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暇人の質問をお許しください。

私は、今、数学や物理学、機械製図の勉強をしている者ですが、最近、人間の幸せは科学の進歩とはイコールではないのではないかと強く思っています。

1、例えば、自動車を開発して人間はA地点からB地点 まで早く移動する事が可能になったはずですが、排気 ガス、交通事故、車社会のために子供たちが外でのび のびと遊ぶ自由を奪ってしまったなど考えられないで しょうか。

2、また、パソコンの開発により、人間は大量の仕事を 効率よく短時間で処理する事が可能になった。本来な らば、その余った時間は自分の時間を得られるはずな のに、逆に仕事量が増え、トータルで考えれば、以前 より仕事量は変わらないか、以前より増えたのではな いか?

3、イネの品種改良で、害虫や寒さに強いイネを作り出 して、以前より人間の飢えなくなったことは多分幸せ な事だと思いますが、その結果、人口爆発によって地 球上の人類全員分の食糧を供給できないのでは?

4、僕はイヌ、ネコの方が人間より幸せそうに見えるの ですが、だとしたら人間が作り出した科学技術や哲学 や文明は何の為だったのでしょうか。

科学技術の進歩で幸せになるのならば、21世紀より20世紀の人間の方が不幸であり、20世紀より19世紀の人間の方が不幸だったのですか?そんな事は無いと思います。

科学技術の進化は功罪いずれもありますが、功<罪ではないかとの思いにとらわれています。
しかし、今、僕が利用しているインターネットも科学技術ですよね。

長文すみません。
僕は、気楽に哲学や科学を語れる友達がいないのです。

皆さんの率直なご意見、ご批判を是非お聞かせください!

A 回答 (11件中1~10件)

 こんにちは。



 人間の幸せは科学技術の発展とイコールではないのではないか、ということですが、もちろんつながりません。正確には、第1に、物質的豊かさは満たされることは、精神的豊かさを満たすことにはならないということです。
 第2に、科学技術の進歩には、たえずマイナスの要素がつきまといます。具体的側面でも、思想的側面でもそうです。こういうのを専門的には、「逆機能」と呼びます(社会学)。

1、例えば、自動車を開発して人間はA地点からB地点 まで早く移動する事が可能になったはずですが、排気 ガス、交通事故、車社会のために子供たちが外でのび のびと遊ぶ自由を奪ってしまったなど考えられないで しょうか。

 自動車の開発によって、移動が効率的にできるだけでなく、ヒトとモノの輸送がスムーズにおこなえるようになった結果、経済的発展だけでなく、人々の可能性が拡大されている。これは順機能です(つまりメリット)。
 しかし、みなが便利さを追求した結果、車は大衆化し、大量の排気ガスをはき出しました。結果はご存じのように、環境破壊・交通事故など人災を創造するなど、逆機能(デメリット)をもたらしています。


2、また、パソコンの開発により、人間は大量の仕事を 効率よく短時間で処理する事が可能になった。本来な らば、その余った時間は自分の時間を得られるはずな のに、逆に仕事量が増え、トータルで考えれば、以前 より仕事量は変わらないか、以前より増えたのではな いか?

 このことは情報社会化と名付けられた現象です。順機能はあなたのおっしゃる通り。結果的には、経済・政治・文化的領域において、さまざまなメリットがもたらされています。インターネットのネットワークの力は、国家や企業などが有力な情報を独占していた事態から救っただけでなく、さまざまな世界市民が結びつき大きな勢力となっているというのは事実としてあります。
 逆機能については、説明はいらないでしょう。いろいろ思いつくはずですから。


3、イネの品種改良で、害虫や寒さに強いイネを作り出 して、以前より人間の飢えなくなったことは多分幸せ な事だと思いますが、その結果、人口爆発によって地 球上の人類全員分の食糧を供給できないのでは?

