
神さまの愛は、無条件・無制限の赦しですから。
神域の世界です。
科学文明は神域違反の連続でしたが。
元をただせば、神学に牙を剥いたのが、自然科学の始まりです。
当時であれば、世界人口そのものが、地球環境に与える影響度も低かったのですが。
世界人口80億人に達しそうな現代。
約8億人の人々が飢餓に見舞われ、約十六億人の人々が学びの機会を失われています。
私の挫折など、可愛いものです。確かに、自殺を考えない日々はありませんでしたが。
随分と独りよがりというか、身勝手でした。
私のような罪深い者でも、信仰によって、御救い下さるのでしょうか。
イエス様はです。

No.10ベストアンサー
- 回答日時:
質問者さんが一番興味がお有りなのは質問者さん自身でしょう
だから他人に興味がわかないのです
他人に興味を持てるようになれれば質問者自身と他人様を等しく「認められる」ようになるでしょう
「無条件に認める」これは愛よりも大事な事ですから
私は自分と他者というものは、異なるようで、異なるものではないと思っています。
誰にも事情があり、その立場に立てば、自分の他人様と恐らく、同じ結論にたっしていたであろうと思うのです。
自分と他者との差異を越え、共存共栄の道はあるのだと思うのです。
何故なら、私が一般の人だと思っているからです。
No.12
- 回答日時:
他者という像は、自己像の投影ですのです
つまりは他人は自己の現れであるという事です
よって「質問者さんの心の中に他人は存在し得ない」のです
他人を認めるには自分自身と他人とを切り離さなせければなりません
つまりは他人の像に自己像を投影すべきでは無いと言うことです
他人に自己像を投影せずにありのままに認めるという事です
ええ。私は、誰からも必要とされていなし、誰をも必要としていないのかもしれません。
私は、克己心に全てを賭けている今です。
心のよりどころとしているは、イエス様だけなのかもしれません。
https://www.youtube.com/watch?v=f68vI135oMQ
No.11
- 回答日時:
私は〜・自分の(と?)〜・自分と〜・私が〜
以上が私の前回の回答に対する質問者さんの返答の中にあった「一人称」です
この事から言えるのは「質問者さんの心の中に他人がいない」という事です
誰々さんが〜・誰々君が〜等で二人称で始まる文が殆どないことからもそれは言えます。
質問者さんを責めるわけでは有りませんが「質問者さんの心の中に他人がいないので質問者さんは他人を赦すことも愛することも出来ないのです。」
他者という像は、自己像の投影ですので・・・・。
過去にはさまざまな人がいました。
自己と自己の過去との和解ができた、今、自己と未来の自己に委縮しております。
No.8
- 回答日時:
キリストに触れて良いのか?
悪いのか?
触れる事が悪いことなら
何故に金庫や倉庫のなかにでも
仕舞っておかないのか?
考えたらわかりますよ
広く触れてもらいたいからこそ
広められてる話ですもんね
(  ̄▽ ̄)にっこり
キリストに触れることは、即ち、私の病でもあります。
触れてよいのやら、悪いのやら。
神学校を出た人間ではないので、専門教育は受けていないのですが。
No.7
- 回答日時:
「神さまの愛は、無条件・無制限の赦し」であれば
「信仰によって、御救い下さる」と矛盾しています。
宗教に傾倒することで心の安定を見出すことは可能だと思いますが
宗教とは往々にしてビジネスツールですので、その集金機能によって
生活はますます不安定になる可能性はあります
団体を通さずに、個人的な信仰で満足してみたらどうでしょうかね
はい。個人崇拝です。
昨日、ゾンダー・コマンドの話をNHKで観ていました。
あんな極限状態に、何故、神は、再来なさらないのか、JEUS Comming BACK
SOON
でした。
神は、いらっしゃるのでしょうか。
信仰がぐらつきそうになりました。
No.6
- 回答日時:
動物学的に考えると
増えすぎた個体や種族は
自然と淘汰されていきますもんね
恐竜が大きく成りすぎて
食べ物が不足しだして
生存競争が厳しくなったから
小型な種族が生き残ったとかね
人類も増えすぎると
自然災害や飢餓が引き金で
不景気になり
戦争などが発生して
自然と人口調整されてたとかね
軍人や武力での戦争から
経済で資源や食べ物を奪い合う
経済戦争に変化したのが
現在社会で
結局は、国民が飢えるってのは
個人の責任よりも
国家やその国の政府に問題が
あるみたいですよ
国家としての定義で
特権階級が生活するための政府なのか?
国民を安心して暮らしてもらうための政府なのか?
