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自分の心ですら、自分は思うがままにならない。

ましてや、相手の心を思うが儘にできるはずもない。

ですが、自分の心、つまり、自分のセルフコントールが長けている人は、他者の気配り・心配りも上手い。

正直、今、考えている、此の自分の心という掴みどころのない、心も明日は、何処で何を考えているのか、自分の心ですら、人は予想がつかない。

誰もが自由に物を考えられるが、自分の心を束縛することは誰も出来ないのだ。


彼を知り己を知れば百戦殆からず 故事成語


何かどうぞ

質問者からの補足コメント

  • 「社会機能が正常に健全に働いている」という表現が適切な表現ならば、総理大臣が傑出していたり、東大卒がばかりが多いに社会で活躍しているのが、健全な社会ではないのですね。

    社会機能が正常で健全に働いているというのは、一部の傑出した層が多いに役立っている、社会では、正常で健全な社会になっているとは言えない訳です。

    正常で健全な社会運営がなされているというのは、近所のお爺さん、お婆さんが元気溌剌で、おじさん、おばさんの笑顔が絶えず、若い人が意欲に燃え、子供は、元気よく遊んでいる社会、それが正常で健全な社会です。

      補足日時:2021/05/24 09:56
  • 心は空を掴む如く、定まらず、人間の心は、安定と不安定の淵を彷徨いながら、確信したと思っても、実は確信には至っておらず、不安はもったりと頭をもたげる。心と言うのは、実に不可解で、積極的で明朗な人物であったとしても、自らのネガティブ感情を知らぬ間に自らを襲う。ネガティブ感情という、雨天や曇天も長続きはしない。雨天や曇天にもやがて、一筋の光が差し、ポジティブな感情がじわじわっと、現れ、心が晴れ晴れとする。だが、その晴天も永遠ということはなく、また、雨天や曇天のネガティブ感情が頭をもたげ、土砂降りになるのかもしれない。

    --つづく--

      補足日時:2021/05/24 10:20
  • そんなこんなで、人生とは、思えば遠くへ来たものだと思うが、人生の過去というのは一寸先の以前のように、記憶の中で生成され、実に人生とは短い道程であった、と深いため息をつく。そのころには既に、自分は耄碌していて、人生の終わりを覚悟しなければならない、冬の季節を迎えたのである。

    果たして、人生に意義・意味などという付加価値を見出す方が贅沢で、誤った価値観なのかもしれない。

    人は生まれ老い病に倒れて死ぬ。

    それは自然の摂理でもあり、誰もが避けて通れない、生老病死の四苦であり、人生は只あり、只終わるのである。

    -- 終 --

      補足日時:2021/05/24 10:21
  • どんな人生であれ、生ある者は最期には死す。


    人生はあるのだ。だが、終わりのない人生もない。


    人生に評価は必要なのか。

    老いも若き人も、只管、人生というのは、耐えることばかりを強いられて、気づいたら、棺桶の目の前にいる、哀れで悲しい、道化師の物語。

    私は或る意味では反出生主義だ。

    人生に意義や意味など、特にないのだと思う。

    私の人生が幕を閉じることで、私の一族は滅亡する。

    それで、いいと思うのだ。こんなに人生が儚く、辛い道程ばかりを強いられることを自分の子孫に課すことも無かろうと、私はそう思う。

      補足日時:2021/05/24 10:35
  • 同性愛、LGBTなどは、精神病ではないのですよ。

    その人たちだけをターゲットにして、社会が同性愛カップルを社会的に葬ろうと画策している人たちが多いようでは、精神を病んだ人たちには更なる冷たい仕打ちだろうね。

    犯罪白書に依れば、

    精神病患者と健常者では、犯罪率は精神病患者の方が低いのですがね。

      補足日時:2021/05/24 11:38
  • 心を病むと、精神症状だけの問題に留まらず、社会的にも葬られることが多い。只でさえ、症状のみを例にとっても、ネガティブ思考というのは、一般社会から疎外される傾向が強い。だけに留まらず、社会的地位も賃金も得られないまで、追い詰められたら、社会の方が精神病患者は死になさいと宣言しているようもので、精神病患者は自傷他害の怖れがあるとされることで、社会的信用度は全くない。オマケに地位もカネも喪失しているので、死にたくなくとも、知らぬ間に社会の方から抹殺を申し渡される危惧は払拭できないとおもうけれどな。
    ---つづく---