 これは農業の産業化と関わっています。品種改良という市場は、いまや大企業のものです。
 農業系企業は、品種改良しては地元の農家へと売り込み、必死に営業しています。基本的には、ファッションのブランド戦略と何ら変わりないと思います(笑)
 品種改良の重点は、たしかに育てやすさ(害虫などに
強い)という点もありますが、もう1つは「おいしさ」にあります。企業では、トマトであれば、トマトの甘さを数倍にすることで、おいしいトマトを作り上げてしまいます。正直なところ、人間の舌の感覚でおいしいものに作り上げているので、普通のトマトはこれにかないません。ですから、歯止めはききません。
 ただ食糧供給危機は、すでに発生しているといえるでしょう。とりわけアフリカではそうです。品種改良の問題は、遺伝子組み換え大豆がそうであったように、元々自然であったものを改変するわけですから、健康上の害を及ぼすような逆機能は生じるでしょう。
 とはいえ、この場合は明らかにわれわれの感覚では、順機能が大きいですね。


4、僕はイヌ、ネコの方が人間より幸せそうに見えるの ですが、だとしたら人間が作り出した科学技術や哲学 や文明は何の為だったのでしょうか。

 極端な動物学者たちは、イヌ・ネコをはじめ、動物園という存在を忌み嫌っています。それは、本来動物たちには動物たちが生きるべき空間の広さというのが、あるはずだからです。大草原をかけめぐるべきトラは、檻のなかに閉じこめられ、彼らの身体に影響を及ぼしていないはずがない…と。
 実は、人間もこれと似たような状況です。人間自身もおのおのが生きるべき空間や時間というものがあったはずです。しかし、人間をはじめ動物には、高い適応能力があります。少々の環境の変化には動じないというものです。
 科学技術の発展は、人間の社会的環境をめまぐるしく変化させました。かつての哲学者・科学者は、進歩という「大きな物語meta-narrtive」に大きな夢を抱き、その可能性を信じていました。しかし、そうしたhumanism(人間中心主義)は、たとえば「環境」という視点に欠如していました。結果はご存じのとおり。
 こういうことを、かのカール・マルクス(社会主義思想の根本的提唱者)は「疎外」と呼びました。疎外とはいくつか意味がありますが、その1つは、「人間自身は、自らの生み出したものに対して対立する」ということです。
 たとえば、核爆弾です。これは、人類と科学技術が生み出した最強の兵器です。いまや人類を崩壊させかねないものを、人間自身が生み出してしまったのです。核に関しては、ご存じのとおり日本においては悲しい歴史があります。人間が人間自身が生み出したものによって、自滅する。なんともバカらしい話です。
 

→ 科学技術の進歩で幸せになるのならば、21世紀より20世紀の人間の方が不幸であり、20世紀より19世紀の人間の方が不幸だったのですか?そんな事は無いと思います。

 こうした観点は、さまざまな呼び名がありますが、一般的にはダーウィン思想を起点として「進歩史観」といいます。つまり、「野蛮から文明」へ、「宗教から科学」へ、などなど、世界が悪いものから、より良き方向へと移っていくという考え方です。
 今では、これはほぼ否定されていますが、ほんの少し前まで、過去においてはこれはきわめて有力な発想でした。マルクスは封建制→資本主義→社会主義という時代のパラダイム転換があると本気で考えていました。しかし、マルクスは産業化がもつ多大な影響力を十分に分かっていなかったのです。つまり、科学技術の進歩。
 それは無理もなく、20世紀以降の急激な科学技術の進展など誰も予想していなかったといういうべきでしょう。
 また日本においても、福沢諭吉は日本は野蛮から脱して、西欧の文明化へと早急に到らなければならないと述べています。これは植民地化されることへの懸念でもありました。
 ある意味で、科学技術の世界的進歩は、自衛の強制でもあったかもしれませんね。
 こうした進歩史観は、今ではほぼまったく否定されるか、改変されています。


 時代は、「科学技術の進歩」という大きな夢を抱くときから、「いかに科学技術をもちいるか」という再考のときへと移っています。
 世界は、近代への反省を求められ、修正せざるをえなくなっています。功罪はありますが、だからといって基本的に科学技術を捨てることはできないのが現状です。
 
 ある論者は、科学の進歩は、人間の進歩を意味するのではなく、退化であるとしています。というのは、かつての全生活を担っていた人間のほうが、肉体的にも精神的にも高い能力をもっていたからです。今われわれが用いている科学技術のなかで、どこか人間は進化したように見えるのですが、実際はより高度な人工物が溢れているだけです。

 科学技術を捨てることができないのは、われわれが退化したがゆえであるともいえます。社会は、いまや巨大な科学技術とそれに基づいた市場なくして、生きられないのです。都市が突然機能停止するなら、人間は暴走し収奪しあうでしょう。彼らには、作物を育てる技術も、木の実をとる技術も、火をおこす技術もありません。

 とすれば、やはり科学技術の放棄ではなく、科学技術の利用について、より正しい方向性を考え、導いていくほかないといえます。
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この回答へのお礼

