初めて自分の家と他人の家が違う、と意識した時

織田たちは自分たちの分国をどうやって守っていたのか教えてください。壁など作っていたのですか?

A 回答 (3件)

人質を取るなどして、一度従った者が簡単には裏切れないようにしていました。


また、嫁とりや養子縁組などをして宴席関係をきずき
裏切りがないようにもしていました

そして家来になった者の領地が他国に侵略されるという有事の際、
一度従った者の領地は主君が軍事力を使って必ず守る
という頼もしさをみせて、この主君についていけば
自分の領地は安泰・必ず生き残れると思わせ
心から従わせるという事もしていました。

結局は、人間的魅力や実質的な損得勘定で
ひとの心をひきつけたり・つなぎとめるという方法により
人が主君を裏切らない→結果的に家来どもが離れていかない→全体として領地が維持されるという仕組みであったと思われます
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領内の全てを壁で囲うことなど無理だ。


信長の父親の信秀と斎藤道三の戦いのようすは書物などでみることが出来るが、川を挟んで川の向こう側が織田の領地と言うことで、双方が納得をしていた。
所が、頻繁に織田軍が川を渡って美濃に攻め込んでくるのを、その度に追い払うのに疲れた斎藤道三は、可愛い娘を馬鹿息子として有名だった信長に差し出した。
下に、楽市楽座のことを書いているのがいるが、この当時はありとあらゆるものに権益があった。斎藤道三が油売りだった話しは有名だが、油も権益があって自由に売り買いが出来なかったのだ。これを最初に斎藤道三が油だけではなくありとあらゆる商品を自由に商人が売り買いを出来るようにし、信長がそれをまねたのだ。
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近代みたいに、人が通れる道は多くないので、道に”関所”などを設置して、他国との壁の代わりにする大名が多かったようですが。


(それでかなり、他国との壁になるでは、形式的ですが)

信長さんは、それを自由に解放して、商人の往来を比較的自由にし経済発展を促進し、城内の景気を良く(自由市?)したらしいですね。

それと戦で勝利し、倒した領地の城を信頼できる武将(部下)に統治させていたのでは。

城を新しく建築する場合も多かったようですね。(石垣を構築し、落城しにくくする建築技術も長けて居たようですね)

勿論、同盟になったり、戦わず降伏させたりして奪った領地もあったでしょうが。

つまり、攻めて来れないような立派な軍隊(傭兵であり農民兵では無くて)と、強固な城で、関所が無くても攻めて来ない様にしていたのかな。。。。

(素人情報です。。)
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