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なぜ人々は美術館へ行くのですか?高校生の私は絵をみてもよく分かりません。いつかわかるようになるのですか?

A 回答 (8件)

こんにちは。

まだ締め切られていませんでしたね。
率直なご質問ですね。
例えば、次のような説明はいかがでしょう。

ポイントは、「似たようなものを見る、歴史や背景を知る。するといろいろ見えてくる。実はこの連鎖が教養と呼ばれる。」

 絵画にせよ、彫刻にせよ、質問者さんも素直に感動できないものが多いと思います。
 一方、老若男女含めて多くの人が、きれい、かっこいい、と感動できるものもあるかと思います。例えば、赤、黄、青などの花々や、これらの原色をベッタリ使った絵やドレスは、誰でも一瞬は「きれい」と思いますし、流線形の自動車や戦隊もののヒーローの決めポーズは、誰に教えられたわけでもないのに幼児はかっこいいと感じています。
 これらの理由は未だ明確にはなっていないながら、少なくとも人間の本能の中で「快楽的」にプログラムされているようですね。

 成長するに従い、多くの人はそれだけではもの足りなくなりますが、他方、渋い油絵や陶器の壺を「すばらしい」とは思える人と思えない人の差も生じます。
そのような差は何か・・・が質問者さんの質問の趣旨かとも思います。

そこで、次のような点を意識することをおすすめしておきましょう。

① 同じようなものをみて、共通点と違いを楽しむ。
 コーヒーカップを選んでみましょう。カップなんてどれを使おうがコーヒーは飲めます。でも、同じ値段でいくつも並んでいるとき、自分が好きなのはどれか・・
をじっくり考えてみるのも楽しく、パッと見てキャラクターものや花柄がいいように思えても、じっくり選んでいるうちにシンプルな斜め線の入ったものを買ったりすると、「自分は意外にこんなデザインが好きになったんだ」と思えます。
 同じような感覚で、美術館の中で模様の少ない面白くなさそうな渋い色の壺でも、それらをいくつか比べて勝手に採点でもしてみると、丸いもの・細いもの、赤系・黒系、光沢あり・つやなしなどで、自分の好みが少しずつ見えてきます。(これが「感性」でもあります。)
 このように、比較して、「漠然とした共通点やわずかな違いの差」がわかるようになり、その中で自分の好みを意識できるようになるのが第一歩です。
 これは、例えば、「コーヒー」を、「いい香りのする飲み物」として楽しむだけでなく、コーヒーとして同じでも銘柄や淹れ方で異なる風味がわかるようになると、ひとつの「ゲーム」として楽めるということと似ています。(違いの楽しみ)
 一方、それは、最初は奇抜で違和感のあるファッションでも、流行してたくさん目にするようになると、いつの間にか自分も「かっこいい」と感じるようになることにも共通しているでしょう。(共通点の楽しみ)
(さらに、例えばレオナルドダビンチの数々の絵で書いてあるものがが全く異なるのに筆づかいの共通点を理解できるようになることにもなります)

② 歴史と背景の「知識」を楽しむ。
 古い農家を描いた絵は、普通、大した感動はありません。
 でもそこで、「これはパリで病死した日本の画家が死の直前に故郷を思い出して描いた絵だ」と知ると、少し感情移入ができます。
 さらに、絵を近くで見ると無意味な白い点に見えたものが「寒い山間の農家に春の朝日が差し込むところを描いたと言われている」と教えてもらって遠くから見ると、確かに希望の日差し見える・・・など。さらには、その画家の人生、時代の背景、絵の世界に大きな影響を与えた業績・・・などを知ると、ただの絵にいろいろな空想が絡んでちょっとした感傷を感じたりします。
 実際、写真やネットでいくらでも見ることができる名画をわざわざ美術館に見に行きたいと思う人たちは、「自分の知識をもとにさらにそれを深めたい」という欲求(これも一種のゲーム)によるところが多いでしょう。
(まあ、一番短絡的には、「この小さな壺は1億円の値がついた」と聞くと、「どこにその価値が?」と思いつつつい見入ってしまう・・・これも、「裏にある情報を知ったためにちょっと興味が深まった」の一種でしょう 笑)

質問者さんはまだ高校生とのこと。
歴史の授業も、いやいや勉強し、渋々丸暗記・・・というところではないでしょうか。また、コーヒーカップもとりあえず飲めるならばいいや・・・という感覚ではないでしょうか。
 それでも、例えば歴史は、渋々でもよいので丸暗記をしておくと、また、100円ショップのコーヒーカップの模様でもよく見ておくと、実はあとで美術品を楽しめるようになります。
 このような一見おもしろくないものでも「いくつかの共通点とわずかな違いに目を向ける」感性と、見ただけではわからないが実は知っている人が多いという「裏に隠された情報」の知識を、実は世の中では「教養」といい、これらを通じて自分自身も「かっこいい」「美しい」という感覚が生まれてきます。

さてさて、いかがでしょうか。

すみません。ここまででも長くなってしまいましたがさらにちょっと余談を。
 クラシック音楽の交響曲などは多くの若い人には退屈でしょう。私もそうでした。でも、受験勉強中に寂しくて音楽をかけるとき、歌詞のある音楽は気を取られて集中力がなくなるので、あえて退屈なクラシックを小さな音で鳴らしていました。すると、いつの間にかメロディが頭の中に入り、いくつもの曲名や作曲者が口をついて出るように・・・。結局、すごく好きになったわけではないですが、結構「理解」できるようになり、後に社会人になった際にちょっと半端ながら「教養」としておつきあいの潤滑油に使うことができました。
この手の教養(ただの趣味;汗)は、すごくハマるとお金を使いますが、そこそこにハマるならととても安くつく趣味(本とCD程度だけで長く楽しめる)で、社会人としてお金を稼ぐ上でけっこう役に立ったりします。
ご参考まで(笑)

お役に立てば幸いです。
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この回答へのお礼

次美術館に行くのが楽しみになりました!

