No.6ベストアンサー
- 回答日時:
人間から生まれた動物、つまり人間の遺伝子を持つ動物は、遺伝情報が多少異常であっても人間ですよね。
ところで遺伝子の異常や後天的な病気や事故のためにさまざまな障害を持ってしまった人たちがいます。彼らのことをぼくらは当然、「人間」だと考えるわけですが、「人間とは~する動物である」という定義の仕方は、往々にして彼らを排除してしまいがちではないでしょうか?
脳死だったり脳死に近い人は遊べません。腕がつかえなくて火をおこせない人もいるでしょう。足が無ければ二足歩行はできません。道具が使えない人もいるはずです。考えることも、失敗することも許されない人だっているでしょう。でもその人たちも「人間」ですよね。
「人間とは~する動物である」という定義の視点は、平均的な個人の能力を判断の基準にし、しかも人間を一個体として完結した存在だとする人間観があります。それは近代的な人間観で、たとえばデカルトが「我思う、ゆえに我あり」と説いた自己完結的な人間観です。
ところで日本の哲学者で和辻哲郎という人がいます。彼は、日本語の「人間」という言葉が本来は「じんかん」と読まれ、「よのなか」を意味することを指摘したうえで、その語が今では個体としての「人」をも意味するようになっていることに注目します。そして「人間」という言葉には、ふたつの側面があると考え、「人間が社会であるとともに個人である」という結論を導いています。
では次に和辻の人間は社会であるということを考えてみたいと思います。これはたとえば、事故などのために意識不明に陥り、回復が極めて困難な状況に置かれている人を想像されるとわかりやすいと思います。彼/彼女は病院に収容され、医師から治療を受け、看護士にケアされ、家族や友人に回復の望みを託され、脳死ともなれば医療関係者やマスコミにも注目されるというかたちで、本人の意思とは関係なく、社会的な関係において「人間である」と定義付けられています。彼/彼女の存在はまさに「社会」そのものです。「社会」(=関係、人と人との間)であることによって、彼/彼女は「人間」でもあるわけです。これは極端な話をすれば、僕らは生まれる前から人間だったし、死んだ後もまだ人間であることができるということにもなります。生まれる前の赤ちゃんに声を掛けたり、亡くなった人に弔辞をおくるという行為は、胎児も死者も社会的な存在として認めた上で行う行為なのですから。
次に、和辻が提示した人間のもう一方の面、人間とは個人である、ということを検討しておきましょう。それはつまり人間とは、社会を形成する集団の一般性へとはまったく解消され尽くさない、絶対的な個人であるということです。ここで近代的な人間観を思い出してください。そこでは「人間とは一般的に、こうだ」ということが述べられているのであり、それは非常に抽象的で、個性の欠片もないのっぺりとした存在であることに気付かされます。しかし現実の世界において、だれもが少しづつ欠如した存在であり、どこかしらバランスを欠いています。Aという主張をする人もいれば、反AやBという主張をする人もいるし、Cという行動ができない人もいれば、その行動が得意な人もいる。そこでは、人間を定義するとき、一般的な性質や能力をもってよしとする姿勢は、とても非現実的な営みに堕してしまいます。
さて、人間は一方でひとつの社会であると述べました。またその一方では人間は社会に解消され得ない個人であるとも述べました。ふたつの定義は矛盾しているように聞こえます。しかし社会を成立させるためには個人が社会に解消され尽くさないことが大切なのです。というのも社会とは、個人が個人であることによって成り立っているからです。前に挙げた病院の場面を思い出してください。そこに社会が成立しているとすれば、ひとりの意識不明の患者の抽象的でない個人としての現実的な付き合いがそこに展開されていると考えるべきでしょう。家族との付き合いも、医者が行う治療も、看護士のケアも、会社の同僚や古くからの友人もすべて彼/彼女という一回性の個人に対してはじめて、現在の行動を取ることができ、関係を持つことができたわけです。そこにはまぎれも無く個人を媒介に成立した社会があります。
さて、そのような和辻の所見に照らして、「人間とは~する動物である」というような近代的な人間観を見てみると、人間の包括的な定義としては十分でないどころか、まったく見当違いなことを言っているように思えます。つまり和辻に従えば、人間とは、「社会」であり、「個人」でもあり、必ずそのふたつの側面を有していなければならないということになります。しかし、「人間とは~する動物である」型の定義は、そのどちらも充たしていないように、僕には思えるのです。
>人間から生まれた動物、つまり人間の遺伝子を持つ動物は、遺伝情報が多少異常であっても人間ですよね。
確かにそう思えますが、その親が人間であるためには
その親の親も人間でなければならない。そのようにずうっとさかのぼっていきますと、人間の祖先は猿だというのが現代の定説だと思いますので、人間は実は猿だということになってしまう気がします。
>、「人間とは~する動物である」という定義の仕方は、往々にして彼らを排除してしまいがちではないでしょうか?
