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教育勅語は悪いものなんでしょうか?

読んだ感じ、問題ないと感じました。小学校の教育に取り入れても良いのでは?と感じています。

皆さんの意見よろしくお願いします。

質問者からの補足コメント

  • 少し見にくいですが、どうぞ

    「教育勅語は悪いものなんでしょうか? 読ん」の補足画像1
      補足日時:2020/11/04 19:37

A 回答 (8件)

「読んだ感じ、問題ないと感じました」に対しまして、教育勅語の問題点を2つほど挙げてみます。



(1) 天皇の思い上がり

教育勅語の冒頭は、「朕(ちん)惟フニ(おもうに)」と始まる。日本の国体(天皇を中心とし、臣民すべてが天皇への忠義に励んで心を一つにして、国を美しくしていくという、お国柄)こそが、教育の淵源(起こり基づくところ)だという。「斯ノ(この)道ハ實ニ(じつに)我カ皇祖皇宗ノ遺訓(いくん)ニシテ」と説く。
しかし、天皇家の遺訓が国民全体の教育の根本であると、天皇自身がいうのは、手前味噌過ぎるのではないか?
これが例えば軍人勅諭なら、「我國の軍隊は世々天皇の統率し給ふ所にそある」(わが国の軍隊はいつの世も、天皇の率いるもとにある)という書き出しで始まるのは、まだ分かるのである。明治憲法で統帥権(軍隊の最高指揮権)は天皇にあったわけだから。
しかし、教育の最高指導権は天皇にあったのか? 学の独立はどこに行った? ここは、天皇がへりくだって、教育の根本は「人類普遍の真理を学ぶこと」などと言っといた方が良かったのでは? 人類普遍の真理というのも抽象的ではあるが、それよりも上位に自分んち(天皇家)の遺訓を置くことは、思い上がりではないだろうか。
まあ、「朕惟フニ」と言ったって、実際には明治天皇おんみずから書いたものではなく、政府高官や儒学者(井上毅、元田永孚)が書いたそうだ。明治天皇が思い上がっていたのではなく、彼ら高官が思い上がっていたのである。天皇の威を借りて、臣民(国民)に対して威張って、あんな文章を起草した。

その結果、教育勅語がユマニスムのようなものを欠くことになったのは、痛恨事だった。教育勅語が説く「我カ國體ノ精華」は、万邦無比の国体、世界に比類なき我が日本のお国柄などという、おごりを生んだ。
加藤周一が書いていたが、戦時中、東大付属病院の内科医局で、世界のヒューマニズムの危機というような話題が出たとき、「我々は人間である前に日本人なんだよ!」と怒り出す同僚がいたという。しかし、その言葉はいかにも矛盾である。教育勅語の下で教育を受けると、東大医学部出の秀才でも、そんなことを言うようになるのだった。「此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス」、国体こそが教育の淵源と教えられたら、そんな人も出てくる。

(2) 国際主義

前項で述べたように、教育勅語はいわば幹が曲がっているのだが、枝ぶりは良さそうに見える。すなわち、「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ」(父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし)などという徳目の列挙である。ご質問者もそこらへんを「素晴らしいモノだと」お感じになったのかも知れない。
しかし、大事な枝が欠けているだろう。「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」と国防の義務を説くならば、世界平和や国際協調も教えないと、バランスが悪い。教育とは、バランスである。
教育勅語が渙発されたのは1890年(明治23年)で、日清戦争で本格的な海外侵略に乗り出す前だった。日清・日露などの戦役を経て、教育勅語に国際主義が欠けていることは、論議の対象ともなった。第二次大戦以前の時点で、論議になっていたのである。

以上、教育勅語は幹にも枝にも問題がある。国体思想や儒教道徳に偏っており、国際主義やユマニテを軽視している。小学校の教育に取り入れるなどしたら、害悪となるだろう。
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この回答へのお礼

教育勅語を起草したのは明治天皇ではありませんよ?左巻きの思想を直しなさい。

お礼日時:2020/11/09 18:04

「回答順に表示」を推奨。



屁理屈と言い掛りと膏薬は何にでも付く という言葉の素晴らしさを再認識させられました。


A:>万一危急の大事が起つたならば、大義に基づいて勇気をふるひ一身を捧げて皇室国家の為につくせ。

↑の「皇室国家」という言葉を論う意見もあるようですが、私はこれは「皇室と国家」だと解釈しています。
そして、私は皇室は日本人が日本人である為に必要な存在だと思っています。

ところで、文句をつけている方は、国民は危急の時でも頑張らなくて良いと思っているのでしょうか。
(それで喜ぶのは「誰」でしょうか)
そして、過去の大事で皇室は頑張らなかったと思っているのでしょうか。


「人権や平等について語っていない」という言い掛かりもあるようですが、
それらは帝国憲法で語られています。
そもそも「教育の為の勅語」でそのような事にまで言及する必要があるとは思えません。


戦後に教育勅語が無効にされたのは、「彼ら」の都合のようです。


(4:15 前田文部大臣:教育勅語は立派な日本人を育てる為のものだ。
マッカーサー:じゃあ廃止しよう)



B:>教育勅語は悪いものなんでしょうか?

