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私の解釈を書きます。
何も参考になるものを見ていないので、一般的な解釈かどうかわかりません。参考にはならないとは思いますが…。内藤丈草は、芭蕉の弟子で、17世紀後半、江戸時代はじめの俳人ですよね。大原は、京都の奥座敷、大原を指しており、大原は平安時代から、寺院などが多い山里でした。当然、周りは林だらけなので、虫も多いでしょう。
蝶といえば春の季語、おぼろ、おぼろ月も春の季語ですから、春の情景を詠んだものでしょう。「朧」(おぼろ)は、「霞」(かすみ)の夜バージョンの呼び名で、霧ほど濃くないかすみ方をしているもの。おぼろ月は、かすんだ月で、風の強くない湿度の高いときになります。一方、江戸時代もまだはじめのころは、蝶と蛾をはっきりと区別していません。ですから、ここで詠んでいる蝶は、昼飛ぶ現在の蝶ではなく、夜飛ぶ蛾のことを指している可能性が高いです。蛾が夜飛ぶ条件は、ある程度以上気温が暖かいこと、風があまりなく、湿度が高めなこと、なので、おぼろ月と蛾の飛ぶ条件は重なるので、この推測を裏付けます。また、蛾が飛んでいるのが見える、という情景から、月明かりが結構明るいことが想定できます。
出て舞う(いでまう)とは、ただ飛んでるんじゃなくて、出てきて飛び出す様子を描いています、明るくて穏やかな月夜に誘われるように飛び始める様子だと思います。春は気温が低いので、蛾は暖かい夜じゃないと飛びません。寒い夜は林の葉の陰に隠れてじっと夜をすごしています。
蛾の飛び方は、一般に蝶ほどしっかりしてなくて、あっちいったりこっちいったり、踊っているように見えます。明るい月夜に蛾の飛ぶ情景は、非常に美しいもので、蛾の翅がつきの明かりを反射しますので、蛾のはばたきにあわせて翅がかすかにきらきら光ります。(現代の街灯だともっと強く光りますが)ちなみに、夏の蛾と春の蛾は種類も違っていて、春の蛾は個体数も少ないです。そこらじゅう蛾だらけで気持ち悪い感じにはなりにくいです。
という感じで、山里の穏やかで暖かな春の夜、霞のかかった明るい月夜に、蛾が誘われるように飛び交う情景を詠んだ句だと思います。そこに、どんな思いを込めたのか、これはこれを読んだ人1人1人が感じるところがあるでしょう。純粋にその光景の美しさなのか、冬の終わりと春の訪れなのか(大原の冬は寒いですよね)、山里の自然の豊かさなのか、お寺での修行の合い間の息抜きの一コマなのか、いろいろあるんだと思いますが。
蝶というのを、いわゆる水商売の女と考えても、それなりの解釈ができそうですが、後代の川柳じゃないので、それはちょっと違うような気もしますので、省略。
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