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【宗教】仏教の不識とはどういう意味ですか?

読み方はふしきで合ってますか?

A 回答 (2件)

「廓然」とは、からりと開けた、何のとらわれもない無心の境地を表したものです。


その無心のところには、聖なるものも、凡なるものも、何も比べるものは無いと言い放つのです。自分が信じて求めてきた仏法というものに、「聖なるもの」が無いと言われた武帝は、どうしても納得がいきません。
今までの行いの全てを否定されてしまったからです。
そして、そんな達磨に対して「では、私の前にいるお前は何者だか?」と尋ねるのです。

達磨は一言、答えます。「不識(ふしき)」と。

この「不識」は「そんなもの、しらない」という意味の言葉ですが、禅での解釈はそう簡単にはいきません。
達磨が「不識」と言ったのは、武帝の心にある「執着」というものを捨てさせるためだったのです。

人間はどうしても、聖とか凡とか、生とか死とか、有るとか無いとか、好きとか嫌いとか、対立する二つの思考にとらわれてしまいます。
禅ではとかく、この対立する二念を嫌います。
「識る」、「識らず」と、自分が生まれてから身につけてきた知識や経験に惑わされることなく、それらを完全に捨て去ってこそ、禅でいうところの「不識」を体得することができるのです。

思い返せば、私たちが「わかる」と確信をもって言えることは、どのくらいあるでしょうか? 
地獄があるか? 天国があるか? 自分の寿命はいつまでか? 
考えてみると私たちの人生は、わからないことだらけではないでしょうか。結局のところ、明日自分自身が生きているかもわからないし、身近なところで言えば、明日の天気すらわからないのが私たちなのです。

以前、あるテレビ番組が、東日本大震災で大変な被害に遭われた岩手県大槌町に設置された、一つの電話ボックスのことを特集していました。
「風の電話」と名づけられたその電話ボックスの中には、電話線に繋がっていない黒電話がポツンと置かれています。
電話の持ち主の方は、震災の前年に亡くなられた、仲のよかった従兄弟と話をするため、はじめは自分自身のためにこの電話ボックスをつくられたそうです。
震災が起き、月日が流れ、「風の電話」にはたくさんの方が訪れるようになりました。あの日に「いってらっしゃい」と声をかけて送り出したご主人や、喧嘩したまま声もかけずに別れてしまった家族と話をするために、その電話に向かって話しかけるのです。
たくさんの方々が、それぞれの想いを胸に、電話線も繋がっていない黒電話の受話器を耳にあてるのです。
もちろん、何を話しかけても受話器から相手の声は聞こえてきません。
この方たちの声は、大事な人に届いているでしょうか。
答えるとすればこの一言です。
「わからない」
わからないけれども、届くと信じて、届いていると信じて生きていけるのが、私たち人間なのです。

私たちの人生において「わからない」ことは、確かに心配で、恐ろしいとかもしれません。
自分が学んだ知識や蓄えた経験で、何とか答えを導きだしたいと思うのは当然のことと思います。
私にとっての「禅の修行」も、まさに「わからない」ことだらけでした。
無理に理屈をこねて理解しようとせずに、根拠を求めようとしない。
ありのままで、「わからない」と心から納得することができれば、きっと自然体で生きていけると思うのです。

https://www.bdk.or.jp/read/zenpriest/bodaidaruma …
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不識(フシキ)とは、知らないという意味ですが、禅宗の達磨大師が言うところの不識は、認識できないという意味です。


この認識できないという意味は、単に、分からない、理解できない、ということではなく、人知を超えている、言葉では表現できない、といった意味合いがあります。
この達磨不識が、禅の基本的考え方になっています。
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