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言語論的転回は、「言葉が何を意味するかは、物質世界のあり方と独立し、言語システムの内部で決まっている」として、世界や認識主体のあり方までも言語システムに還元できると主張します。
しかし、そもそも言葉というものは、主体から対象へ向かう、志向性的意識を前提とした上に成立しているものです。つまり言語システムとは、あらかじめ主体と客体で確立された世界にそって形成されているものであり、世界や認識主体のあり方までもが言語システムに還元できると主張する言語論的転回の立場は根本から間違った理論ではないでしょうか?

A 回答 (5件)

ぐとぅさんおはようございます。


 言葉が主体から対象へ向かう志向性的意識を前提としてどのように成立したのでしょうか?一番初めに成立した言葉は何ですか?『話し始めるのはいつごろから?赤ちゃんの初めての言葉』https://world-family.co.jp/cetimes/one/education …さんは「赤ちゃんは生後3ヶ月ぐらいから、「あー」や「うー」のような喃語(なんご)を話し始めます。」といいます。言語 system を2個用意します。日本語と英語です。何かを空から落ちてくる水滴にします。日本語の名前は時雨と五月雨と春雨と夕立です。英語の名前は rain と shower と pour と squall です。何かに名前が付いています。今です。昔に言語 system はありませんでした。過去のいつかに日本語と英語ができました。『「構造」と「システム」の違いを詳しく説明してください。』https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/questio …さんが良かったです。志向性のために日本語ができました。今から見ると日本語が志向性を規定します。昔から見ると志向性が日本語を規定します。 『哲学の構造主義は志向性の概念が欠落している。』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12618036.htmlさんを参考にしました。名前をつける時とつけた名前を使う時と使っていく間の変化があります。4本足の茶色っぽいミーミー鳴く毛皮の動くものをいくつか集めるとミーと名前がつきます。ものを集めてもペマと名前がつくことはありません。意味するを→とします。言葉→何です。うちの庭には二羽鶏がいる。→『うちの庭には二羽鶏がいる』http://simurate.blog.jp/archives/429368.htmlさんの画像です。もう付いている名前を使います。発話の時の→と聴取の時の→があります。認識がそれを見ていることとそれを頭の中に入れることです。表現が頭の中のことを言葉にすることとその言葉です。庭と二羽のにわとりの関係を表す助詞にが何を意味するのかわかりません。関係が上下と下に庭で上に二羽のにわとりで両者の接触です。頭の中に先に全体があってどれか1個を切り出して語を口にします。初めの語から続けて全体を示し終わるまで語を繋げます。大体言えたら終わります。語いくつかの意味を持っています。文は語が組み合わさってできています。文に組み合わせた時に並んだ語が互いに関わり合って各々の語の持つ意味を一つにします。にが庭と二羽のにわとりとがといるによって意味が1つに決められます。1つに決められた意味が連なって足し合わされて文の意味になります。最初にたまたま口にした語がにわとりだったとき次にくる語ががです。その次に二羽が出るか庭が出るか迷います。とにかく最後まで言います。にわとりが二羽いるのが庭です。日本語と英語で主語の範疇が違います。言語 system が主観を規定します。石井佐智子『日本語における主観性の習得 : 言い切りの「た」を通して(日中韓3か国合同ジョイントゼミ(北京))』 https://ci.nii.ac.jp/naid/120001613438が良かったです。喋れないし書けないけれど keyborad で文を綴る人がいます。東田 直樹 『世界は思考で変えられる』https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309029320/があります。


エイセキさんおはようございます。

もの一さんおはようございます。

あと一さんおはようございます。

正接雑煮さんおはようございます。
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カントの認識の主観性優位を、言語の主観性優位に見解をより深くしただけでしょうか。

カントのカテゴリーを手がかりに、思い付いただけの転回でしょうね。メルロ-ポンティなどは、言語論的転回について早い時期に指摘してますね。精神分析のラカン派の「大文字の他者」やミシェル-フーコーの「エピステーメー」も似たような発想でしょうね。
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知覚によって世界を分節し、分節したものに言葉(記号)を与えることで意味付けしているのだと思います。

そんな記号の配列によって構成された命題は何らかの事象の写像なはず。だったらその要素である言葉を分析すればいいじゃない。形而上学はもはや不要。これが言語論的転回だと思います。
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「知識によって描き出されたユー トピアへの青写真どおりに、


強引に社会をっくり変えよう」とする思考法に罠があるのではないか。

言語もしくは理性的法則を意味する。例えばマルクス主義は、
歴史の発展や社会の構造を明らかにする 「法則 」を明らかしている
と言うが、この議論の前提には、社会の 「法則 」は人間の
理性によって解明され、言語によって表現されるという
信念があることに注意しなくてはならない

言葉 は、はたして生々流動しゆく実在を、あますところなく
写し取ることができるのか。
 人聞はそうした実在を固定化してしまう 「言語の虚構性」の罠、
「抽象化の罠」から、どうしたらけ出ことができるのか
このような「言葉の虚 構性 」に対する警戒 、さらには
「言葉への不信」さえもが、いまほど必要とされている時代もない。
 先に指摘 したように、マルクス主義 、また社会科学の多くは、
言葉で表現される理性的法則によって現実の問題の原因を明らかに
し、その解決 策を示そうとする。
 しかし、しかし、そもそも現実を 「あますところなく写し取る」
ロゴス(言葉)など存在するのか、 と思うのです

ロックは言語論で目的達成への道具と捉えていますが
私的性格を主張している以上、私的のみに限られすべてを
表せないのです
 又、受け取る側の多様な環境により容易に別の意味に変化して
しまうのです
言葉の限界、と見ていいと思います

ヴィトゲンシュタインの私的言語論は有名だが
後に彼は、すべての言語はある社会的な機能の召使いにすぎない、
と言っています、そこに言葉への絶対の信頼はありません
 言葉で本質を明らかにすることはできません
それどころか言葉の落とし穴があることを発見しました
更に、これを指摘したのはゲーテです
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そもそも言葉というものは、主体から対象へ向かう、


志向性的意識を前提とした上に成立しているものです。
つまり言語システムとは、あらかじめ主体と
客体で確立された世界にそって形成されているものであり
 ↑
沿革的にはその通りでしょう。

しかし、複雑、抽象的な事象は
言語に寄らざるを得ず、
この意味で、言語が世界を形作って
いる、ということは否定出来ないように
思えます。

だから、語り得ぬモノについては
沈黙しなければならない。

と、なるのです。

そういう訳で、両方だと思うのですが。
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