世界史・ギリシア/ペルシア 紀元前12世紀~ について、わからないことがあります。授業やインターネット、教科書を読みましたがよくわかりませんでした。数が多いですが、お願いします。
1.イオニア人がアッティカ地方から小アジア西部へ移動したのは紀元前12世紀初です。しかしポリスの建設は紀元前8世紀にアッティカ地方にあるアテネで行われています。なぜでしょうか。ドーリス人とスパルタについても同じ疑問があります。
2.ドラコンの立法では、貴族の習慣法であったものを成文化することにより、民主制が進んだというのが一般的です。貴族に権力は集中したままではあったものの、成文化により市民がその問題点を指摘できるようになったところに意義があるようです。ですが僕の授業ノートには
・それまでの習慣法を成文化
・貴族による法独占の打破
・法による市民の身分、権利、義務を保障・貴族による統制
とあります。貴族による統制は打破できたのか、それともできなかったのか。このノートではわかりません。わかりやすく解説してもらえないでしょうか。
3.アテネにおいて、負債者の救済がソロンの改革で行われましたが、奴隷はその対象となったのでしょうか?
4.スパルタには民会、長老会があるようですが、軍国主義のスパルタは貴族政だと思います。民会があるからといって民主制とは限らないのでしょうか。(アテネは直接民主制です。)
5.クレイステネスの改革において、デーモスが誕生しました。この説明で、「アテナイ市民の登録権はデーモスの投票で決定」とあるのですが、登録権とは何でしょうか?また、市民一人ひとりについてデーモスが投票する、というのも不自然です。何か僕の解釈が間違っているような気がするので、説明をお願いします。
6.ペルシア戦争でスパルタはアテネの味方としてともにペルシア軍と戦ったのでしょうか?アテネについて詳しく説明した資料はあるのですが、当時のスパルタの戦いについてはなにも見当たりません。教えてください。
7.ペルシア戦争後、アテネでは三段櫂船の漕ぎ手となった奴隷の地位が上昇しました。ペルシア戦争で、アテネの陸軍は活躍しなかったのですか?
長文ですが、回答のほうお願いします。
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
No.3の続きです。
第一次戦争の10年後の BC480年、クルクセス王のギリシャ侵攻が始まった。 今度はギリシャ軍の指揮をスパルタが執った。 兵力の劣るギリシャは守りやすい、天嶮のテルモピレイで迎え撃った。
数を頼んでペルシャ軍は猛攻したが突破できず、一部隊をギリシャ兵の内通による秘密の間道を通り、背後より奇襲する作戦をとった。
これを知ったスパルタ王レオニダスは、ギリシャ軍の主力を後退させ、後方に守備陣を敷き、ペルシャ軍の主力は300人だけのスパルタ軍だけで防ぐ事とした。
数十倍のペルシャ軍を相手に奮戦したが、衆寡敵せずレオニダス王以下全滅した。 レオニダスは第一次戦争でマラトンの戦に遅れた恥をそそごうとしたのか。
ペルシャ軍はテルモピレイを越え、ギリシャ内に侵攻したが、体制を立て直したギリシャ軍のため、前進を阻まれ BC479年プラタイアの戦で陸戦に破れ、海戦にもまた破れギリシャ全土から撤退した。
以上は世界史(古代)の抜粋ですが、史実と伝承の間です。 ふつうの歴史書には載ってないようです。
史家が書くからは史実に近いものでしょう。
No.3
- 回答日時:
4.
スパルタ市民(市民権を持つものだけ)は平等で、民会は権力の最高機関であるというのは建前で、形式的なものであった。
実質は二人の王と、最有力者28人からなる長老会が握っていた。
長老は60歳以上で民会で選ばれる。
王と長老会は民会の決議を取り消す事が出来た。
のちに監督官が出来、市民の権利を守るようになった。(ローマの護民官のようなもの)
6.
ダレイオス一世のギリシャへの第一次遠征に際しては、スパルタは日和見主義でアテネにあまり協力しなかった。 それでもマラトンの戦に勝利した。
クセルクセスの第二次遠征ではスパルタが中心となった。
時間がなくあとは続きで。
No.2
- 回答日時:
とりあえず1と2。
1.イオニア人が西アジアへ移動した後、アッティカは無人になったのではありません。アッティカ地方に残った人たち(アッティカ人)が中心地として建設したのがアテーナイのポリス。
ドーリア人の地域の一部がラコニアでその中核ポリスがスパルタ。大地域とそれに含まれる小地域、都市を区別する必要があります。
2.ドラコンの立法はそれまで少数エリートが口伝で伝えてきた法を文字に書き記し固定したことに意義があります。貴族の家庭内での口伝えはその時に都合の良いように変更できますし仮に捏造しても証拠が残りません。板に刻んだ文字を読めば誰でも判断の基準を知ることができるようにしたこと。これが「法独占の打破」の意味です。
これに対し「貴族による法の統制」とは依然として重大案件・事件の審理は貴族が最終判断する制度であったことを意味します。「アレオパゴス」で調べてください。共和制ローマにおける元老院制とも絡めて理解すると良いとおもいます。
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