人類が数を扱い始め、数学を創始してからこっち、古くは、ピタゴラス、ユークリッド、アルキメデス、ブラフマーグプタ、比較的近代では、オイラー、ガウス、リーマン、カント―ル、ヒルベルト、ゲーデル等々、錚々たる天才たちが一度はその証明に挑戦した(かどうか、定かでない)が、未だ誰一人、成功した者のない方程式、
『a=a』
この方程式のことを考え始めたのは、ふとした躓きから、集合論を調べ始めたことが切っ掛けでした。
集合論には、選択公理という命題があります。ここでは、選択公理を『無限個の元を持った集合が無限個の元となっている集合がある(つまり、集合の集合)。その元となっている集合の各々から任意に一個ずつ元を選び出し、それらの元で新たに集合を作ることができる』ことを主張する命題と定義します。しかし、公理と付いていることからわかるように、この命題は証明できない(少なくとも、現時点では証明されていない)。仮に、選択公理に従わない集合、いわば、選択不可集合なる集合があるとしたらどうなるか?そんな集合が無限個存在するとして、その一つを仮にAと呼ぶことにします。
この時、もう一つ、選択不可集合を持ってきて、Aと等しいか調べようとしても不可能となる。というのは、集合同士が等しいか、異なるかを判定する最も基本的な方法は、各々の集合から一個ずつ元を選び出し、比較すること。しかし、選択不可集合の場合、元を選び出し続けることが不可能なため、判定は不可能となってしまう。そして、この事実は、選択不可集合A自身についてもいえる。AがAと等しいと確認するためには、やはり、Aから一つずつ、元を選び出し、A自身の元と比較していくことになるが、それが不可能だから。つまり、A=Aとは判定できない。といって、A≠Aとも言えず、宙ぶらりんになってしまいます。もっと言えば、Aの濃度をℵaとすると、しかし、このℵaをAが持っているかどうかも判定できない。集合同士の濃度が等しいかどうかの判定も、やはり、元を選び出して対応関係を調べることが基本だからです。これでは、無限集合Aの無限度=無限の大きさがどの程度なのかも判定できない、極端に言えば、無限かどうかすら判定できないことになる!…と、これはちと、暴走し過ぎか。本題からはブレてるし。
しかし、a=aが見た目ほど自明とは言えない感を強くしている情況を少しはお伝え出来たのではないか、と思います。そこで、教えて、なのですが、a=aが自明でない公理体系は知られているのかor考えられているのか、です。a≠aとまではいかずとも、a=aを証明の前提とはできず、証明対象になるような数学体系はその可能性ぐらいは考えられているのか。
もし、御存知の方がおられるなら、ご教示いただければ幸いです。長い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。
A 回答 (14件中1~10件)
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No.3
- 回答日時:
"=" は数学における「関係」ではなくて、「等号を含む一階述語論理」という論理体系の一部として扱うのが普通でしょう。
この体系で扱うモノは「対象」と呼ばれる。例えば ∀x P(x) のxは対象のことです。で、等号を含む一階述語論理の公理の一つが ∀x(x=x) であり、これは数学とは(もちろん選択公理だの集合だのとも)無関係の話です。いわゆる「数学基礎論」すなわち集合の理論は、対象として集合というものを持ってくる。そして、いくつかの公理を並べて"∈"というモノの性質を定め、これに「等号を含む一階述語論理」を適用する。公理系のうちに選択公理を含めても良いし、いや選択公理は入れない、というのでも良い。それぞれ異なる数学(「理論」と呼びますが)ができます。
標準的な基礎論の最も巧妙なところは、何か勝手な対象を持ってきて「これは集合かどうか」と考える、ということを放棄している点でしょう。そう問う代わりに、まず空集合∅(すなわち∀x(¬x∈∅) を満たすモノ)が対象であることを証明し、以後はこれだけを材料にして作ったモノ(それは集合であることが確かにわかっている)だけを相手にする。それ以外の対象については知らんぷりで放置しているんです。
さて、集合aと集合bがa=bを満たすかどうか、集合の要素を一個ずつ取り出して比べてみるなんてやり方では、無限集合の場合、比較するプロセスが終わらない。数学基礎論においては、(選択公理があるかどうかとは無関係に)集合aと集合bがa=bを満たすかどうかは「外延の公理」すなわち (∀x(x∈a ⇔ x∈b)) ⇔ a=b によって決まる。この判定を(要素を一個ずつ取り出して比べたりしないで)行うにはどうやるかというと:a, bが集合だと証明できているのなら、それは空集合からなんとかして作られたものである。なので、aとbがそれぞれどうやって作られたか、に遡って調べれば良い。
