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キリスト教学について
第一の天地創造物語において、神は毎日作ったものに良かったと評価していますが、水の分離と人間の創造には良かったと言わなかったのでしょう?

A 回答 (3件)

まずは、とても興味深いことに気づかれたことに感謝したいと思います。



創世記の記述の中で「創造(ヘブライ語:バラー create)という語」が見られるのは、1:1、1:21そして1:27に3回だけです。
「創造」とは無から有を生じさせることです。
つまり、神は「毎日」創造されたわけではありません。
1:1は創世記1章全体のダイジェストですから、人間の創造を除けば、創造されたの「1章21節」の記述だけです。
(なぜかは分かりませんが、創世記中に植物が「創造」されたという記述はありません)
「宇宙」や「光」などの天体の「創造」は、創世記1章の記録には含まれていません。それらは、それ以前に存在(創造済)しています。
創世記の創造記述はあくまで、地と、地上に関するものです。

日本語訳の記述に、それ以外に「造られた」という語が見られますが、(例えば「神は大空を造り」1:7)それらはすべて「ヘブライ語:アサー do, make」であって、「創造」ではありません。
分かりやすく言えば、既に存在しているものの「加工」です。

水を分ける業も加工であり「創造」ではありません。
さて、なぜ、2日目に「良しとされた」という記述がないのかということですが、2日目は、この出来事だけです。
これだけに、恐ろしく膨大な年月が費やされたのでしょう。
これは、途中経過であって、未だ結果を見ないまま2日目を終了しているということです。
望ましい、思い通りの結果が生じたのは3日めでした。

もうひとつ、なぜ6日目にも「良し」とされた宣言がないのかということですが、
逐一発せられた「良しとされた」という宣言は、そもそも何のために、それらが「良い」仕上がりだったのでしょうか。
他ならぬ、「人の住まい」としてのこの地を整える上で、完璧だったということでしょう。

「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。」
一つのまとめとして、記述されたこのモーセにによるとされる記述ですが、「「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。」
「夕べがあり、朝があった。第六の日である。」などの記述は、単なるモーセの勝手な記述であり、神の意志や感慨などは無関係なものだと言えるのでしょうか。

であれば、「それは極めて良かった」という感慨は、モーセのただの思いこみではなく、紛れもなく、神ご自身の満足感を記したものでなくて何でしょうか。
「人間」という存在そのものではなく、地という完璧な環境とそこに、自分に似た「人」を住まわせるという、業をなし終えた時の感慨は、ひとしおだったに違いありません。

ただ一つ言えることは、あなたのこのご質問から気付かされたことがあります。
「人」という存在の物理的な「創造」ははるか昔のことですが、「人」は他の創造物とはあらゆる点で別格であり、ある意味で、まだ完了していない部分もあるのかと。

2日目に「良しとされた」という宣言がないように、「人」については、千年王国の終わりに、つまり、7日目の最後に「神は【人】をご覧になり、これを「良し」とされた」という宣言がなされるのかもしれません。
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「キリスト教学」について全く知らないのですが、旧約聖書の創世記の記載では、


  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
神は言われた。
「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」
神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。
そのようになった。 神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ですから、第二の日には「良かった」「良し」とは神は言ってないです。


  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
神はまた言われた、「地は生き物を種類にしたがっていだせ。家畜と、這うものと、地の獣とを種類にしたがっていだせ」。そのようになった。 神は地の獣を種類にしたがい、家畜を種類にしたがい、また地に這うすべての物を種類にしたがって造られた。神は見て、良しとされた。
神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。 神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。 神はまた言われた、「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。 また地のすべての獣、空のすべての鳥、地を這うすべてのもの、すなわち命あるものには、食物としてすべての青草を与える」。そのようになった。
神はお造りになったすべてのものを御覧になった。
見よ、それは極めて良かった。
夕となり、また朝となった。
第六日である。
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
第六の日に、神が良しと言ったのは、神にかたどる男と女を創造するよりも前に産み出させた家畜などのものまでです。 
上記の第六の日の最後に《神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。》という文がありますが、《見よ、それは極めて良かった》は神の言った言葉ではなくて、創世記の記述者が読者向けにしている解説のようなもののようです。 神は、ご覧になっただけのようです。

創世記の第5章には、次の文章があります。
   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
神は人を創造された日、神に似せてこれを造られ、男と女に創造された。創造の日に、彼らを祝福されて、人と名付けられた。
   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
アダムとエバは、第六の日に造られているのであれば、創世記第2章のエデンの園について神の説明、善悪の知識の木についての説明、人(まだアダムだけ)が生き物、家畜、鳥、獣に名前をつけること、アダムのあばら骨の一部から女(エバ)を造る、蛇の教えでエバが善悪の知識の木の実をとり、アダムと二人で食べ、その結果、神に、「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」と言われたのも、第六の日の出来事なのでしょう。 第六の日には、一日の中に、膨大なことがおきたようです。

第六の日には、「永遠に生きる者となるおそれがある。」と神に言われていますが、創世記第6章では、
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さて、地上に人が増え始め、娘たちが生まれた。神の子らは、人の娘達が美しいのを見て、おのおの選んだ者を妻にした。主は言われた。「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。」 こうして、人の一生は百二十年となった。
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
エデンから追放されても、しばらくは永久に生きるものである可能性があって、それが120年に変更になったのです。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。
主は言われた。「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の烏も。わたしはこれらを造ったことを後悔する。」
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ですから、神は、一度は「良し」としたものに関しても、造ったことを後悔しているので、その後も、神が良しとしても、その後に神が後悔することはあるのだろうと思います。
神が契約しても、契約を破棄することも充分にあり得るのだろうと思います。 契約は違反があるから契約を破棄する、新しく契約をし直すということもあるでしょうが、違反がなくても、思うことが変わって今後は新規契約によるとか、今後は契約を破棄したままとするということも、あると考えて良いのでしょう。

   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ノアの子孫である諸氏族を、民族ごとの系図にまとめると以上のようになる。地上の諸民族は洪水の後、彼らから分かれ出た。
世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。
彼らは、「レンガを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。 彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。
主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、言われた。
「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」
主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

神は、「我々」と言っているので、一人ではなく、神の中の一人が「主」なのかもしれませんが、いつも、恒久的・永久的に同じ方針、思考をするのではなく、状況次第で、方針を変えることもあるのだと思います。
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人間の創造>6日目にすべてのものを見て良かったと評価しています。


人間の創造+人間が管理する地球の状態をセットにしてチェックした時点でしょう。
水の分離。これも、雨となって降り、また気化して上に上がって雲になる循環と、それに動植物が適応してはじめて成功ですから、6日目のすべてのものまで、評価は先延ばしではないでしょうか。
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