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立川談志ってどこが天才だったの?

立川談志はよく「天才だ」という言われ方をしますね。
私は晩年の姿しかしらず、落語もテレビで何度か見ただけです。

しかし、「なるほど、この人は天才だ」とは感じませんでした。
いや、否定するつもりはなく、本当に凄さがわからなかったのです。

私はテレビでしか落語を見たことがなく、生の落語を寄席や独演会で見たことがないのでそれがわからないのでしょうか?

どなたか、立川談志の天才ぶりや凄さについてお教えください。

ちなみに私がテレビで見て凄いなと思ったのは先代の桂米朝さんです。たしか「豆狸(まめだ)」だったと思いますが、目の前にザーッと枯葉の舞い散る秋の三寺さんの境内が現れて、「さすが名人は違うなあ…」と涙した(豆狸というのは切ない哀しいタヌキの噺です)ことを覚えています。

A 回答 (3件)

自分は、生前の談志の高座を何度か生で見ていますが、天才的というより、頭脳明晰な人という印象を受けています



ある時は「まんじゅうこわい」を演ってくれたのですが、普通は前座が枕でやるどうでもいい噺を、とてもワクワクする一大エンターテインメントに仕上げてくれました
ああ、これが談志のパワーかと感心したものです

別の機会には「芝浜」を聞きましたが、誰が演ってもそこそこ感動する話が、感動一辺倒にはならず、これまた談志ならではの風合いが滲み出る、味わい深い噺に仕立てられていました
古典は誰が演ってもストーリーは同じですが、演者によって得られるものがこんなにも違うのかと、談志の実力に納得したものです

談志にしか出せないオルタナティブな魅力が、人によっては「天才」という表現になるのではないでしょうか

また、談志は日本の落語会から一線を引いた方でもあるので、その辺りの解釈も含め、一人一人が、「落語」をどう解釈するかということなのだと思います
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現在の落語家のやっていることが


当たり前になってしまったので
談志の功績が分かりにくくなっているのかもしれませんね

結界と言いますが
演者と聞く人とは
一線を引いていますが
談志はそれを乗り越えて
聞く側と聞かせる側とを超えて
一体にしようとしました

落語家全員ではなく
現在人気のある落語家は
亡くなった談志の言葉を引き継いで
落語を演じているように見えます

ただ
米朝や志ん朝もそうですが
そうではなく
古典は古典として
現代とは無関係に
素直な古典として
演じる演者もいます

それも
一つの名人ですね

「豆狸」は新作落語です
古典落語ではありません

つまりは
古いままではだめだということで
このように進化はしています
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今の若手落語家18歳の芸と談志の芝浜 小朝の落語を聞き比べるとわかるかもしれません

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この回答へのお礼

えっ、18歳で芝浜をかける若手がいるのですか???
そりゃ無茶だ。あんな大ネタ。

お礼日時:2022/01/05 12:17

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