      補足日時:2021/05/24 11:57
  • 心を病むというのは、心に被害が起きたからが原因です。犯罪被害者、パワハラ被害者、セクハラ被害者、虐め被害者も多い。

    何ら問題のなかった健常者で社会の一員だった人が虐待を受けたことで、精神病に至ることも多い。その被害の程度は最悪何十年も続き、ついには人生を棒に振ってしまうケースも多々あるのだ。加害者は罰せられず、被害者は最悪命を自ら絶たねばならないケースは多発すると聞くが。

    政治は全く被害者救済しようとしないのが現実だ。

                                         ---おわり----

      補足日時:2021/05/24 11:58
  • 私のささやかな人生を奪った相手も確かに憎い。

    だが、そんなに憎む自分もやっぱり許せない。


    だから、私は、人生が幸福になれる可能性を自ら絶ってしまったのです。

    私は育ちは良かった方かもしれない。

    だが、組織というのは、自分の意志ではどうにもならないところで自分は勝手に査定され、私に落ち度はないのに、私に落ち度があったという解釈で無理やり解決を試みることをするのです。

    私には未来がない。

    奪われた年数は、三十年。只自殺だけを考えていた、歳月だった。


    組織の論理では、一介の労働者など、自ら腹を斬れとの責任転嫁であろうか。

    組織に問題があっては困るのだよ。君が悪かったことにすれば、組織に迷惑は掛からない。

    私は人生を失った。

      補足日時:2021/05/24 18:01
  • 直属上司は、指定暴力団だと新入社員であった、私に凄み、配属決定日から連日のように暴言を浴びかせた。

    そのような危険極まる配属先を決定したのが人事部であり、社は、2000年前後に経営危機を迎えていることから、体よく、新入社員時代からリストラ要員として、採用したというのが企業の本音であろう。

    私は精神を病み、僅か、半年でリタイヤし、企業は私の健康被害は私の責任で精神病を発症したと譲らず、社会的に私は葬られた。

    二十代だった、私も五十代後半に段々さしかかり、結局、私は死を選ばざるを得ない。

    政治は何もしてくれない。

    企業の体よい責任転嫁は、私の人生を地獄へ真っ逆さまに叩き落した。罪の意識は全くなく、加害上司は、OB会会長に就任した。

    一体、私の人生はなんであったのか。そんなに企業が私を許せない理由が、まるで不明だ。

    臭いものには蓋をするのであろう。

    死人に口無しという戦法か。

      補足日時:2021/05/24 18:51
  • 私が入社したのが、93年。

    人権侵害などという可愛い待遇ではなかった。


    組織は刺客を次々に送り出し、私は、虫けら同然の扱いをうけた。

    企業の待遇は、自らの人事ミスを封印するために、会社内部で私を自殺させることで大企業の組織力を使って、政界とパイプを持ち、口封じに走ったのであろうか。

    私の人生は、二十代で終わり、後は只、生きた屍と変わらない。


    私の始末は私で付けるしかないのか。

    社会の片隅で生きる私は、此の国の闇を思い知らされることとなった。

    昨日から一睡もできず、私の精神状態は最悪だ。

    私は死ぬというより、この金融腐敗列島日本によって、謀殺されるというのが私の人生の最期なのだと思う。

    大企業は、潤沢な政治資金を闇献金して、政界と繋がっているとは大体、想像つくが。

      補足日時:2021/05/24 19:53

A 回答 (8件)

昔はおしゃべりな人が居たもので 自分の言いたいことを



相手が喋る間も与えずわ~~~~~~~とまくし立てる

そんな感じで 人の書いたものに100連答?位する人って

もう相手に読むことも 傍が読むことも考えてませんねえ

それが一つ一つ読むべき内容があるならまだしも

色々と不満や 或いは好感を書く

その上訳の分からないアイコンを貼ったりする

僕はお腹が痛くてその様なことをされると痛くてたまらない

簡単に言えば 相手のことを考えて書いているのか?

