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No.3
- 回答日時:
キリスト教が関係していると思います。
権利、という概念はキリスト教から出てきた
概念です。
神が人間を創ったのだから、人間が同じ人間の
生命などを奪うことは許されない。
そうした思想が根底にあり、そこから権力者も
奪えない「人権」という概念が出てきたのです。
これに対し。
イスラムは、神との距離が近すぎたので
近代的政治思想が生まれませんでした。
コーランに書かれているとおりにするだけ。
人権なんて、コーランに書かれていません。
中国にはそうした宗教が無かったので
人権なる概念も誕生しませんでした。
No.2
- 回答日時:
コピペですが
https://media.moneyforward.com/articles/720
中世のイングランドはヨーロッパのなかでも「ド田舎」です。国王といえども、それほど強い権力をふるえなかったのかもしれません。
14~15世紀、ヨーロッパをペストの災禍が襲いました。
これにより人口が大幅に減少するわけですが、当時の人々のほとんどは農民です。つまりペストによる人口減少とは、農民の減少とイコールでした。数が減ったことで政治力を失った農民たちは、東欧やロシアでは農奴へと身を落とすことになります。
ヨーマン(独立自営農民)の登場
一方、イングランドではペスト禍はまったく逆方向の結果を残しました。
もともと『マグナ・カルタ』を制定するような、下々の者が上位の者に(ある意味で)楯突くことができる風土だったのかもしれません。また、王族や貴族の力がそれほど強くなかったのかもしれません。農民たちは自分たちの権利を主張するようになりました。
ペストにより人口が減ると、貴族たちは深刻な労働力不足に直面しました。荘園で働いていた小作人たちは、よりよい待遇を領主に求めるようになり、それが叶えられない場合には別の荘園へと逃げるようになったのです。こうしてイングランドでは封建的な秩序が弱まり、自分の土地を自分で耕す「ヨーマン(独立自営農民)」が登場しました。
16世紀、ヘンリー8世によるカトリック教会との決別も、封建制の崩壊に拍車をかけました。彼は最初の妻キャサリンとの離婚を望みましたが、ローマのカトリック教会はそれを許しませんでした。そこで彼はローマとの関係を絶ち、「イングランド国教会」を立ち上げました。このとき、全農地の約1/4を管理していた修道院の所有地が没収され、下級貴族や商人たちに売却されたのです。
このような封建秩序の弱体化は、土地の所有者と小作人との関係をも変化させました。
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