読解力がないことを曝す様ですが、解らないモンは解らないので質問します。聞くは一時の恥~…っていいますし。

“伊豆の踊子”のラスト、『ずっと遠ざかってから踊子が白いものを振り始めた。』とありますが、一体何を振ったのでしょうか?

推測でも、「解らないところが良いんだってば」という解答でも結構です。
よろしくお願いします。

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A 回答 (5件)

ハンカチのようです。

踊り子は手ぶらで乗船場へ来たのでしょうから、別れに際して
たもとからハンカチを取り出して振ったと考えるのが自然だと思います。
夏目漱石の『硝子戸の中』に和服の女性が袂からハンカチを取り出す描写があります。
女は何かに感激したものと見えて、袂(たもと)から手帛(ハンケチ)を出して、
http://www.aozora.gr.jp/cards/souseki/htmlfiles/ …
この作品は大正4年1月・2月の発表です。
芥川龍之介の『手巾(ハンケチ)』という短編に、和服で袂にハンカチを入れていた
婦人の姿が描かれています。
http://www.aozora.gr.jp/cards/akutagawa/htmlfile …
この作品は大正5年(1916)の発表です。
川端康成が伊豆に旅したのは、大正7年(1918)のこと。従って、踊り子が袂にハン
カチを入れていてもおかしくありません。

ただし、白い布を振るのは、西洋から伝わった習慣とばかりは言い切れません。
『万葉集』巻五・八六八番に「松浦縣佐用比売の子が領巾振りし山の名のみや
聞きつつをらむ (山上憶良)」という歌があります。
その他、
今はとて島漕ぎ離れ行く舟にひれ振る袖を見るぞ悲しき(落窪物語
千載和歌集 巻第十四(恋歌四)
   堀河院の御時、百首の歌奉りける時、恋の心をよめる 藤原基俊
0847木の間よりひれ振る袖をよそに見ていかがはすべき松浦まつらさよひめ (0961)
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この回答へのお礼

何だかとても説明的で申し訳ないです。ありがとうございます。

“伊豆の踊子”を川端氏が書かれたのは昭和元年のことの様で、大正過ぎていますね。
舶来品っぽい、ということで勝手に「ハンカチは高価だ」と思い込んでいたのですが、かなり一般化していたのですね~。しかも、古くから日本にあった風習の様で! 
増々ハンカチでもOKな感じ。

[お礼とは関係ないですが]
布系以外を考えている方っていらっしゃらないんですかね? …なんて、ちょっとリクエストしてみたり。(遊ぶな)

お礼日時:2001/08/22 13:38

私はハンカチだと思います。



確かに手ぬぐいの方が当時の踊り子が使用しているのにはふさわしい(?)気がしますが、布を振る行為は舶来だと思います。
また踊り子である以上、衣装にはそれなりの気を使う物だと思うので、ハンカチの一枚くらい持っていても問題はないと思います。
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この回答へのお礼

おお、ハンカチ派の人だ(笑)
私も“布を振る”のは向こうから来たものだと思います。
…すっかり忘れていたけれど、“何”を振ったのか解らないから質問したんだ(苦笑) でも、十中八九、布系なのでしょうね。
うーん、旅芸人の収入って結構良いのかなぁ。だったらハンカチも考えられるかも知れない。
衣装にはそれなりの気を使う物、というのも納得です。

お礼日時:2001/08/22 13:25

私は読んだことがありませんが映画でなく、川端康成がこれを書いた時代から


考えて手拭でしょう。

当時はハンカチは洋風でハイカラなもの、旅から旅をしている踊り子には
似合わないと考えられた時代、タオルも同じ理由で考えられません。
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この回答へのお礼