全くその通りだと思います。
>「人間が社会であるとともに個人である」
回答にある事故にあった人が、長年飼っていた犬だと考えるとどうでしょう?獣医は犬に対して懸命な治療をするでしょうし、家族や友人も回復を望み、ひょっとしたらマスコミにも注目されるかもしれません。あるいは犬の社会のことを考えると、親犬なら自分の子を舐めたりなどして、回復を願うでしょう。彼らは犬の一回性の個人(個犬?)に対して、行動を取り、関係を持つことができたのではないでしょうか?このように考えると、犬なども社会であるとともに個人であるといえるのではないでしょうか?
回答ありがとうございました。
No.11
- 回答日時:
思い込んでいる状態では、知っていることにはならないと思います。
今、razumihinさんが、人間って何か考えると分からなくなってしまった。とおっしゃって。
しかし、犬と人間を間違うようなことはない。
私の友達に、人面犬に似た人間の友達がいるのですが、彼も、犬に間違えられるようなことはありません。
razumihinさんは、どのようなものを犬といいますか?
犬に見えるもの。犬と思われるもの、犬という印象を感じたものを、犬と呼びますか?
犬のにおいのする人。犬の形をした陶器。
犬と猫の雑種は?
人間と魚の雑種は、きっと、人魚タイプか鯛焼き君タイプだし。
親父と母親の雑種は私ですし。
では、小説の登場人物の場合は?人間とは言うでしょうか?どうでしょう?
宮本武蔵は?仮面ライダーは?
この、Dragon Brainは人間と言えるでしょうか?
確かに私は人間ですが、Dragon Brainが人間であるかどうかを、razumihinさんは考えて話をしてないと思います(おそらく)。
彼が人間であるかどうかは、「人間の定義」だけでは判断がつかないと思います。
人間の定義を定めたところで、その定義を話伝いに聞いたところで、人間が何かを知ったことにはならないのではないでしょうか。
・二足歩行をする?
では足のない「人」はどうでしょう?
・遺伝子を見れば分かる?
では遺伝生涯を持つ「人」はどうでしょう?
・顔を見れば分かる?
顔のない人はどうでしょう?
・人の形をとどめていない人は何者でしょう?
・人でなしな行為をする人は、人でしょうか?
・これをやったのは人間か?そういう疑わしい事に関してはどう判断しますか?
こんなことをする人はいない。いや、そうとは言い切れない。
私が思うのは、おそらく人、および人間とは、我々の、非常に上澄みの部分、または、深い深いところにある大切な核の部分ではないでしょうか?
もちろん、それ以外の部分をたくさん我々は持っているのであり、しかも、それは個人差のあるものであり、そのたくさんに全て名前をつけて、それからなら、その総称を、トータルで「人間」とよべるのかもしれません。
人間という枠組みを知ってはいるが、その中身を詳しくは知らない。というのが、多くの、現代にいきる人の状況だと思います。中身を知らないのに、その枠組みだけを使用しているために、その使用の正しさを確認できないのではないでしょうか。
遺伝子を言うなら、それは人ではなく遺伝子的に見た生物です。つまり、遺伝子の枠組みで、定義している。もっと突き詰めれば、「遺伝子的に見れば」と前提している時点で、それはもはや遺伝子になるのです。人でも、生物でもなく、「遺伝子」です。
人間とは何か?を考えるときに、そういった前提を、全て取っ払ってしまわないと、自分なりの納得いく解答は、見つけれないだろうと、私見ですが、そう思っています。
(犬と猫が結婚したその子供の鳴き声は、「ワニャン」ではありませんでした。「あ゛ぁあ゛あ゛あ゛あ゛ーーー!!!」らしいです・・・。)
この回答への補足
みなさん、様々な貴重な意見ありがとうございました。
このあたりで、回答を締め切らせていただきます。
お礼の欄で質問を投げかけておきながら、ここで回答を締め切るのをお許しください。こちらの都合で今後お礼を書けるのがしばらく後になってしまうことと、私自身もう一度問題を考え直す必要がでてきたためです。
私自身今回の質問で非常に考えさせられ、大変有益な時間を過ごせました。皆様には大変感謝しております。
日常生活では、今まで犬(人)と言われてみて(聞いて)きたものに近いものを犬(人)と呼びますが、はたして、それが本当に犬(人)と呼んでいいかはわからなくなります。
>私が思うのは、おそらく人、および人間とは、我々の、非常に上澄みの部分、または、深い深いところにある大切な核の部分ではないでしょうか?