内容の在ることを書いているか?というようなことでです

言葉は自分本位 自己満足ではつたわらないのです。敢えて苦言を呈します。
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この回答へのお礼

私はあなたに返信できないのです。

あなたは、私をブロックしていますからね。

お礼日時:2021/05/25 12:07

設定が目茶苦茶ですね


貴方は21才の女学生なのでは?

経歴詐称してる人の
言葉は信用できませんね
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この回答へのお礼

詐称を装ったのは、haru 27 氏に接近するためです。私のことを知っている人たちは、とっくに私の正体を暴いています。

ムカリン氏も私を暴いていましたが。

お礼日時:2021/05/24 18:35

質問者様は、どこかで目にしているかもしれませんが、、、



人間の生命状態というものがあります。

***************************************************
【十界】

・地獄界・・・苦しみの境涯
・餓鬼界・・・欲深い境涯、どのような状況でも常に満たされない状態。
・畜生界・・・本能のおもむくままに生きる境涯。⇒以上、三悪道
・修羅界・・・憎しみが強く、争いを好む境涯。⇒以上、四悪種
・人 界・・・一般的な『人間』の境涯。
・天 界・・・喜びの境涯。⇒以上、六道。六道輪廻の六道です。
・声聞界・・・悟りを求める、求道の境涯。
・縁楽界・・・自然現象などから、物事の真理を悟る境涯。⇒声聞、縁楽二つの境涯を併せて『二乗』といいます。
・菩薩界・・・悟りの道を開いて、人々を救おうとする境涯。
・仏 界・・・究極の真理を悟った覚者の境涯。

この十種の境涯が、一つも欠けることなく人(衆生)の生命に具わっている事を『十界具足』と言います。
そして、何かの縁に触れる事によって、瞬間瞬間にその境涯が変化していくのです。
その生命の奥底にある十種の境涯が、意識や言葉、表情や態度や動作にそのまま表れてくるのです。
そしてそうした事が関係して、自身の生活環境や地域社会を形成しているのです。

***************************************************

これを踏まえて、自分もしくは相手を見た場合、その生命状態も見えるわけで、そこを上手にコントロールする事ができるでしょう。
基本的には、大慈大悲を持って、相手を良い方向に導く事が肝要だと思います。
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この回答へのお礼

恐らく、私は、餓鬼と畜生に無縁かも。

只、地獄と修羅は彷徨っているかもしれません。

私は諦めているのですね。人生は苦しみの集大成だ、と。

抑々、人生が苦しいのは仕方のないことだ。

だからと言って、幸多き世界に行きたいとも思いません。

基本的に、私は宗教というのは信じてはないのですが。

私は罪深い人間だから、人生が苦しみの連続で、その先も期待すらしていないのです。

私は罰を受けるべき人間であってですね。救われる資格すらない人間だと諦めています。

お礼日時:2021/05/24 17:36

「愛」


を動詞で表すと
・与える
・受け入れる
・許す
僕はこう思ってます。
もちろん
相手に対しても
自分に対しても・・・
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この回答へのお礼

与えることは難易度はそう高くないです。

受け入れることは、次に難易度が高いです。

許すことは、自分の将来がそれでも生存可能だということが、約束されたことが担保にあるのであれば、赦せるでしょう。

私は宗教組織はペテンだと思っているし、神を信じることはしません。


ただ、Jesus が十字架から降りようする意志が固いのであれば、降りれたのにも関わらず、敢えて自らの死を選んだのは、人間業ではないと思えます。

Jesus は本当は死刑に処されたなかったとか、身代わりがいたとか、そういった話を抜きにするならば、見返りもなく、自らの死を受け入れることは人には出来かねるか、と、思われますが。

