この人頭いいなと思ったエピソード

人はいつから道徳を追求するようになったのでしょうか?
それは、人間同士が奪い合い殺し合う社会だとうまくいかなかったからですよね?
しかし、なぜ現代は奪い合い奪った大きさでマウントしあう社会に逆戻りしているのでしょうか?
結局人間は奪い合い殺し合いたい生き物って事でしょうか?
そうすると、今後の時代における道徳とはどうあるべきなのでしょうか?
本能がままに奪いながら生きることが幸せであり正しい在り方の頂点なのか?
誰かこれが正しい人間の在り方という答えがあれば述べて下さい。

A 回答 (6件)

>結局人間は奪い合い殺し合いたい生き物


そうですね。
昔は堂々と表に出しても問題なかったから、
やっていた。
今は法律だのルールだがあるから、
陰でできる範囲でやってるだけ。

人間自体の中身(心)は、そんなに変わってないと思うよ。

>これが正しい人間の在り方
何が正しいか?自体がわからないのが、人間の住む世界。
いろんな矛盾を抱えながら、その中で手探りで進み続けるしかないのが
人間の世界。
ゴールなんて見えない、答えなんてわからない、
でも、止まれない、
何もかもが矛盾した世界で、生きていくしかないのが、
人間の世界、だと思う。
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この回答へのお礼

そうですね、
正しい正しくないとゼロイチで考えるのは俺の良くないところだと自覚しています。
そうすると、道徳って何なんですかね?
矛盾があって当たり前で、正しいも正しくもないはずなのに、人として生きるべき道しるべがある。
それが極めて矛盾している。

お礼日時:2022/01/17 20:58

>結局人間は奪い合い殺し合いたい生き物って事でしょうか?



ものの味方が雑過ぎないか?
そういう人もいるかもしれないがそうじゃない人だっている。

それとそもそも人間は生物なんだから適者生存するのは当たり前。で、この原則は人間が決めたものじゃないでしょうに。
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この回答へのお礼

適者生存する原則は人間が決めたものではないとすると、森羅万象を司る神が決めたルールのようなものがあり、その原則に則る人間を生かし、正しいとするものなんでしょうかね?人間はその原則を適切に守ることが求められているのであろうか。生存することが道徳の根本だと思いますか?それとも生存することは別問題なのだろうか。色々な人間がいるとしてしまえばそれまでなんですが。

お礼日時:2022/01/18 12:20

面倒くさくて長文は書けませんが質問の前提があちこちおかしいな、とは強く感じます。



人間とは、とか社会は、とか現代は、とか昔は、とかその認識の前提が大雑把で雑過ぎてそもそも狂っていたりする雰囲気がプンプンするのです。

もしよければあなたの身近な具体的な題材で例を挙げて質問にしてくれた方が的確な回答が出来ると思いますよ皆さん。
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この回答へのお礼

具体的な題材を上げると色々まずいのですが、
例えば、稼いでいるお金が高ければ人間として上だから、収入の低い人間を無能と見下しても良いという発想はどこから来るのかなということです。
女にとっても稼ぎの悪い男はゴミです。
仁義を尽くして仕事していてもです。

お礼日時:2022/01/18 21:59

あまり馬鹿っぽい回答を書くのは恥ずかしいのですが。



>稼いでいるお金が高ければ人間として上だから、

稼いでいるお金が高い人間は稼いでいるお金が高い人間じゃないの?

ここ哲学カテなんでね。ホント基本的な事から確認していきますよ。
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人はいつから道徳を追求するようになったのでしょうか?


 ↑
人類誕生と同時です。

人間は社会的動物です。
社会を作ることにより、つまり集団、組織を
作ることにより、自然の脅威から免れ
文化、文明を発達して来ました。

その、社会、集団、組織が存在出来る為には
秩序が必要で、秩序の為には道徳や法規などの
ルールが必要になるからです。



それは、人間同士が奪い合い殺し合う社会だと
うまくいかなかったからですよね?
 ↑
人間の場合は、脳にミラーニューロン
があるので、そうい試行錯誤以前に
互いに協力し合う関係が構築出来たんだ
と思われます。