…という仕掛け。ね、巧妙なんですよ。
No.4
- 回答日時:
No.3へのコメントについて。
> どんな集合も空集合から作り出せる(というより、集合とはそもそも、そうして構成される数学的対象である)とする
違いますよ。誰もそんなことは言ってない。ここが巧妙なところです。
> その作り出す過程を使って、一個ずつ元を選び出し続ける
無限集合は、要素を一個づつ付け加えるなんてやり方で作ったりはしないんです。それじゃ作り終わらないから。
このご質問、および関連する疑問について、あれこれ思い悩むよりも、むしろ標準的な数学基礎論をガッツリ勉強することこそが王道(早道)でしょう。その上で、なんらか意味を持つオリジナルのアイデアをご自身で検討なさるのが宜しいかと思います。
No.5
- 回答日時:
最初の回答に書きましたが「a=aを自明としない体系」は既に存在しています。
『ゲーデル・不完全性定理』(講談社ブルーバックス)と言う本の204頁に「ヒルベルト・アッカーマンの公理系による、推論を行うための論理法則」なるものが紹介されていますが、この公理系の中に「a=a」は含まれていないので定理として証明する必要があります。ちなみに同書の205頁にその証明が載っていますが、ウェブ上に書き写すのは無理な式なので実際にその本等を御覧になった方がいいと思います。No.6
- 回答日時:
補足に書かれた疑問についてですが「いくつかの規則を仮定してa=aを証明している」と言うのは当然の事です。
そもそも証明とは「定義や公理から演繹的に『その命題は正しい』と言う結論を導き出す」と言う事ですし、そして公理は「正しいものと仮定する」以外に方法はありません(だから「公理」です)。公理が正しい事は「問答無用で認めるもの」であって「公理が正しい事を証明」と言う発想が数学的に間違っています。なお公理の内容は「他の公理と矛盾する」などと言った事がなければ、常識的に考えてどんなムチャクチャなものでも差し支えありません。「一点を通ってある直線に平行な直線は何本でも引ける(or一本も引けない)」と言う公理を置いた非ユークリッド幾何学が成功を収めているのがいい実例だと思います。
No.7
- 回答日時:
ちなみに「公理を証明しようとする」と言う試み自体は実際に行われた事があります。
非ユークリッド幾何学の確立前に行われた、いわゆる平行線の公理の証明がその例に当たります。もっともこの場合は正確に言えば「平行線の公理は本当は公理ではないのではないか(他の公理から導かれる定理なのでは)」と思われてそれを証明しようとしたものであって、公理だと考えられているものを証明しようとしたわけではありません。No.8
- 回答日時:
先ほどの回答では公理について「問答無用で正しい事を認める命題」と言った書き方をしましたが、こう言った説明を聞くと「正しいかどうかを勝手に決めていいのか(もし間違っていたらどうするのか)」と思われるでしょうから、ここで公理に対する現在の考え方を紹介します。
まず、ある命題を証明しようとすれば別の正しい命題(命題1と呼ぶ事にします)を用いなければなりません。そして命題1が正しい事は別の命題2を用いて証明しなければなりません。もしもこう言った「命題の遡り」が無限に続くとすると、結局「元の命題が正しいかどうかは分からない(∵証明の根拠とした命題が正しいかどうか分からなければその命題を使って証明した命題も正しいかどうか分からない)」と言う事になるので、命題の遡りのどこかで「証明しなくても正しい事が分かる命題」と言うものがなければなりません。この「証明しなくても正しい事が分かる命題」の事を「公理」と言います。
そして昔は「等しいものに等しいものは互いに等しい」と言った、今さら証明の必要がないほど正しい事が明らかな命題が「公理」と受け止められて来ました。ところが非ユークリッド幾何学の公理のように「正しいわけがない」と思えるような命題を公理として採用しても数学的に何の問題も起きない事が明らかになってから公理と言うものの受け止め方が「証明する必要がないくらい正しい事が明らかな命題」と言うものから「正しい事を仮定した命題」と言う具合に変わって来ました。公理の事を「問答無用で正しい内容だと認める」と言うのは概ねこう言った意味です。
とても熱のこもったご返事、感謝を通り越して、感動です!そこで、自分も熱意を込めて、あえて、言います。結局、正しいかどうかは、その体系、数学を扱う人間が正しいと思えるかどうか、つまり、その命題の反例を考えつけない、または反例があるとしても、その反例を許容する体系は理解できないということです。そこで、窮極の疑問になります。人間は、a≠a を許容する体系の数学を定義できるか、理解可能か?