お礼日時:2020/10/06 19:56

いやあ、深いテーマですね。



なぜ人々は◯◯をするのか?

これは人によって求めるものが違っていまして。

けれどもなんとなく何かに引っ張られて

行かなくちゃ
やらなくちゃ

という答えを手にして、
結果的に◯◯するのだ

というふうに流れてしまうこともあったりします。

引っ張るものはテレビだったり、流行ってますよというバズりのツイートだったりするのですけれども。

美術館に行く人の気持ちはいろいろあって。

1.噂になっているから行く。

2.好きだった作家の展覧会だから行く。

3.どうやったらうまく絵が描けるのか、うまい人の作品を見て学びたいから行く。

4.なんでこういうタッチになるのかわからないから行く。

5.美術館が好きすぎて行く。

6.作品が作られた時代が好きだから行く。

7.展示方法に興味があるから行く。

8.キュレーターになりたいから勉強する意味で行く。

9.その他

いろんな人の気持ちが、美術館に人を呼び寄せます。

ただどうしても、有名な作家ほど求心力があって、そうじゃない作家は人を集められません。なので、ある意味「人気商売」の枠にハマってる、という意見は否定できません。

いつわかるようになるのか?

年齢と経験によって、都度都度得るものが違うんです。

子供の頃に体験したこと。
大人になって体験したこと。
ジジイ・ババアになって体験したこと。

全部、自分の経験がもとになって

「ああ、こういうことだったのか」

という発見に結びつくものだったりするんですよ。

だから年を取っても美術館に行くし、若くてよくわからないっていうのも全然アリなんですね。

300年前の作家の気持ちになんかなれるか、みたいなことだってあるし。

スマホがなかった時代の娯楽の一端だったりするものですが、現代にしたら「スマホないってどんだけ山奥やねん」みたいな感想しか出ないかもしれないわけでして。

だから「年を経るごとに感じることが違う」というおもしろさを求めて美術館に行く人がいる。そんな感じで考えていただければいいものです。

ガチでアーティストになりたい人と、生涯観客でいたい人で、見かたも感じ方も違うわけですね。

「考えるな、感じるんだ」

という古い映画の有名なフレーズがあるんですけれども、そんなスタンスで接していただければいいというお話でございます。

ただ、定期的に通わないと感覚が鈍くなってしまうものでして。
ご興味があるのでしたら、学割が効く間にいろいろご覧になってください。

いまの気持ちは、いまだけのもの。
年取ったときの気持ちは、年取ったときのもの。

旬の感覚が大切なんです。
とりあえず安価に見られるうちに見ておく。

というユルい感じでアプローチしてください。
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私は美術館(その美術館は 総替わりでいろいろなテーマで展示が変わるのです)にはよく行きます(ちょっとコロナで最近は行ってませんけど)。



私も、どんな絵がいいのかよくわかりません というより、世間で「いい」と言っているものでも感動しなかったり、それほどの評価のないものでも「いいなあ」と思ったりします。
まぁ そういうことも楽しみの一つです。

別に美術館は「行かなければならないところ」ではないので、行く気がなければ行かなくってもいいんです。
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ご質問者は絵の勉強をしたいのですか?それとも僕らみたいに楽しみたいのですか?僕は高い金を払って観たけど,何も残らなかったということもあります。

でも,あるときは一枚だけとても面白いと思ったこともあるし,この絵を観ると留学したころのあれを思い出すなぁ懐かしいなぁということもある。また,この絵は動いているのかな?と感じることもある。しかし,そういう絵が一枚も無いこともよくあります。芸術の鑑賞ってのはそういうものではないのですか?音楽でも映画でも写真でも同じです。浄瑠璃を観にいって面白かったぁということもありますが,歌舞伎でみんな大騒ぎしているけど僕は何も響かなかったというときもあります。そういう風に,頭と心(心が体のどこにあるかの議論はともかく)に何らかの影響を及ぼしたときに楽しければ,それが芸術体験なのでは?お金がもったいないですけど,掛け捨ての保険料とか授業料だと思えばいいだけです。芸術を理解したいと思ったことは一度もありませんよ。クラシック分野は好きですが,作曲者がどこのだれかということにはあまり興味がありません。その人の他の作品にもあまり興味がありません。
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自分もわかりません。


でも、実物を見て理屈抜きで「うわ~」を味わいたいからだと思います。
ライブコンサートに行くのも、競技場に行くのも、博物館に行くのも、実物を見て「うわ~」を味わいたいからだと思います。
細かい技術や技法の名前ややり方など知らなくても、「うわ~」になります。
まあ中には「?????」の作品や人もいますよね。
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美術館に限らず興味や関心事は単にその人が感じることで考えることではないので、現時点で興味がないならこの先もたぶん変わらないと思います。



純粋に興味があれば美術館に行くと思いますし、さらに興味を持てばまた行こうと思いますので最初から興味がないということだと思います。
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感性を養うためです。


一種の教育です。
感性が芽生えた人にはわかるようになります。
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自分自身の物の見方を疑うためかもしれません。


時代によって、および個々の感性によって物の見え方は実は違っているかもしれないからです。
最近、分かってきました。
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