それでは、その核とは何でしょうか?人間であるものに共通する核、それこそが人間の本質に迫るものだと思います。
>「遺伝子的に見れば」と前提している時点で、それはもはや遺伝子になるのです。人でも、生物でもなく、「遺伝子」です。
これはよくわかりませんでした。遺伝子(あるいは動物)学的にみることができるのは、それが遺伝子(あるいは動物)であるからだ。その見方によれば、すべての遺伝子を持つ生物は遺伝子である。ということだと思いますが、遺伝子という大きな範疇の中で人間というものがあるのではないのでしょうか?しかし、考えれば考える程わけが分からなくなってしまいました。
回答ありがとうございました。
No.10
- 回答日時:
#9回答の方に便乗、平行した疑問を感じたのですが
SF好きの心はわかる気がしましたので;;^_^、回答にはなっていなと思いますが;;
<たとえば、私にはよく未来を空想して遊ぶ癖がありますが、これは社会的な意味づけから生まれたとは思えない気がします。>といわれておられますよね?
少なくとも世に知られて広く評価されたSF作家の作品は、これは社会的な意味づけ(予感)から生まれた(推理された)と私は思っております。
とするとご質問の方が問われていることは「人間とは何か」以外に、人の<予測・予知>能力-等についての疑問のようにも思えるのです。
「「 検討違いだ! 」」とすれば大変失礼なのですが、
こうした方面についてはいまだに学問的<公民権>を得ていない面があります。 しかし、
近年では「未知なるもの・現代までの系統的学問では解明されない証拠」への憧れというものが広がっていて、私は悪いことではないと思います。 でも、あくまでもマニアか研究職< 前線物語 >ですよね?
安易に肯定すると「地球上で生物が発生したできごとは時間軸に対して不可塑であって、現代の科学レベルでは再現不可能である(真実はわからない)」-「だから私の説が正しい」が蔓延してしまいます。
実際のところ「人には予測・予知能力の他にも(野蛮な時代から引き継がれた)不可思議な能力があるし、人類種以外の動物にも解明・理解されていない能力はある」と表明しても否定する方は減っていくと考えます。 ただし「大学教育では超常現象肯定論を教えている」?
表明の仕方が難しいですよね、誰か教えて?と私は思います。 URL(科学のルール)参照
ところで、#9様 ええ!?と思ってしまったのですが
<生物学的定義>=人間の必要条件
<社会的、文化的な規定は人間活動の結果であって>=人間の十分条件
ではないのでしょうかあ?(別の機会で)
参考URL:http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/anti/ruru.htm
>「人間とは何か」以外に、人の<予測・予知>能力-等についての疑問のようにも思えるのです。
このような意図は全くありませんでした。これについての私の考察は不十分でした。確かに未来の空想は、”社会的な意味づけ(予感)から生まれた(推理された)”ものだと思います。私の空想は私たちのいる世界(=社会的に意味づけされたもの、ということですよね)を基盤にして行いますので、その意味ではその通りです。そして、同様に私たちのすべての行動はこの意味では社会的な意味づけから生まれたといえます。しかし、この社会的意味づけというものは物事に対して過剰(または過小)に意味をつけるものなんでしょうか?過剰(過小)でない意味づけとはどういうものでしょうか?
回答ありがとうございました。
No.9
- 回答日時:
今を去る○十年前のこと、高校3年生の卒業間際のホームルームの時間に、担任の教師が「人間について」と題を与えて文を書くよう求めました。
私はそのころ、このようなことをたびたび考えていたので、その結論として何を書いても間違ったことを書くことになる、という答えを持っていました。それで「私には書けません。」とだけ書いて提出しました。すると次の時間に「白紙で出した者がいる。思い上がりもはなはだしい。」と罵倒されてしまいました。(笑) 哲学者ぶってキザな書き方をしたと思われたのでしょうか。そんなことを思い出してしまったので、何か書きたいのですが。
「人間」の必要十分な定義を求められているのですね。でもあなたは生物学的な定義「人間=ヒトは、脊椎動物門哺乳綱霊長目ヒト科に属する生物である」には満足されていないようです。
「そのヒトは他の動物とどこが違うのか」と聞かれそうです。たとえば「それまでの森林での樹上生活から草原に降り立つことによって、二足歩行を始め、頭脳が発達して言語の能力を持ちうるようになり、文化を形成、伝達、発展するようになった」と答えても、「言語能力のない赤ん坊や障害者は人間ではないのか」とか、「形態についての定義はいらないのか」などと疑問は続きそうです。
ところで、オオカミに育てられた少年がいましたね。あなたはかれを人間に含められますか?どうでしょう?