優れた知見ありがとうございます。大学の先生でしょうか?知識の量、文章の論理性、驚きました。

ダイムラーとベンツがガソリンエンジンを開発し、フォードが車の大衆化に成功した事に、僕は素直に喜ぶことができません。理由は人を第一に考えていない車が多いからです。
電気自動車の開発といっても、まだまだ、主役はガソリンです。大きな道路の周辺の空気の汚れはひどいものです。
社会学の「逆機能」という言葉は始めて知りました。

僕の専門は(専門と言うのもおこがましいですが)自然科学、特に数学、物理学系なので社会学の方の意見は大変貴重です。

僕の抱えている問題は、自然科学的というより社会学的なものだったのですね。社会学でかなり説明できますね。

マルクスか。僕も「資本論」をかじった事がありますが全然理解できませんでした。

>科学技術を捨てる事ができないのは、われわれが退化した・・・
 僕が、抱えている問題の半分以上を解決できたと感謝いたします。今まで、社会学系の本を読んでみたのですが、難しくて理解できませんでした。

そうか、人間は進化しているのではなく退化しているから、科学技術を捨てられずに必要としているのか!
とすると、「科学技術が進化する」ということは人間が「退化し続けている」ということですか。
どこまで進化、退化は進むんでしょうね?

昨日の日本経済新聞の特集でも、「科学技術で産学官連帯、事業化推進へ基盤作り」の記事がでていました。
僕の中で今までとの記事の読み方、解釈が変化しているのが深い感銘をもって実感しております。


人間の幸せと科学技術の進歩とイコールでないことは、はっきり理解できました。

そうすると、人間の幸せの本質とは何か?と僕は思ってしまうのです。もちろん、人それぞれ違うと言われればそれまでです。
しかし、ヒトは一人で生きる事ができない社会的動物なら何か最大公約数的な「幸せ」があるのではないでしょうか?

例えば、世界平和や自分の業績が他人から評価される事、子供の成長、
あるいはもっと形而上的な何か。それが理解でき、行動すればより良く生きられると思うのです。

社会学では既に説明されているのでしょうか。

お礼日時:2006/03/14 12:58

>科学技術の進歩は必ずしも人間を幸せにしないのではないか?



当たり前です。
あなたが比較しているものが“林檎ジャムの寝心地”と“はっぱふみふみ”だからです。
(全く比較の対象になってない)
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科学技術の進歩は必ずしも人間を幸せにしないのではないか?



そうだと思います。
よく言われるのは、兵器とか環境汚染の問題で言われますよね。
ただ、「幸せ」っていうところにごまかしがあるように俺は思います。
確かに、科学技術が進んだ現代が「幸せ」であると断言できなくとも、「幸せ」でない、ということもまた然りでしょう。
あなたの例でいくと、自動車がある現代では、確かに一方では弊害がたくさんありますが、それでもやっぱり便利なわけです。「幸せ」とは言い切れませんが、でも「幸せ」とも言える。早く移動できて、可能性の幅が広まったわけですからね。自然科学の限界性を広げた。
IT技術も同様です。仕事量よりもよく問題にされるのは、ネット犯罪とか人間関係のあり方ですけども、でもやっぱり可能性としてはグンとひろがった。功罪でしょうけど、でも確実に両方あるんですね。
でも、功<罪というのはないと思いますね。仮にあったとしても、証明のしようがないでしょ?
だから最初に言ったのは、「幸せ」というのがうそくさい言葉でね、昭和初期と現在やったらどちらが人々が幸せやったか、それを比較することすら無意味というか、中身のない議論で、どちらの時代のその時代の幸不幸ってあるんですよね。
だから、時代を幸不幸の二元論で語ったって仕方ない。
でも、大切なのは、文明(科学技術含んで)っていうのは進歩したら後退ってしないんですね。
ITが普及したら縮小されない。車産業発達したら、車以上のものが出るまで廃れないですよ。兵器だって、殺虫剤だってそう。より強力なヤツが出るまで、現段階の技術は維持される。だからね、そういう意味で科学技術の進歩って伸張にする必要がある。
クローン技術なんかでも、すごく慎重に慎重を期してやってるっていうのは、その教訓生かされているってことで、それはそれでいいことなんですよ。
急速に進歩したもの、最近で顕著なのはなんと言ってもIT産業ですけど、これって害が余りなさそうに見えたから余計にタチが悪くって、予測しきれなかった弊害ってありますよね。
だから、そういう部分をね、気をつける必要はありますけど、結論としては、科学技術は人を幸せにも不幸にもするけど、後戻りは出来ない。そして、今と過去を比べることにも意味がない。以上
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No3です