成程。妙に納得します。
確かに、一座が周囲からあまり良い感じに思われていないというのは、文章中からひしひしと伝わります。

sdaruさんは読んだことがない、ということですが、素敵なお話です。文章も綺麗なので、是非読んでみて下さい♪

お礼日時:2001/08/22 13:16

 回答ではありません。

悪しからず、しかし伊豆の踊り子と言うことで投稿させていただきます。確か高校2年のときに何の授業かわからない(社会?)が先生に視聴覚室に連れて行かれ見た映画が「伊豆の踊り子(山口百恵、三浦友和版)」でした。小説自体は既に読んでいたのでストーリーは知ってました。男子も女子も静かに見入っていました。そして最後のシーン・・・映画ですから、原作に忠実なわけではありません。しかし・・・。ラスト、三浦と別れた百恵ちゃんは宴会の席で踊りを踊り、宴会客のエロじじいどもに引っ張られオロオロして・・・フェードアウト。クラス一同総スカン。「なんだよぉーあのラストは~」男子が怒りの声をあげておりました(笑)。見せた先生も苦々しい表情でした。
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この回答へのお礼

そりゃ怒るわ(笑)
うう、美しい良い話なのに…(涙)
映画かぁ。そういえば観たことないです。良い機会だから観てみようかしら。怒ると解ってて見るのもまたオツなものです。(そうか?)

お礼日時:2001/08/21 21:58

手ぬぐいだったような気がします。

大昔に読んだから記憶が曖昧……。
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この回答へのお礼

早々のお答えありがとうございます。…ってゆーか早ッ!(笑) 9分で答えが返って来るなんて。

手拭い…。やっぱりそうなのかなぁ。私もそう思うんですが、何かウラありそうで。ははは。
でも、一般論的には手拭いですよね。うん、自分が普通の感覚持っている人間で良かった(笑2)
…何か適当な感じのお礼ですみません。

お礼日時:2001/08/21 21:53

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2 です。

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古今東西に 素晴らしい作家は ずいぶんたくさん居るので あなたが 一生を 費やしたところで それらの本の一部しか 知ることは無いでしょう。

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自然な読書をしているうちに 深い感動をあじわって ピッタリはまり 一生読み続ける様な本が いつ 現れるか わかりません。
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貴方の表現力は きっと 村上春樹でなく べつの もっともっと 深い感動を与えてくれる 作家の読書の中で育っていくものだと思います。

2 です。

誠実な返答ありがとうございます。

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これについては、作者、川端康成自身が同様の質問を受けたことがあったそうです。

川端は当初(1~3とも)「踊り子に決まっている。それが分からないのは、読み方が足りない」と思

っていましたが、作品を読み直してみて、「私」が主語(動作主)と取られる可能性があることを初めて

知ったそうです。

それは、もし主語(動作主)が「踊り子」だとしたら、他人である「私」に「さよならを言はうとした」

という内面の心理が分かるはずがないからです。

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を言はうとした」の前に「踊り子(が)」という主語が隠されていると見るのが自然ではないか、とも

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確かに「さよならを言はうとしたが」の主語が「私」であるなら、冒頭の「私が」は「私は」とするべき

でしょう。「は」は文が前件、後件に分かれる際、後件にまで影響を及ぼす機能を有しているからです。

①私は家に帰ると、テレビをつけた。

②私が家に帰ると、テレビをつけた。

①の「テレビをつけた」の主語(動作主)が「私」であることは、疑いの余地がありません。これに対し

②の「テレビをつけた」の主語(動作主)は(おそらく「私」と同居しているであろう)「私以外の者」

となります。

これについては、作者、川端康成自身が同様の質問を受けたことがあったそうです。

川端は当初(1~3とも)「踊り子に決まっている。それが分からないのは、読み方が足りない」と思

っていましたが、作品を読み直してみて、「私」が主語(動作主)と取られる可能性があることを初めて

知ったそうです。

それは、もし主語(動作主)が「踊り子」だとしたら、他人である「私」に「さよならを言はうとした」

という内面の心理が分かるはずがないからです。

しかし、その一方で川端は「私が・・・振り返つた時...続きを読む

Q詩の読解

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という内容です。
お父さんは蜻蛉の話をすることによって子供に何を伝えたかったのですか。
私にはこの子供の意見を認めつつもちょっと違うぞ、と言っているように思われましたが、自信がないし、詳しいところまでわかりません。
意見をお聞かせください。