私は人間に違いない、と考えます。これは生物学的形態のパターン認識から判断しています。四足歩行をしていても「オオカミに育てられたから」という合理的理由による特殊な表出と言えます。また他の形態的相違も合理的理由がつけば人間に含むことができます。障害者もすべてそうです。仮に「人間に尾はない」という定義があったとして、尾のあるヒト(らしきもの)が発見されても、突然変異とかの理由があり、他の形態、機能、能力に差が無ければ人間に含めることができるでしょう。
このように、わたしは最初にあげた生物学的定義だけを人間の定義として有効と考えています。社会的、文化的な規定は人間活動の結果であって、条件ではない、とも思うのです。
ところで、あなたが「人間」という言葉にどんなイメージを持っておられるのか、それがまた問題のようですね。それによってはまだまだ話は続きそうです。まさか「人間性」「人間的」「人間らしさ」までは広がらないと思いますが。
>「人間=ヒトは、脊椎動物門哺乳綱霊長目ヒト科に属する生物である」
確かに、その通りだと思いますが、この場合ヒト科とは何かという問題が換わりに出てくると思います。つまり人間がヒト科に置き換わっただけのような気がするのです。
>ところで、オオカミに育てられた少年がいましたね。あなたはかれを人間に含められますか?
正直、私には彼が人間であるかどうか分かりません。
回答ありがとうございました。
No.8
- 回答日時:
人を知る者、でしょうか。
>人を知る者、でしょうか。
これはどういう意味でしょうか。私なりに考えて二つの解釈をしました。
一つはある人が人であることを知るためには、人というものがなんであるかを知らなければなりません。つまり人というものがなんであるかを知っているものが人だということ。
二つ目は人を知っているという感覚(思い込み)そのものが人を人たらしめているものということ。
しかし、私はよく考えてみると人が何であるか分からなくなってしまったんです。
回答ありがとうございました。
No.7
- 回答日時:
いろいろな考え方があって当然と思いますが、私なりには「人間とはフェティッシュな存在である」という言葉が妥当なのではないか、と感じています。
つまり、物事の意味づけが過剰であったり、時には過小であったりするというバランスの悪さが人間を他の動物と分けるものではないかと思います。「人間は本能の壊れた動物である」も、「人間は遊ぶ存在である」も、「人間は社会的存在である」も、よく考えてみるとすべてこの言葉に包摂されています。
というのも、人間は言葉を持つがために本能図式が壊れており、このゆえに認識にカオスが生じるわけで、これを意味づけしながら生きていかねばなりません。羞恥も死も、愛情も何もかも言葉で概念化され意味づけられるものですが、この意味づけは個人的にではなく社会的に生み出されるのですし、この意味づけから生まれる欲動によって、その意味づけの範囲内において人間は遊ぶと言えるからです。
ものごとの意味づけが過剰であったり、過小であったりするという判断は何を基準にしているのでしょうか?
後半がよくわかりませんでした。社会的な意味づけがあって、人間は遊ぶという欲動に駆られるということですか?むしろ遊ぶということには個人的な物事の意味づけのほうが必要のように思えます。たとえば、私にはよく未来を空想して遊ぶ癖がありますが、これは社会的な意味づけから生まれたとは思えない気がします。
回答ありがとうございました。
No.5
- 回答日時:
興味深いテーマなので、私も参加します。
とりあえず人間の必要条件を定義するなら、
「自分を人間とみなし、なおかつ自分が人間とみなしている相手にも、人間とみなされているもの」だと思います。
社会の中で、人と人とが関係できているのは、お互いが人間である(人格を持っている)と認め合っているからだと思うので。
この定義は、生物学的な定義とは異なるでしょうが、社会を人間として運営するためには必要かなと思います。
自分が人間とみなしてる相手とはどういったものなんでしょうか。それは相対的に変化するということでしょうか(人間とみなすかどうかは各々の人によりますので)。
回答ありがとうございます。
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