>そうなんです・・・大変ありがたいです。
こういう話も多分すきなんでしょうがなかなかきっかけが無いのかもしれません。

医学・・おおむね幸せに繋がっていると思います。
言われてみると医学は確かに前に私がかいた使う側の・・・・にあまり当てはまってないですね。
これは医学がもともと人の病を治す、つまり人の不幸をなくすということを目的にしているからかもしれません。
これに対して他の技術はいわゆる贅沢を可能にするのが目的なんですね。
こじつけっぽいですが前に書いた開発時の人の考え方が原因になっている例かもしれません。
医学も人に不幸をもたらす面の例としては終末医療や安楽死の例があると思います。
またこれから再生医療・臓器移植など活発になれば脳死判定が課題になるなどの例もあるかと思います。

ただ個人的にはかえってこの技術によって発生してくるさまざまな問題が人間にとって本当によいことと悪いことを理解させるのに役立っているように思えます。
例えば昔は食べ物が足りなかったのが今飽食そして飽食はよくないということが判ったように・・。
欲望と技術とそれによって発生する結果、それによって人間は方針を修正して進む・・フィードバック制御みたいな感じでしょうか。
また科学の進歩で人間活動が人間の住む環境にどのような影響がでるかを前もって把握して技術や開発を行う。
それによっていい方向に進む、または進んで欲しいと(えらそうに言ってますが・・)思っています。
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この回答へのお礼

再度ご回答ありがとうございます。
なるほど
>贅沢を可能にするのが目的・・・
と理解すれば医学と科学技術の差異が分るような気がします。

トライアンドエラーを繰り返し行い、ある程度の時間の経過を経て、正しい方向に収束していくという事でしょうか。

でも、アスベストの問題のように何十年もかかってから被害が出るケースもありますから、願うならば、影響が出る前に手を打てれば一番いいのですけれども。

もっと僕に、知識と科学的社会的観点があれば、もっと議論を深められると思います。

少なくとも、ネット上だけどあなたと意見が交わせて幸せです。

お礼日時:2006/03/14 10:09

いやぁ、好きですねぇこういう話題。

なかなかリアルの世界では引かれそうでできませんよね(何故ネットならOKなのか? 何故リアルではできないのか? これもテーマになりそうですね)

あっさり答えさせていただくと、この問題は、理系的(?)に言うなら「質量保存の法則」、某錬金術漫画の用語を使えば「等価交換」なのではないかと思っています。つまり「得るものと失う物は常に同じ」

1の例が判り易いと思うのですが、A地点からB地点に早く行けるようになった代わりに、ゆっくり行くしか方法がないという現実を失った。AはAであると同時にBであることはできない。1つの「現実」は別の「現実」であることを否定する。

公害や交通事故が「科学技術」によって解消されても同じことでしょう。その時私たちは「公害や交通事故」が無い社会を得る代わりに「公害や交通事故」がある社会を失うのです。

そんないいことはない。それのどこが悪いのだ。と思うかもしれません。または同じことを言い換えているだけの詭弁と。しかしA地点からB地点へより速く行く手段も「そんないいことはない、それのどこが悪いのだ」という発想で生み出されたものです。

>医学の進歩が人の幸せに結びつく傾向が強いようにおもえますが、いかがですか。

日本は世界一の長寿国です。しかし高齢者・病者は幸せでしょうか。私は医療機関に勤めていたことがありますが、患者さんや患者さんの家族から「治療をやめてくれ、殺してくれ」という願いを何度も聞きました。これは「医学が発達した故」のことではないでしょうか。

では、もっと医学が発達して、ヒトが全く病気にならなければいいのか、すなわち不死になればいいのか、…難しい問題でしょう?

しかし、それは判っていてもやっぱり痛いのは嫌だし、苦しいのも嫌。(勿論私もそうです)そうして医学は発達します。他の科学技術もそうです。「何かを得ることは、同等の何かを失うことだ」と判っていても、「よりよい状態」を目指すのが人間です。人間は悲しい生き物ですね。(くどいようですが私もです)

「幸福」「不幸」とは同じ「事実」をどう「解釈」するかの問題で、「科学」とは全く別の次元の概念だし「科学技術の進歩」で「不幸」を克服できるものではないでしょう。でも、逆に言えば19世紀より20世紀の今の方が不幸とは言えないし、今の世の中でも「幸福」を探すことは可能だとも言えるのでしょう。

