「平成」を感じるもの

高校時代の後輩にニートの人がいるのですが、対人恐怖で電車やバスも怖くて、買い物も行けないそうです。

でも酒乱のお父さんに対しては暴力をふるい暴れてるそうです。僕はその後輩のお父さんを見たことありますが、体格がよくプロレスラーみたいなお父さんでした。

なんでお父さんには暴力を振るうことができるのにそんなに他人が怖いのかなあと思うんですが、そういう人の心理って一体なんなんでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • うーん・・・

    後輩はお父さんとは暴力沙汰のケンカできるのに、外では全然ケンカできないそうです。

      補足日時:2021/12/05 17:13

A 回答 (2件)

相手によって、出来る/全く出来ないが変わることは、結構多いです。



例えば、親には甘えて自在に好き放題をしている4歳児が、見知らぬ他所のヒトと一緒だとびくついたり恥ずかしがって逃げようとしたりします。
16歳のヒトが、同性の友人達と一緒のときには多弁なのに、全校の生徒の前で演説するときには緊張して上がり声が上手く出ないということもあります。
会社のオフィスで働くヒトの中にも、後輩に対しては偉そうに言うのに、上司の前では実におとなしいヒトもいます。
また 「暴力を振るうヒト」についてみると、本人の意識では「報復や正当な懲罰行為である」となっていることが多いです。本人の意識では「正当な行為・妥当な選択に基づいた行為」です。 相手が銃器や刀剣類を持っていて反撃・征圧に出てくる恐れがあると思うと、まず暴力を振るうことはないです。 武装兵に「暴力を振るう」などはしないものです。 仮に、武装兵や暴力団員がやっていることに怒りを感じても、この相手に暴力を振るうという行為選択はマズイと思うので、暴力は振るいません。
お父さんが格闘技のプロであっても、お母さんが料理包丁の使い手であっても、お父さんやお母さんの反撃は手加減されるから大丈夫だと考え・思い込んでいると、自分がむしゃくしゃしたときに鬱憤晴らしの相手として暴力を振るうという行為選択をするのでしょう。
そのような「むしゃくしゃしたときに鬱憤晴らしできる」ということをとても大事なこととして感じている人の場合、{電車バスの中、スーパー、学校など他人がいる場面では鬱憤晴らしや気ままな行為は出来ない}と自覚していると、「電車バスの中、スーパー、学校など他人がいる場面で、もしも、イラついたり、じっとしていられなくなったりしたら、そこでわめいたり、暴れたり、同行している親を殴ったりは出来ない。そうなったら、とても困る。自分を制御コントロール出来る自信は自分にはない。 外に出かけたり、学校に通ったり、就職したりするのは危険だ。 ニートで引き籠もっているのが一番」と判断してしまうのではないでしょうか。 
外にでてしまったら、自分がどうなってしまうのか、恐ろしいのでしょう。
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慣れたことは出来る。

不慣れなことは出来ない。そんだけ。そーゆー連中に対して、一般的なモノサシで考えても意味ない。
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