質問の「悪い」の意味が不明ですが内容自体は、「これまで先祖がしてきたように家族や地域と仲良くして国を発展させましょう」と至極常識的な内容であり、私には悪い意味などほじくり出せません。

しかし、日本人が勅語の通りだと都合が悪い人達もいるらしいです。
「教育勅語は悪いものなんでしょうか? 読ん」の回答画像7
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もともとは文語体ですから、口語訳にした場合どうしても訳者の意向がはいります。

教育勅語の口語訳としては文部省が1940年に作成した文章がいちばんわかりやすいです。

【朕がおもふに、我が御祖先の方々が国をお肇めになつたことは極めて広遠であり、徳をお立てになつたことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよく忠にはげみ孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。これは我が国柄の精髄であつて、教育の基づくところもまた実にこゝにある。

臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合ひ、朋友互に信義を以て交り、へりくだつて気随気儘の振舞をせず、人々に対して慈愛を及すやうにし、学問を修め業務を習つて知識才能を養ひ、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起つたならば、大義に基づいて勇気をふるひ一身を捧げて皇室国家の為につくせ。

かくして神勅のまにまに天地と共に窮りなき宝祚の御栄をたすけ奉れ。かやうにすることは、たゞに朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなほさず、汝らの祖先ののこした美風をはつきりあらはすことになる。

 こゝに示した道は、実に我が御祖先のおのこしになつた御訓であつて、皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共々にしたがひ守るべきところである。この道は古今を貫ぬいて永久に間違がなく、又我が国はもとより外国でとり用ひても正しい道である。朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守つて、皆この道を体得実践することを切に望む。
---------以上

親孝行や友愛などもうたっていますが、それらは最終的には「一身を捧げて皇室国家の為につくせ」ということなんですよ。「国」ではなく「皇室国家」のためです。

教育勅語には人の基本的人権や平等などの言葉もないですよね。だから戦後無効とされました。
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教育勅語は悪いものなんでしょうか?


  ↑
反日活動家や、左側の人はそう信じています。




読んだ感じ、問題ないと感じました。
小学校の教育に取り入れても良いのでは?と感じています。
  ↑
今の憲法は、価値相対主義を徹底しています。
だから、このような価値の押しつけは
現行憲法に適合しない、と考える人が
多いのです。

取入れるのであれば、米国製の現行憲法を
改正する必要があります。
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教育勅語の口語訳(国民道徳教会訳文と言うものだそうです)を一読しましたが、素晴らしい内容だと思います。

実際戦後教育においても元々は教育勅語と教育基本法を車の両輪のようにして学校教育を行う予定だったと言う話を聞いた事がありますが、教育勅語(に相当するもの)が公教育から排除されたのは戦後教育最大の問題点でしょう。教育勅語自体が悪いと言うよりは、戦前戦中に軍部等によって教育勅語が悪用されたと見るべきだと思います。他の回答で挙げられていた「夫婦相和し」も文字通り「夫婦は仲良くする」と言った意味であって「妻は夫に従え」と言った封建的な意味が直接含まれているわけではありません。「一旦緩急あれば義勇公に奉し」と言うのも「国に何かあったらがんばって守らないといけない」と言う国民として当たり前の事を述べているだけだと思いますし、そもそも教育勅語のどこにも「天皇」と言う文言は出て来ません。教育勅語の原文を素直に読めば「これのどこが問題なの?」と誰もが感じると思います。


なお余談ですが、「(日本は)天皇を中心とする神の国」と言うフレーズが物議を醸した森総理(当時)のいわゆる「神の国発言」も、全文を読んだらものすごく常識的かつ良識的な内容だったので驚いた事があります。何事も「実物を見ないとダメ」と言う事なのかなと思いました。
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私は超最悪だと思います。


