プロが教えるわが家の防犯対策術!

神さまの愛は、無条件・無制限の赦しですから。

神域の世界です。

科学文明は神域違反の連続でしたが。

元をただせば、神学に牙を剥いたのが、自然科学の始まりです。

当時であれば、世界人口そのものが、地球環境に与える影響度も低かったのですが。

世界人口80億人に達しそうな現代。

約8億人の人々が飢餓に見舞われ、約十六億人の人々が学びの機会を失われています。


私の挫折など、可愛いものです。確かに、自殺を考えない日々はありませんでしたが。

随分と独りよがりというか、身勝手でした。

私のような罪深い者でも、信仰によって、御救い下さるのでしょうか。

イエス様はです。

「憎悪や恨みを持つというのは、人間の心の弱」の質問画像

質問者からの補足コメント

  • HAPPY

      補足日時:2020/08/16 06:32
  • うれしい

      補足日時:2020/08/16 06:56
  • 人間、生きていれば、迷うものです。

    完全な無神論者もいなければ、完全な有神論者もいません。

    こんなに、善行に励んでいるのに、神さまはいないのではないのか、と疑惑をもったり、
    こんなに、悪行をしてしまったら、神さまに罰せられるのではないのか、と疑惑を持つものです。


    実は、神を意識なさらないひとほど、幸福な人生が儘多く、
    実は、神を意識する人ほど、人生が不幸だったりします。

    そうでもないか。

    国民総幸福度、世界第一位の国家は、ブータンなのですね。

    GDPじゃないのですよ。消費社会を繰り返したところで、物量で幸福度を測るのは、無理難題なんです。

    逆に物が溢れかえるほど、真の幸福からとおざかってしまうのではないでしょうか。

    心の充足を、物量で補うことで誤魔化すことは、虚仮の一念なんですね。

      補足日時:2020/08/16 07:20
  • うれしい

      補足日時:2020/08/18 15:31
  •   補足日時:2020/08/18 15:33
  •   補足日時:2020/08/18 16:46
  • 矛盾しているようですが、私ほど、愛の尊さと憎悪の愚かさを熟知している人間は、そうはいないのかもしれないです。

      補足日時:2020/08/18 18:36
  • 昨日は、茨の冠を被った、過去の自分を思い出していました。

    アレはいったいなんであったのか。

      補足日時:2020/08/19 23:49
  • 人間の弱さから。私は。

      補足日時:2020/08/20 00:04
  •   補足日時:2020/08/20 00:11

A 回答 (12件中1~10件)

他者という像は、自己像の投影ですのです


つまりは他人は自己の現れであるという事です
よって「質問者さんの心の中に他人は存在し得ない」のです
他人を認めるには自分自身と他人とを切り離さなせければなりません
つまりは他人の像に自己像を投影すべきでは無いと言うことです
他人に自己像を投影せずにありのままに認めるという事です
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この回答へのお礼

ええ。私は、誰からも必要とされていなし、誰をも必要としていないのかもしれません。

私は、克己心に全てを賭けている今です。

心のよりどころとしているは、イエス様だけなのかもしれません。

https://www.youtube.com/watch?v=f68vI135oMQ

お礼日時:2020/08/18 18:33

私は〜・自分の(と?)〜・自分と〜・私が〜


以上が私の前回の回答に対する質問者さんの返答の中にあった「一人称」です
この事から言えるのは「質問者さんの心の中に他人がいない」という事です
誰々さんが〜・誰々君が〜等で二人称で始まる文が殆どないことからもそれは言えます。
質問者さんを責めるわけでは有りませんが「質問者さんの心の中に他人がいないので質問者さんは他人を赦すことも愛することも出来ないのです。」
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この回答へのお礼

他者という像は、自己像の投影ですので・・・・。

過去にはさまざまな人がいました。

自己と自己の過去との和解ができた、今、自己と未来の自己に委縮しております。

お礼日時:2020/08/18 18:05

質問者さんが一番興味がお有りなのは質問者さん自身でしょう


だから他人に興味がわかないのです
他人に興味を持てるようになれれば質問者自身と他人様を等しく「認められる」ようになるでしょう
「無条件に認める」これは愛よりも大事な事ですから
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この回答へのお礼

私は自分と他者というものは、異なるようで、異なるものではないと思っています。

誰にも事情があり、その立場に立てば、自分の他人様と恐らく、同じ結論にたっしていたであろうと思うのです。

自分と他者との差異を越え、共存共栄の道はあるのだと思うのです。


何故なら、私が一般の人だと思っているからです。

お礼日時:2020/08/18 16:43

何故に拘るのか?


触られて困るものなら
隠しますよ

触られて大丈夫だから
公開されてるとは

おもいますよ
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この回答へのお礼

無職であるという自分を責め立てる夢を観ることが多いですね。

脳が壊れてしまったんでしょうね。

お礼日時:2020/08/18 09:28

キリストに触れて良いのか?