だからといって、私は、キリスト教は信じていないし、寧ろ、宗教組織と聞くだけで憎悪しますがね。

無論、私は弱い人間なので、Jesusに唾することもあります・・・・・。

飽くまで、私が観た天国は飽くまで主観なのでしょうが、あれほどまでの完璧な天国を自分の想像力で描けるとはとてもそのような能力が自分に眠っているとは思えないのですが、私は基本的には、来世を信じません。

お礼日時:2021/05/24 15:46

意味や意義はわからないが 良いものや大切なものは 確かに存在する。



であれば それを守り そこに向かい それに少しでも傾け導くことが 命の活かし方だと思う。

人生は一時で儚く 悠久の時の前では塵芥に等しいが たとえ極小の一分子であろうと 在るべくして在り なるべくしてなっている。
因果は必ず繋がっている。
貴方の歩いた後に道はあり それに関係した多くの者は 貴方の影響を受ける。

体を構成する細胞の一つ一つは 何ら意思もなく生きているが 総体として意思を持ち 行動するように 全ての生き物は流転還流の中で何かしら影響を与え合いながら 生きて死んでいく。
それで良いだろう。

「辛い」「楽」は 古き本能を司る脳の ホルモンの結果に過ぎず それほど大きな問題でもないし 嘆くこともない。
そう 感じさせられているだけだ。

とはいえ 貴方は子をなさなかったのであれば 人類の継承という仕事に関しては ちとサボってしまっただろう。
が それも一つの選択。
別に 皆が同じ仕事をやらなくてはならないわけでもないのだから まあ チョメ! という程度だろう。
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この回答へのお礼

他者の命を守るということは身体的な命を守ることだけではない。

その人の命を守るということは、その人の全人格を受けいれるということです。

つまり、その人の心を守れなかったら、その人は人生を棒に振ってしまうかもしれない。

それだけのことだと思いますよ。その人の心を扱うということはです。

多くの日本人には精神病患者というと根深い差別や偏見を持つ人が少なからずも多いのだけれど。

好んで心を病む人はいない。

心の病み方の程度次第ではその人は死んでしまうのかもしれない。

人命を守るのは身体的な問題のみで命を守るだけに留まらず、社会の方がどんな人であれ、その人の人格的な問題を受け入れるよう社会が変わらねば、心を病んだ人たちにたいする、意識というのは変貌しないのだと思います。

お礼日時:2021/05/24 11:31

うんこは少し違う気がする。


気持ちはいいが。

だが まあ良いウンコは 良いことには違いない
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この回答へのお礼

大便や小便は健康のバロメーターですぞ。

お礼日時:2021/05/24 10:02

大切なのは 何を求め 何を行うか だな


ただ在るだけ 自由なだけでは 腐った水と同じ
自分を善く使う意思は 見つけたい者であれば 必要不可欠と思う
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この回答へのお礼

求める物は得られないことが多いですね。人の価値観というのは、同じ人間でも変貌するもので、若い時は大いなる志があっても、年を取れば、今日、目刺しが食えれば良いな、焼きそばが食えればよいな、と自分の身の丈にあった、願望へと変貌を遂げるものです。

その背景には、年を取れば、社会の方から自分の査定というものは当然下がりますし、本人もあり得ないような野望は抱かなくなるものです。

極端な話、今日は、下痢にならずに、いいうんこをしただけで嬉しいものなのです。

人間の器量が狭くなったと若い人は笑うかもしれませんが、楽しみというのは、自分で見つけなくてもならないのです。年を取ると、あちこち、身体の故障を来すようになるので、健康なうんこをしただけで、結構、嬉しかったりするのです。

お礼日時:2021/05/24 09:24

で、質問は?

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この回答へのお礼

質問はどう思いますか。なので、なにを書いて下さっても結構です。

激しい罵倒や非難でなければ、なにをお書きになられても大丈夫ですよ。^^

お礼日時:2021/05/24 08:47

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