この当時の国民とは天皇の民であり、領土も含めて全ては天皇のためにあった時代に作られた教育勅語を現代に持ち込む輩に対して、お前何か意図があるのか?と思います。

例えば、「一旦緩急(いったんかんきゅう)アレハ義勇公(ぎゆうこう)ニ奉(ほう)シ」とは、「戦争になったら国民は一致団結して天皇のために戦え」ということです。

例えば、「夫婦相和シ(ふうふ あいわし)」とは、「妻は夫に従え」ということです。この当時の男尊女卑はなかなか凄かったと思います。

時代背景を良く良く考えてみてください。

教育勅語の産物は、終戦後28年たって発見された横井正一さんが語った第一声「恥ずかしながら生きながらえて帰ってまいりました。」に集約されると思います。
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この回答へのお礼

共産党の小池さんも同じようなことおっしゃってましたね!「天皇のために戦え」というのは曲解ですよ。社会に尽くそう!ということです。何も戦場に行って戦うだけではありません。感染症が広まれば社会のために自粛するのと同じでしょう。

全く集約されないですw
「相和し」を曲解しています。仲睦まじくが妥当な訳です。

お礼日時:2020/11/04 22:35

そもそも「良い/悪い」を論じるものではないと思いますが。



たとえば、「戦前の日本の教育の基本理念はこうだった(歴史的事実)」として、教えるのは問題ないとは思います。
ただ、勅語の原文ままで、「教育理念の根幹とせよ」みたいなことは、現憲法上の問題(象徴天皇制や思想・良心の自由など)もあり、まあ不可能ですよ。

理念としては、なかなか素晴らしい部分も多いと思いますので、修正やアレンジすれば、問題ないかも知れませんが。
「勅語」に手を加えること自体、それはそれで問題だし。
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この回答へのお礼

思想良心の自由から文句を言ってきそうな層は見当がつきますねw

素晴らしいモノだと思うので残念です。台湾や北欧では教育勅語の理念を教えているそうで羨ましい限りです。

お礼日時:2020/11/04 22:37

意味を教えて下さいませ。

それができたら質問にも回答できるかも分かりません。よろしくお願いします。

朕(ちん)惟フニ(おもうに)我カ(わが)皇祖皇宗(こうそ こうそう)國ヲ(くにを)肇ムルコト(はじむること)宏遠ニ(こうえんに)德ヲ樹ツルコト(たつること)深厚ナリ(しんこうなり)
我カ(わが)臣民(しんみん)克ク(よく)忠ニ(ちゅうに)克ク(よく)孝ニ(こうに)億兆(おくちょう)心ヲ一ニシテ(しんをいつにして)世世(よよ)厥ノ(その)美ヲ(びを)濟セルハ(なせるは)此レ(これ)我カ國體(こくたい)ノ精華ニシテ敎育ノ淵源(えんげん)亦(また)實ニ(じつに)此ニ(ここに)存ス(ぞんす)
爾(なんじ)臣民(しんみん)父母ニ孝ニ(ふぼに こうに)兄弟ニ友ニ(けいていに ゆうに)夫婦相和シ(ふうふ あいわし)朋友相信シ(ほうゆう あいしんじ)恭儉(きょうけん)己(おの)レヲ持(じ)シ博愛(はくあい)衆(しゅう)ニ及(およ)ホシ學(がく)ヲ修(おさ)メ業(しゅう)ヲ習(なら)ヒ以(もっ)テ智能(ちのう)ヲ啓發(けいはつ)シ德器(とっき)ヲ成就(じょうじゅ)シ進(すすん)テ公益(こうえき)ヲ廣(ひろ)メ世務(せむ/せいむ)ヲ開(ひら)キ 常(つね)ニ國憲(こっけん)ヲ重(じゅう)シ國法(こくほう)ニ遵(したが)ヒ一旦緩急(いったんかんきゅう)アレハ義勇公(ぎゆうこう)ニ奉(ほう)シ以(もっ)テ天壤無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運(こううん)ヲ扶翼(ふよく)スヘシ
是ノ如キハ(このごときは)獨リ(ひとり)朕(ちん)カ忠良(ちゅうりょう)ノ臣民(しんみん)タルノミナラス又(また)以テ(もって)爾(なんじ)祖先(そせん)ノ遺風(いふう)ヲ顯彰(けんしょう)スルニ足ラン

斯ノ(この)道ハ實ニ(じつに)我カ皇祖皇宗ノ遺訓(いくん)ニシテ子孫臣民ノ倶ニ(ともに)遵守スヘキ(じゅんしゅすべき)所(ところ)
之ヲ古今ニ通シテ謬(あやま)ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス(もとらず)朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺(けんけんふくよう)シテ咸(みな)其德ヲ(そのとくを)一ニセンコトヲ庶幾フ(こいねがう)

明治二十三年十月三十日
御名御璽(ぎょめい ぎょじ)
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