=15円
5円x3は5円を3回足しなさいと言う意味で、5円x3=5円+5円+5円=15 円
と日本も外国も同じです。
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>日本の小学生のように「型にはまった」数学教育を受けた子供たちは、数学の面白さを理解しないでしょうね。



私は、中学で数学に出会ったとき、算数から解き放たれた自由を感じたものでしたが。
他の人は違うのかな?
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数学は普遍的な学問ですが、それと違って、


算数は日本固有の習い事です。だから、
教科書に書いてあることや、先生の言うことに
逆らってはだめなんです。
「5円の物が3個なら5×3と書かなければいけない」
と教わったら、そのとおりにしなければ
算数ではマルにならない。それだけのことです。
これは、数学とは何の関係もない話なんです。
茶道のお稽古の席に電気ポットを持ち込んで
お師匠さんに叱られた場合に、そこで
合理性の話をしても意味がないでしょう?
正しいとか正しくないとかじゃなく、
指示に従ったかどうかだけの問題なんですよ。
この回答への補足あり
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言っていることは良く分かります。

3*5でも5*3でも答えは同じなのだから。
ではなぜ日本の子供たちは5*3になるのでしょう。
それは、「単価×個数」という問題を解くための式の作り方をまず教わるからです。
掛け算は足し算です。5円+5円+5円=5円×3個。
この式は長方形の面積の「たて×よこ」に通じてさらに高校で習う積分まで発展させることが出来るからです。
縦軸に単価、横軸に個数をとれば、縦方向の量が横方向分だけ面積が広がっていく。知らず知らずに積分の考え方をしています。
ではなぜ「個数×単価」にしないのか。それはただ単に教え辛いからです。この問題はこういう式をたてる、ではなくこの問題はこういう考え方でこういう式になると教えます。そのとき、個数が単価分あるという絵がかけないんです。小学高学年以上なら絵なんてなくても文章で式をつくれます。そのときは3*5でも5*3でもいいんです。でも、低学年は文章から式にする前に頭の中で文章を漫画にして想像します。実際に絵を書きます。りんごの中に100円と書いた絵を3個書いて全部でいくら?100+100+100だから300、掛け算を使うとどうなる?100×3となります。ここで3×100にしなのは、掛け算は足し算だからです。3を100個たしたら3×100だけど、ここでは100を3個たしたから100×3と答えます。これが数学の本質です。
でも、文字を使うようになると、a+a+a=a×3=a3ではなく3aと答えます。3aは3×aです。これが式の本質をあやふあやにしている原因です。bがa個あります。式はb×aですがbaではなく文字はアルファベット順だからabです。ここまでくると3*5も5*3もどっちでもいいとなります。これが普遍性なのかもしれません。でも本質ではありません。
この回答への補足あり
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通りすがりの高みの見物衆の一人です。


問題点は、数学の「普遍性」に関する内容なのでしょうか。
5*3でも3*5でもいいじゃないですか。

ところで、
5円の物が3個有る・・・>5*3
3 items of 5 yen ・・・>3*5
おなじじゃないの?
この回答への補足あり
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