No.9
- 回答日時:
お礼コメントの主張についてですが、ある命題が正しいかどうかについて「人間が正しいと思えるかどうか」は当然の事ながら全く関係ありません。
もちろん感覚的に納得できない結論の命題に対して「正しいわけがない!」と言った事はあり得るわけですが、正しい事が証明されれば人間の感覚とは全く無関係に「正しい事」と認められます。反例についても、一度反例が見つかればどんなに感覚的に納得できないものであっても反例として受け入れられます。ところで「正しい」と言う表現には主観的な面があるので、数学でこう言った話題を扱う時には「正しい」ではなくて「証明可能」と言う概念を用いるようです。証明できたかできてないかは第三者が客観的に判断できるので。
No.10
- 回答日時:
ド素人の直感ですが「a=a」が間違いとなる数学体系は許容云々以前にそもそも構築できないと思います。
公理と言うものは「好き勝手に何でも決めていい」と言うわけではなく、例えば「その公理系から導かれる他の命題と矛盾しない」等の制限があります。「a≠a」を公理なり定理なりとして認めてしまうと、他の命題とぶつかりまくるであろう事は容易に想像が付くわけですから、恐らくは「a≠a」を公理または定理として含む数学体系は作れないと思います。お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
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補足、というより、追加の疑問です。回答を見ているうちに、どうしても気になってきまして。
『選択不可集合なるものが存在するとして、その集合の濃度は定義できるのか?』
本題とあまり関係ないかもしれませんが、どんな集合も空集合から作り出せる(というより、集合とはそもそも、そうして構成される数学的対象である)とするなら、その作り出す過程を使って、一個ずつ元を選び出し続けることが可能とできませんか?どんな集合であろうと、集合であるなら…
現在の状況では、実際に書籍を購入するまたは調べに行くことが躊躇われるので、取り急ぎ、ネットで調べてみました。しかし、結局、いくつかの規則を仮定して、a=aを証明しているということではないか?確か10個の規則を置いていたかな。その規則の証明はどうするのか、というところが気になるところではあります。
本題からかなりブレてしまいますが、それはご容赦ください。作り出す、という言葉が、誤解を与えているようなので釈明を一つ。ある性質aを満たす元を無限個持つ無限集合Aがある。性質aを使えば(うまい言い方ではないですが)元の一個一個を作り出すというか示し続けることが無限に可能になるのではないか、という意味です。うまい例えではないですが、自然数で、任意の大きさの自然数を持ってきて、それに+1する(していく)ことで、新たな自然数をどこまでも作り出す、示し続けることができるという、強いて言うならそんなイメージです。
その正しさ、という基準が結局、人間の判断によるもの。
決して、到達できない要素zが入っていてもよい、ということは、選択すること、選び出すことができない要素があってもよい、ということと同値なのか?これが、現行のZF公理系では選択集合が証明できないということにつながっているのか?
その証明可能ということが人間の判断によるもの。
a≠aとぶつかる命題が出てこないように、その他の公理を設定すると、それはもう数学とは言えない、となってしまうのか…………