Aベストアンサー

吉野弘さんの散文詩ですね。
>私にはこの子供の意見を認めつつもちょっと違うぞ、と言っているように思われましたが
かいつまんで言えば私もそう思います。^^;
#1の方が参考サイトを紹介してくださっていますが、
私にも少しだけつけ加えさせてくださいな。

僕に「産んでくれとは頼んでいないのに」という無力感はみられません。
英文法的なあるいは哲学的なひらめきに上気している息子に動揺しているのは、
父親の方。
その父親が蜉蝣の話を語ることで、
はじめは命が生まれることの不思議さに無邪気に打たれていた「僕」は、
「ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体」
であった自分を初めて知り、
父親の悲しく切ない想いにシンクロすることになります。
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生まれる、ということは単純に喜ばしいだけのものでもなく、
また男女の性交の結果にとどまるものでもなく、
この世にムリヤリ引きずり出されるのでもない。
他の命とひきかえに新しい命は生まれるのだということ。
こうして生まれた命は、
蜉蝣の雌の腹にぎっしり充満した光りの粒々のように、
美しくて、そして悲しく、せつないものだということ。
生きていくということは、
運命に惰性的に流されるのでなく、人まかせなのでなく、
まさに命がけなのだということ。

知らないでいるということは、人を無邪気でいさせてくれますが、
父親は「僕」のこの無邪気さを否定したかったのだと思います。
すべてを知っている父親の心に刻まれている、命のありかたの悲しみとともに、
命の愛おしさを息子に知らせようとしたのでしょう。

僕の命は、母親の体いっぱいにつまった悲しみと愛おしさそのものだったんだ。

そう感じた「僕」の中に、ある種の罪意識…いやそれよりも、
母にもらったこの命に対する畏敬の思いが、強く強く湧き上がった、
そんな印象を受けます。

命がけで自分を生んでくれた母の命を大切に思うことが、
自分の命をも大切に思うことになる。
父親の(そして作者の)意図はここにあるのではと思いました。

吉野弘さんの散文詩ですね。
>私にはこの子供の意見を認めつつもちょっと違うぞ、と言っているように思われましたが
かいつまんで言えば私もそう思います。^^;
#1の方が参考サイトを紹介してくださっていますが、
私にも少しだけつけ加えさせてくださいな。

僕に「産んでくれとは頼んでいないのに」という無力感はみられません。
英文法的なあるいは哲学的なひらめきに上気している息子に動揺しているのは、
父親の方。
その父親が蜉蝣の話を語ることで、
はじめは命が生まれることの不思議さに無邪気...続きを読む

Q小説『伊豆の踊子』のラストシーン

小説『伊豆の踊子』のラストシーンについてです。
ラストは「私」が涙を流して終わるじゃないですか。あれはいったいどういあことだったのでしょうか。
私なりの解釈は、素直になれた自分に対しての安堵というか、ホッとするような気持ちが一番の要因なのではないかと…
皆様はどうお考えですか。

Aベストアンサー

私は質問者様とだいぶ似ているのですが、
主人公は素直になれたことで、他人の誠意や真心が真っ直ぐに伝わるようになってきて、それに気がついた。
そして、他人の優しさなどに気がついたことで、それまでの自分が哀れに思えてきたのだと感じています。
周囲の人の気遣いに感謝とそれに気づかなかった自分の哀れさに…というのが入り混じった涙だと感じています。

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よく国語の読解力をつけるためには読書がいいと言われますが、本は文学作品でなければならないのでしょうか?
以前、夏目漱石や志賀直哉などの本を読んでみましたが、全然面白くなくて、途中であきらめてしまった物もあります。
私は理系人間なので、工学系の本(例えばコンピュータ史の本)が好きでよく読むのですが、これでは読解力はつかないのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