しかし、なぜ現代は奪い合い奪った大きさで
マウントしあう社会に逆戻りしているのでしょうか?
結局人間は奪い合い殺し合いたい生き物って事でしょうか?
そうすると、今後の時代における道徳とはどうあるべきなのでしょうか?
本能がままに奪いながら生きることが幸せであり正しい在り方の頂点なのか?
誰かこれが正しい人間の在り方という答えがあれば述べて下さい。
 ↑
力任せに奪い合うのではなく
ルールに従って奪い合う社会に
進歩したのです。
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人間は当初、禽獣と同じで、理性もなく道徳も知らず生きていました


しかし、人間は死によって、人間は己の有限性に気づかされる事に
なります。
 どんなに無限の『富』や『権力』を手にした人間であっても、
いつかは死ぬという定めからは、絶対に逃れることはできません。
 この有限性を自覚し、死の恐怖や不安を克服するために、
人間は何らかの永遠性に参画し、動物的本能の生き方を超えて、
一個の人格となることができました。

 宗教が人類史とともに古いゆえんであります
人間の有限性。人間は必ず死ぬ。そうした問題は
永遠性の認識なくしては思考し得ない、まさに人類の歴史とともに
宗教は始まったというのです。
動物は宗教を持てません、AIも宗教は持てません

 人間は、よりよく生きるために、奪い合い殺し合いをしてきた
これは人間の欲望のなせる事とし、欲望を抑えれば良し、とする
謝った思考法や宗教があるが、これは文明の発展の阻害に通じ
納得のいくものではありません
 人間は欲望があるからこそ、医療の発展や科学の発展や
政治革命、経済革命、産業革命、科学革命、芸術の革命、
流通や通信の革命、等が可能になり、より良い社会を築くために。
この欲望は絶対に必要なのです

前記した様々な革命には、意義があり、必要であったと言えます、
しかし、
何を変えても、一切を動かしている「人間」そのものが無慈悲で、
利己主義のままでは、世の中がよくなるわけがない。
そのために、この欲望をコントロールする人間性が何よりも重要に
る訳です
すなわち「人間性の革命」ということになるのです、
これが、根本の革命であり、人類にとって一番必要な革命であり、
又、最後の革命と言えるのです。

 「革命」は英語で「レボリューション」。「ひっくり返す」と
いう意味です。急激な変化を意味している。
  人間が少しずつ、年とともに成長するのは自然の流れです。
しかし、人類はそれをやって来たが、ダメだった。
それを一歩、越えて急速に善の方向に変わっていくのが
「人間性の革命」です。

 人間だけが「向上しよう」「成長しよう」と思うことができる。
ただ流されて生きているだけではなく,もう一歩深い、
人間としての方向転換をしようと思うことができる。
 いわゆる「偉くなる」というのは、社会の機構上の話です。
「人間性の革命」をするとは、もっと深い、自分の内面のことです。
永遠性のものです。社会的な偉さよりも、はるかに偉いことなのです。

 人間は人間です。人間以上のものになれるわけではない。
だから「人間として」の自分を変えていくことが、いちばん大事なのです。
名声で自分を飾り、地位で自分を飾り、学歴で飾り、知識で飾り、お金で飾っても、本体の自分自身が貧しければ、貧しく、空虚な人生です。
  すべてをはぎ取った、いわば「裸一貫」の自分自身がどうなのか。
生命それ自体を変えていくのが「人間性の革命」です。
まさにこれは21世紀のキーワードになる、と思うのです

さらに詳しく語りたいが、
先ず、その「人間」が何であるか「汝自身を知れ」とは
「何のために」に、そして「本我」が分からなければ無理ですが。ね
更に
生命の尊厳と価値、生存の実践と徳性、生活の調和と美、 
我と非我、物と心、知と行が分からなければ無理ですが、ね
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この回答へのお礼

なるほど、何度も読み返してしまいました。
人間性の革命についてもっとよく知りたいですが、
今の俺には難しそうです。
人間性の革命の中にこれからの未来どう生きるべきなのかの道標や道徳がありそうですが、本我という単語を初めて聞いたし、雲を掴むようで本我がわかりません。
哲学はやはり俺のような理解力に乏しい人間には難しいのかな。

お礼日時:2022/01/19 12:26

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