しまった! 全然あっさりになってないじゃん!(笑)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
一緒に問題を考えてくれる人がいてくれて安心しています。
ラボアジエの「質量保存の法則」を拡張させて考えれば、社会的なものも、プラスマイナス0になるということでしょうか。実は、僕も同じことを考えていたときがあります。

>私は医療機関に勤めていた・・・
 すごいですね。僕も医療機関で働きたかったです。

得るものが「死」であり、失うものが「生」ということですよね。
ヒトは、自分の意思で生まれる、生まれないの選択をできず、時代や国も選ぶ事は不可能です。さらに、「死」も自分で選ぶこともできません。(自殺は別でしょうが・・・)
ゆえに人間は矛盾を抱えながら生まれ、悩みながら生き、死んでいく不思議というか、哀れな存在か。悲観的過ぎるでしょうか。もっと、力強く生きたい。

お礼日時:2006/03/14 10:37

科学技術を提供する人と科学技術の恩恵を受ける人とのあいだの格差は不幸の始まりかもしれません。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
なるほど、不幸の始まり。あるいは、幸せの終わり。
僕は、皆様の見解をうかがい、「科学技術」と「幸せ」は別のモノで両者が結びつくものではないとの考えに至りました。
科学技術が幸せに結びつかない事は、あなたのように感性の鋭い人や頭の良いヒトは見抜いているのかもしれません。

お礼日時:2006/03/14 10:55

20歳そこそこの大学生ですが意見させてください。



簡単に短く、無神経に言ってしまえば、幸せなんて人それぞれ、科学技術はその手段にすぎない。と思います。

 私の場合、物心ついたころにはファミコンのマリオをやっていたし、小学校のころにはネット上でHP作りにはまったし、そろばんの授業や近所の山への遠足は嫌いでした。中学のときにはけっこうはげしい運動部で部長でしたが、今思うとそんなに好きではなかったようです。高校からエレキギターの電子音に魅了され、せっせと機材を集めています。
 私の場合、科学技術は必要不可欠ですし、どんどん進歩してほしいです。極端な話、科学の進歩が幸せに直結してます。よく年配の方がテレビで、古き良き時代のことを挙げながら現代を批判してますが、全然理解できません。私は自然よりも機械のほうが好きだし、愛情だけがある素朴な世界にタイムマシンで連れていかれたらきっと死んでしまいます。笑

と、こういう人間もいるということです。反対に、科学技術の進歩を憂いて、昔の素朴な生活にもどりたいと思っている人もいると思います。
私はもっと進化したいです。その代償を甘んじて受けてもいいと思うほどに。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
>科学の進歩が幸せに直結してます。
正直に言うと、僕は、あなたのような意見を聞くと安心します。

科学技術の進歩の端くれの仕事をする者にとって、自分の行動を正当化してくれる考えだからです。

科学の進歩

他人が幸せになる

自分のやっていることは正しかった。

短絡的ではずかしいのですが・・・
大学生か、うらやましい。
勉強、遊びがんばってください。

お礼日時:2006/03/14 09:54

 すみません。

おまけです。

 人間の判断の誤りは、人間の愚かさにあるというよりは、人間がおのおのの行動の非合理性を計算することができないからです。

 人間が冷蔵庫をつくったのは、モノを長時間保存するためです。誰もが便利だと感じます。しかし、冷蔵庫が普及することで、大量の冷蔵庫が処理に困るはめになってしまいました。

 良かれと思って、思わぬ悪影響を被ることを、「意図せざる結果」と呼びます。この非合理的結果の存在が、判断を誤るという行為へとつながります。

 これは人間が愚かであるからではなく、人間が社会的動物であるからです。人間は一人で生きているのではないので、自分の思考と行動の計算には限界もあります。誰が何をして、何を感じ、何をもたらすかということなど、計算できるはずもないし、できたとしても管理できません。様々な規定要因が存在し、とても理論化できません。なにより不確実です。その意味で、限界があります
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この回答へのお礼