工学関係の本と文学系の本では、文の質が違います。
質というと語弊があるので、特性と言った方がいいかな。

工学系の本は、とにかく誤解が起こらないことが第一です。
書き手も、誤解の余地が少なくなるように工夫して書いています。
道にたとえれば、整理され舗装された道です。

文学系の本は、多少誤解が起こってもかまいません。
かえって誤解を楽しむようなところもあります。
言いたいこともはっきりとは書いてません。
書く方もはっきりわかってないかもしれません。
道にたとえれば山道です。
読む側は、それを乗り越えて読まなければなりません。

文学系の本でも、文学作品と限ることはありません。
むしろ小説より、論説分やエッセイの方が
読解力をつける助けになるのではないでしょうか。
科学畑の人のエッセイでもいいでしょう。

いろいろ読むよりも、同じ本を何十回も読む方がいいように思います。
30回も読むと、「ここの文には、書いてないけど、
こういう意味があるんだな」
「こういうことを書きたかったのだな」
「筆者はこのへんは書いてて自信がなかったな」
などがわかるようになります。
もっとも、つまらない本だとそんなに読めないので、
面白い本を探すのが前提です。

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道にたとえれば、整理され舗装された道です。

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言いたいこともはっきりとは書いてません。
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Q「伊豆の踊子」の結末、なぜ「私」が甘い快さをしたの?

川端康成の著作「伊豆の踊子」をざっと目にして、その結末について、分からないところがでました。どうして主人公「私」が「美しいくうきょの気持」や「すがすがしい」や「甘い快さ」といった気持が出たのでしょうか。非常に悲しい気持を持っていたはずなのに。この本に詳しい方々、よろしかったら、100字ぐらい/以上お答え頂きたいのですが。お願いします。どうもありがとうございます。

Aベストアンサー

簡単に言えば、この主人公は身分違いで結ばれるはずもない、行きずりの踊り子に対して、擬似的な恋愛をしていたに過ぎないのです。
ちょうど現代の若者がゲームで擬似恋愛をするのと同じようなものです。
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Q古文の読解法

文法はかなりやったつもりですが、どうしても古文がよめません。単語はマドンナ古文をやりました。読解のこつそれか、いい参考書をおしえてください。

Aベストアンサー

ありきたりですが、文法・単語を一通りやっているのなら、次はひたすら自力で訳してみるとよいのでは。
ただし、頭の中で考えているだけでは駄目です。古文(問題集でも教科書でも)をノートに写して、隣に自分の訳を書いて、さらにお手本(参考書でも日本古典文学大系でも)も書いてみて、自分の訳と比べておかしいところを直していく(できれば先生に添削を受けて、どこが間違っているのか聞いた方がいいのですが)。これは地道だし時間もかかるし自分の実力と直面してしまうし辛い作業かと思います。最初はほとんどできないかも知れません。しかし、自分の頭の中を書き出していくのは結構勉強になると思いますよ。書いて比べていくと、どこが分からないのかが分かるはずです。もちろんお手本と全く一緒の訳にはならないと思いますが、「訳し方(経験的なもの)」はいずれ身に付いていきます。
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長々と書いたにも関わらず即効性がない方法ばかりで申し訳ありません。しかし、国語ってやはりそんなもんだと思うんですよね~。頑張ってください。

ありきたりですが、文法・単語を一通りやっているのなら、次はひたすら自力で訳してみるとよいのでは。
ただし、頭の中で考えているだけでは駄目です。古文(問題集でも教科書でも)をノートに写して、隣に自分の訳を書いて、さらにお手本(参考書でも日本古典文学大系でも)も書いてみて、自分の訳と比べておかしいところを直していく(できれば先生に添削を受けて、どこが間違っているのか聞いた方がいいのですが)。これは地道だし時間もかかるし自分の実力と直面してしまうし辛い作業かと思います。最初はほ...続きを読む


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