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日興上人、或いは日道上人の三師御伝土代などには戒壇本尊の記述はないとのことですが最初の記録は。
鎌倉時代の元弘二年十一月
日蓮大聖人直弟子の第二祖日興上人が書いた
『日興跡条条事』に
「日興が身に宛て給わるところの弘安二年の大御 本尊は日目に之れを相伝す」
とあります。

これをどう思われますか?

A 回答 (2件)

創価学会二世です。

もっとも信仰は全くしていません。

大石寺の大ご本尊をみたことがありますか?
あんなキンキラキンのものが本物であるわけがないじゃないですか。

もともと大石寺は旧吉原市依田原あたりにあったのですよ。
大石寺は、寛永八年(1631年)に大火災に見舞われ、遂に再建不能に陥り、時の貫首の16代日就は江戸の法詔寺に移り、大石寺は幕府寺社奉行により事実上廃寺扱いとなっています。
おそらく寺宝もほとんどが消失したでしょうし、巨大な本尊をもって江戸までいけるわけがないでしょう。
廃寺になってその後、敬台院の支援もあり現在の地に再建されたものです。

でもね、その大石寺を「清流700年」とか言ってもちあげ
「大ご本尊様にお目通りをする登山」といい学会員を大石寺の参拝に大量動員していたのは誰だったでしょう。
そして日顕氏を天まで高くもちあげていたのは誰でしょう。

以下、どんなことをこれまでいってきたのかを書きますね。

「日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、三大秘法の南無妙法蓮華 経、なかんずく本門戒壇の大御本尊を根本として、日興上人以来、血脈付法の歴代の御法主上人の御指南により、七百年の間化儀化法を誤りなく伝えてきた日蓮正宗の正統性があらためて社会に広く宣揚されたのである」(聖教55・3・11)

「総本山第六十七世御法主日顕上人は、きょう六日、御登座一周年の佳き日を迎えられた。御法主日顕上人におかれては、総本山第六十六世日達上人より唯授一人の血脈相承を受けられ、 昨年八月六日、第六十七世御法主として御登座あそばされた。」(聖教55・8・6)

池田「…今、宗門においても仏法の師であられる御法主上人猊下に師敵対する僧俗が出たことは、まことに悲じむベきことである。これは恐ろしき謗法であり、真の日蓮大聖人の仏法を信解していない証左なのである。血脈付法の御法主上人を離れて、正宗の仏法はありえないのである。広宣流布そして正法正信の直系を離れ、我見の教学を論じ、背信の一群をリードしたとしても、それは異説邪道である…」(聖教57・7・31)
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山本伸一さんに


訊いて下さいねッ!
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