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哲学における構造主義は志向性の概念が欠落している。

志向性、つまり《外の世界を主体が認識している》という一連の機能が欠落している構造主義の理論は始めから破綻している。
ここでの批判は、事物の真理が、個々の社会的構造により構築された相対的な言語によるものである、という点ではなく、その相対的な言語は、志向性により形成されているという点を置き去りにしているという部分である。

質問者からの補足コメント

  • 世界の事象は、個々の社会的構造により構成された言葉による相対的なモノなのではなく、人間の、外の世界を認識しようとする志向的機能が形成した普遍的なものなのである。

      補足日時:2021/10/10 22:30
  • 訂正

    世界の事象は、個々の社会的構造により構成された相対的な言葉により構築されたモノではなく、人間の、外の世界を認識しようとする志向的機能によって形成された普遍的なものなのである。

      補足日時:2021/10/10 22:33

A 回答 (6件)

ぐとぅさんおはようございます。


 質問本文より引用の「言語は、志向性により形成されている」に着目します。志向性が言語を作ります。言語が真理を作ります。志向性が言語を作る例です。犬にぺマと名前をつけます。犬はぺマっぽくないです。名前を思いついたときにお前はぺマですと私が犬をぺマにします。真理が言語を作る例です。猫がミーミー鳴いています。ミーは猫です。猫はミーです。
 志向性→言語←真理
 私  →ぺマ
     ミー←猫
ぺマは普遍ではないです。ミーは普遍です。ぺマはぺマぺマ鳴かないです。ミーはミーミー鳴きます。小野 純一 『井筒哲学における言語論の問題と意義』https://ci.nii.ac.jp/naid/120005832832が良かったです。
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この回答へのお礼

››真理が言語を作る例です。猫がミーミー鳴いています。ミーは猫です。猫はミーです。

そもそも言語システムとは、主体と客体に別れた世界像、主体から対象へ向かう志向性的意識という前提がなければ構築されるものではありません。故に、上記の前提がなければ、猫がミーミー鳴いているからと言って、その猫にミーという言葉が付けられることけしてはありません。

お礼日時:2022/01/31 14:33

言語、指向性、認識、思考どれもが、一つの主体固有なものでなく、共同主観=社会、社会システムの一部であるのでは?ゆえに、そもそも主体相互が独立せず、境界線もなく、言語、指向性、認識、思考は、むしろ私的ではなく、社会的ネットワークの一部として、機能しているだけでないのか?と構造主義思想は考えていると思います。

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★ 構造主義は志向性の概念が欠落している。


☆ そう言えるはずです。何しろ 《主体性なき過程》と言うんですから。


社会は ネットワークの結節点とそれらをつなぐ線について言えば 網を成す線はあるが あたかもつなぎ目はないかのごとく成っていると言う。

結節点は あっても――それが 一人ひとりの個人であるが―― なんの主体性もなく網状の人間関係の中に埋もれているのだと。


つまり 構造主義は 関係主義なのだと考えられます。


ソシュールの《言語記号の恣意性》なる神話と呼応していると見られます。
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思考を構造化してもそれを観察する人間がいる限り指向性は生じるでしょう。



それ以前に、なんらかの指向性を持っていたからこそ思考を構造化したと言う見方も可能だと思う。
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世界の事象は、個々の社会的構造により構成された言葉による相対的なモノなのではなく、人間の、外の世界を認識しようとする志向的機能が形成した普遍的なものなのである」←そうですか・



でも 第三者には関係ないのに 上から目線で言うと なぜか 「あっ そう」と 聞き流したい だけになる
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哲学自体が ひねくれてるだけです

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