考え方が沢山あって
結局は、弱者を切り捨てる社会
てのが現実みたいですもんね
16億の人が学ぶ機会を失われてる世の中で
学ぶ事を放棄してる人口については
疑問なんかを提示されないから
学びとは
( ̄~ ̄;)
日本なんかは、単純に就職の為の選別業務になってて
学ぶ事の弊害しか
感じられないですけどね
与えられた学習の意義
考えてしまいますよ
学ぶ機会をうしなってる
沢山の人でも
その地域では、与えられない学習てのは
ちゃんと成されてるとはおもうし
生きる知恵は引き継がれてるとは
思いますよ
この問題って
個人の問題ってより
国家としての問題点や
社会環境の問題点てのが
語られるべきなのかとも
思いますよ
罪深い人は、許されたいとおもう気持ちがあるなら
許されて当然だけど
信仰するから許してください
てのだと
ちょいと違うような、気もしますよ
それほど、キリスト教について、詳しい訳ではありません。
聖書も齧った程度です。
キリストは、私の病気でもあるのです。
キリストに触れて本当にいいのか、迷います。
私は罪深い者ですから。

No.4
- 回答日時:
救われるかどうかはわかりませんが、少なくとも、
己の罪を認め悔い改めればイエス様は許してくださると思います。
でも、
実社会で新約聖書に書いてあることを真に受けて実践すると通用しないかも知れませんねえ・・・・
処世術の本としては。
>実は、神を意識なさらないひとほど、幸福な人生が儘多く、
実は、神を意識する人ほど、人生が不幸だったりします
これはどうやら異なるようです。
何かしらの宗教の信仰心を持っていた老人の方が
人生に対する幸福度は高かったという社会心理学者のデータが本にあるのを読んだことがあります。
お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています
-
先着1,000名様に1,000円分もらえる!
教えて!gooから感謝をこめて電子書籍1,000円分プレゼント
-
生きていれば、赦せない人ばかりが増えます。
哲学
-
1.物事の本質と言う言葉をよく耳にします。 具体的にそれはどういう意味をさしますか? 2.それを身に
哲学
-
哲学的“心”に頭の良し悪しは関係ない!
哲学
-
4
希望無き時代の哲学
哲学
-
5
善とは何かを説明する
哲学
-
6
君は存在したいか?
哲学
-
7
答えは分かっているのに何で世界は平和にならないのか?
哲学
-
8
ああ人生に涙あり。 人生楽ありゃ苦もあるさ 涙の後には虹も出る 歩いてゆくんだしっかりと 自分の道を
哲学
-
9
神の愛を実感する方法
哲学
-
10
どうして真実の探求を邪魔する人がいるのでしょうか?
哲学
-
11
The 差別
哲学
-
12
今、自分が存在していること。
哲学
-
13
あなたのとって正しい道とは何か。
哲学
-
14
人は理詰めで考えれば、正しい答えを導き出すことができるのでしょうか。
哲学
-
15
気は優しくて力持ち。
哲学
-
16
われらは如何に生きて来たか。世界はどこへ行くのか。
哲学
-
17
私は一体、他者からどう評価されているのでしょうか。
哲学
-
18
絶対善は絶対ない!?
哲学
-
19
死にたきゃ死ねばいいのでは
哲学
-
20
辛いです、助けてください。高校生女子です。 ここ二週間ほど哲学的思考に頭がいっぱいいっぱいになってし
哲学
おすすめ情報
このQ&Aを見た人がよく見るQ&A
このカテゴリの人気Q&Aランキング
-
4
人間は存在することに意義がある?
-
5
俗物と天才の違いを押してくだ...
-
6
人間は存在することに意義がある
-
7
あなたにとって「最高の人間」...
-
8
お寺で住職に注意されたのですが
-
9
エネルギーと性質以外に この宇...
-
10
生きることを否定してみてくだ...
-
11
パソコン・スマホ・ネット依存症
-
12
多数意見をにおわせて質問者を...
-
13
振動数が多くなるほど温度が増...
-
14
宇宙について、 カントにとって...
-
15
神とは何か?・・・ミーハーの...
-
16
「オタクを誇れ」←おまいらどう...
-
17
人間の精神は 何で出来ているの...
-
18
現代社会の世捨て人にでも成るか?
-
19
血が滾(たぎ)る
-
20
人間の本質とは?
おすすめ情報
人間、生きていれば、迷うものです。
完全な無神論者もいなければ、完全な有神論者もいません。
こんなに、善行に励んでいるのに、神さまはいないのではないのか、と疑惑をもったり、
こんなに、悪行をしてしまったら、神さまに罰せられるのではないのか、と疑惑を持つものです。
実は、神を意識なさらないひとほど、幸福な人生が儘多く、
実は、神を意識する人ほど、人生が不幸だったりします。
そうでもないか。
国民総幸福度、世界第一位の国家は、ブータンなのですね。
GDPじゃないのですよ。消費社会を繰り返したところで、物量で幸福度を測るのは、無理難題なんです。
逆に物が溢れかえるほど、真の幸福からとおざかってしまうのではないでしょうか。
心の充足を、物量で補うことで誤魔化すことは、虚仮の一念なんですね。
矛盾しているようですが、私ほど、愛の尊さと憎悪の愚かさを熟知している人間は、そうはいないのかもしれないです。
昨日は、茨の冠を被った、過去の自分を思い出していました。
アレはいったいなんであったのか。
人間の弱さから。私は。