悪いのか?


触れる事が悪いことなら
何故に金庫や倉庫のなかにでも
仕舞っておかないのか?

考えたらわかりますよ


広く触れてもらいたいからこそ
広められてる話ですもんね

(  ̄▽ ̄)にっこり
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この回答へのお礼

キリストに触れることは、即ち、私の病でもあります。

触れてよいのやら、悪いのやら。

神学校を出た人間ではないので、専門教育は受けていないのですが。

お礼日時:2020/08/17 16:54

「神さまの愛は、無条件・無制限の赦し」であれば


「信仰によって、御救い下さる」と矛盾しています。
宗教に傾倒することで心の安定を見出すことは可能だと思いますが
宗教とは往々にしてビジネスツールですので、その集金機能によって
生活はますます不安定になる可能性はあります
団体を通さずに、個人的な信仰で満足してみたらどうでしょうかね
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この回答へのお礼

はい。個人崇拝です。

昨日、ゾンダー・コマンドの話をNHKで観ていました。

あんな極限状態に、何故、神は、再来なさらないのか、JEUS Comming BACK

SOON

でした。

神は、いらっしゃるのでしょうか。

信仰がぐらつきそうになりました。

お礼日時:2020/08/17 13:52

動物学的に考えると



増えすぎた個体や種族は
自然と淘汰されていきますもんね

恐竜が大きく成りすぎて
食べ物が不足しだして

生存競争が厳しくなったから
小型な種族が生き残ったとかね

人類も増えすぎると
自然災害や飢餓が引き金で
不景気になり
戦争などが発生して
自然と人口調整されてたとかね

軍人や武力での戦争から
経済で資源や食べ物を奪い合う
経済戦争に変化したのが
現在社会で

結局は、国民が飢えるってのは
個人の責任よりも

国家やその国の政府に問題が
あるみたいですよ

国家としての定義で
特権階級が生活するための政府なのか?
国民を安心して暮らしてもらうための政府なのか?

考え方が沢山あって
結局は、弱者を切り捨てる社会
てのが現実みたいですもんね

16億の人が学ぶ機会を失われてる世の中で

学ぶ事を放棄してる人口については
疑問なんかを提示されないから

学びとは
( ̄~ ̄;)

日本なんかは、単純に就職の為の選別業務になってて

学ぶ事の弊害しか
感じられないですけどね

与えられた学習の意義
考えてしまいますよ

学ぶ機会をうしなってる
沢山の人でも
その地域では、与えられない学習てのは
ちゃんと成されてるとはおもうし
生きる知恵は引き継がれてるとは
思いますよ


この問題って
個人の問題ってより
国家としての問題点や
社会環境の問題点てのが
語られるべきなのかとも
思いますよ


罪深い人は、許されたいとおもう気持ちがあるなら

許されて当然だけど

信仰するから許してください
てのだと
ちょいと違うような、気もしますよ
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この回答へのお礼

それほど、キリスト教について、詳しい訳ではありません。

聖書も齧った程度です。

キリストは、私の病気でもあるのです。

キリストに触れて本当にいいのか、迷います。

私は罪深い者ですから。

お礼日時:2020/08/17 15:46

質問者さんのお言葉には他人への愛が感じられませんね


それは質問者さんの意識が常に質問者さん自身に向いているからでしょう
質問者さんの心に取り巻くあらゆることの根源には質問者さんのその内向性がありますから。
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この回答へのお礼

自分を愛しているのか、どうか、分かりません。


自分を愛するように隣人をあいしなさい。

こんな自分が愛せるのか、どうか、分からぬのです。

お礼日時:2020/08/17 15:47

救われるかどうかはわかりませんが、少なくとも、


己の罪を認め悔い改めればイエス様は許してくださると思います。

でも、
実社会で新約聖書に書いてあることを真に受けて実践すると通用しないかも知れませんねえ・・・・
処世術の本としては。

>実は、神を意識なさらないひとほど、幸福な人生が儘多く、
実は、神を意識する人ほど、人生が不幸だったりします

これはどうやら異なるようです。
何かしらの宗教の信仰心を持っていた老人の方が
人生に対する幸福度は高かったという社会心理学者のデータが本にあるのを読んだことがあります。
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この回答へのお礼

信仰に依って、心の平安が約束されるのであれば、それは、素晴らしいですね。

お礼日時:2020/08/17 15:48

人が人として生きてくための糧です。


競争心がなければ生き残れません。
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この回答へのお礼

今回のコロナ禍をどう思うかですが。


流石に、競争が生存競争を競うまでの敗戦直下の当時の大日本帝国の末路までは悪化していないと思われますが。

六人に一人は、貧困です。

お礼日時:2020/08/16 18:00

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