見学に行くとしたら【天国】と【地獄】どっち?

彼らはどのようにこの時代生活していたのでしょうか??

A 回答 (8件)

 おはようございます。



 江戸時代においては、天皇は政治的実権を奪われ、実際の石高は1万石(のち3万石)程度の経済基盤しか持たなかったようです。
 また禁中並公家諸法度により、その言動も幕府から厳しく制限されていました(学校で習いましたね。)。庶民の尊敬の対象は大名や征夷大将軍に向けられ、天皇や公家は非現実的な雲の上の存在的に敬意が払われる程度であったと考えられてもいいようです。
 しかしながら、公家は実権は失ったものの茶道・俳諧等の文化活動においてその嫡流たる天皇の権威高揚に努め、天皇は改元にあたって元号を決定する最終的権限を持っていたことを初め、将軍や大名の官位も、形式の上では全て天皇から任命されるものであり、権威の源泉として重要な意味を持つ存在でした。
 
 一番象徴的なのは、「赤穂浪士」の事件ですね、この事件は、浅野匠守が、天皇から将軍へのお使いの者をお迎えする役をおおせつかった事が発端で、天皇ではなく天皇のお使いに対しても、これだけの敬意を払っていたと言う事ですね。
 
 なお、一万石(三万石でもいいですが)と言うのは、当時の外様大名(あまり将軍から信頼を得ていなかった、新参者の大名ですね)程度の収入ですから、経済的には恵まれていなかったと言う事ですね。
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水無瀬家ですが、本家以外に同じ家紋の分家が複数あることはご承知ですよね。


維新では子爵になってますが、江戸期は概ね30~50石で推移しており、本家の権大納言に対して一段下がった中納言だったと思います。
(資料を彼女に渡したので確認できずスイマセン)
本家は大阪島本町の水無瀬神宮で、私の友人も結婚の時本家に伺って家系図を見てきたと言う話は聞きました。

http://wolfpac.press.ne.jp/kazoku02.html

一部こちらに載ってますが。
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横ですが98Kin様へ



水無瀬家の極官は正二位、権大納言です。
あと、家領は六百三十石余りです。
他の公家に比べればかなりの高禄です。

後鳥羽院などを祀る水無瀬宮の守護をしていましたし
現在の当主の方も水無瀬神宮の宮司をされています。

参考URL:http://www5f.biglobe.ne.jp/~cool/essay/006a.html
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友人が水無瀬家の末裔で、3位中納言を極官としてましたから、格式は水戸黄門と同格です。


ただ石高は50石ですから、武士に当てはめると下の方、現在の年収から考えても平のサラリーマンのレベルですから、これで家族を養い、身の回りを世話する下男下女を雇うと赤字になります。
幸い「水無瀬文字」という将棋の駒の文字の家元ですから、書家としての副収入がありますし、5番の方が書いて見えるように芸事を教えたり道具の鑑定(和菓子などにお墨付きを出したりもあったらしい)などで暮していたと思われます。
また藤原氏ですから、ご本家から多少の援助もあったと思いますが、副業をしなくては苦しかったようです。
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 『京都岩倉実相院日記―下級貴族が見た幕末』(講談社選書メチエ・管 宗次)によりますと、書道・華道・蹴鞠・相撲・歌道・蹴鞠・包丁などの芸事の免状や揮毫による収入、また実相院のような門跡寺院(皇族・宮家・摂家などが山主を務める寺院)の場合は金融貸付業も行っていたようです。



参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062582 …
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維新の立役者


岩倉具視の岩倉家は下級公家でしたが
屋敷を賭場にし、テラ銭を稼いで暮らしていたという話は有名ですね。
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東洋文庫「幕末の宮廷」という本にある程度のことがのっています。


著者は幕末の一条家に仕えていた下級公家ですので、幕末のことですが収入や仕事、各家々の交際についてがのっています。

あと小説で戦国時代末のころですが講談社文庫 岳宏一郎 「天正十年夏ノ記」があります。これには中流公家の仕事振りがのっています。


全体的には公家の中でも貧富の差がはげしく、上流公家は領地や姻戚関係よりの収入によりそこそこの生活を行い、下級公家に至っては貧困により、しょっちゅう朝廷に借金を行い、子女を豪農に養子に出したり、武家家臣に養子、嫁に出すなど苦しい生活をおくっていたようです。
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現物を読んでいませんか.



近所の商家に「醤油がないので(金がなくて)もらいに来た」のように.浪人とか.(遠隔地の領地を持つ)庄屋のような暮らしをしていた
なんて事が書いてあるのがこの文書
と聞いています。が「この文書」の名称を忘れてしまいました。
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