それにしても、あなたの文章は、新聞の社説以上に簡潔で論理的ですばらしいですね。学問のある人とはあなたのような人を言うのでしょう。
うらやましいです。

お礼日時:2006/03/14 12:59

こんちは、こういう話題なかなかする機会がないですよね。



科学技術(科学ではなく)の進歩と人間の幸せが一致しない・・私も一致はしないと思います。

目的のことを便利にするために開発される技術が人間生活・人間の社会全体にどう影響を与えるかは考えられていないことが一因かもしれません。
しかし幸せになるか不幸になるかは技術それ自身よりは、使用者の使い方開発時の人の考え方によって起きていると思います。
車ですと車が開発された当初は”すばやく移動したい”という目的のことをだけを達成するように考えられ製造されていたと思います。(最近のは安全策もかなり施されています)
自分が乗って運転している状況しか想定されていないわけで、乗ってない人、歩いている人のことは考えられていません(今ではだいぶ考えられてきています)
ある意味みんな安全に気をつけて運転するという暗黙の前提があるように思えます。
ところが実際は信号無視(見落とし)暴走、過度な裏道の利用など利用者自身の使い方によって事故は起きているでしょう。


>4・・
確かに職場のまどからのんびり電線にとまってる鳩をみるとちょっと考えたりします。

>科学技術の進化は功罪いずれもありますが、功<罪ではないかとの思いにとらわれています。
>しかし、今、僕が利用しているインターネットも科学技術ですよね。
技術自体には良いも悪いもないと思います。
悪いのはそれにあぐらをかいて欲望のままに活動をする人間の方だと思います。
そして罪の原因を自分たちの問題にだけはしない考え方がかなり重要ではないかなと個人的には考えています。
例えばDVDで有償ソフトを違法コピーするなど・・。
コピーをガードできないのも無用心ですが、違法コピーをする人間も悪いのです。
でもあんまりそちらを問題視することはないです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

そうなんです、周りはパチンコや競馬には興味があってもこういう抽象的哲学的な議論をする人がいないのです。(もちろんそれ自体を否定する事はできません。)ですから、こういう回答は大変ありがたいです。

結局、幸せと科学技術の進化とは、互いに独立していて別物なんでしょうか。

思うのですが、例えば医学は物理学や機械工学、電子工学に比べて、人を対象にする学問であるだけに医学の進歩が人の幸せに結びつく傾向が強いようにおもえますが、いかがですか。

>しかし、幸せになるか不幸になるかは技術それ自身よりは、使用者の使い方開発時の人の考え方によって起きていると思います。

アインシュタインやニールス・ボーアやキュリー夫妻らのいわゆる核物理学者が原子爆弾を開発したのではなく、それを人殺しに悪用しようと試みた一部の人たちによって科学技術は道を誤ってしまったと。

だとしたら、欲望のまま活動する人間たちを抑制する何か方法があるんでしょうか?(車、DVD等)

とりとめのない文章すいません。

お礼日時:2006/03/13 16:02

文系の方が言いそうなことですが理系の身でこういうことを考えられるのは素晴らしいことだと思います。



私はとても田舎の出で、自然や不便さのどかさや素朴さを多少嫌っているフシがありますので少々一般的な意見になるかどうか疑わしい、と最初に申しておきます。

1、今大人になって考えて見ますと、子供の頃自分が遊べた自由は守ってもらわなくても現在の便利さが大切だ、と思います。排気ガスはさらに進んだテクノロジィで緩和できるはずです。交通事故は大変痛ましい事実ですが、自殺率の増加の方が数の上でも深刻ですね。

2、雑用が減りより仕事はクリエイティブになったと実感しています。忙しくなった、というところはその通りだと思いますが、無駄な仕事をしなくて済むようになったのは豊かになったな、と思います。

3、3番はちょっと首をかしげてしまいます。地球の人口増加と(日本の)稲の品種改良とは関係ありませんし、食糧難の国とはやはり関係ありません。

4、イヌみたいな生活をしてみますか?2日で嫌になるのではないでしょうか。

歩き始めた人間がはいはいに戻れないのと同じように科学も退化は許されません。はいはいの頃は転んでケガすることがなかった・・と懐かしんではいはいに戻るのは後ろ向きでしかないんじゃないでしょうか。

科学と似たものに火があると思うんです。
火は火事の原因になりますが、使い方を誤らなければ便利だし生活を豊かにしてくれますよね?火事の原因になるから、火を使うことは幸せではありませんか?
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この回答へのお礼

博識のご意見ありがとうございます。質問してよかったと感じております。

>歩き始めた人間がはいはいに戻れないのと同じように科学も退化は許されません。
私はこの言葉はうれしかったです。
なぜなら、誰かにいってもらわなければ、これから、科学技術の進化にほんの少しですが関わる自分の仕事を正当化することができると思えたからです。私が抱える問題が少し軽減さえたように感じたからです。

お礼日時:2006/03/13 15:25

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