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1. ◆ (或る質問) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
哲学者カントは、良心の呵責についてこのように述べています。
▲ 「人間が良心の呵責によって感じる苦痛は、たといその根源が道徳的であるにしても、結果からいえば、哀傷とか恐怖とか其他種の病的状態と同じく、自然的である。」
参考:カント 道徳哲学 岩波文庫 p.41
つまり、良心の呵責は、・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2. けれども 《良心》とは ひとが考えたりその考えをオコナヒに移すときに その中身によってはヤマシサや恥ぢを感じさせるように胸をドキドキさせ顔を赤らめさせるそのハタラキです。
2-1. それ以外の――《道徳》つまり倫理規範のごとき――取りまとめは ただのカザリだ。カザリを振り回されても困るというもの。
2-2. つまり 良心とは 人に生まれつきそなわった自然本性としてのチカラです。
2-3. 人びとのあいだで育つという社会経験を経なければ はたらかないかも知れないとしても 基本(その源泉)としては 天与のものである。人間がこしらえたもののわけではない。(証明がむつかしいのですが)。
2-4. ヤマシサ反応や恥ぢ意識といった自然に立ち上がるハタラキのほかに・その上にさらにおのれの考えとして良し悪しを思い成すという判断をも言う場合があります。つまり 《良心の呵責》といった言い回しにつながる場合です。
3. けれども 《良心の呵責》という場合には すでに思わず知らずに成したわがオコナヒについて 考えの及ばなかったところがあると知って恥ぢつつ悔いる――悔いつつ恥ぢる――ときの思いや その確認としての意識を言うのが 基本ではないでしょうか。
3-1. つまり 規範やオシヘとしてまとめられたカザリは そこでも要らない。基本として 〔特に他人がする〕説教は 要らない。
3-2. ▲ 良心の呵責によって感じる苦痛
☆ というこの《苦痛》という言葉は 必ずしもふさわしいとは思えません。
3-3. 悔いるそして恥ぢるなら 《思わず知らず・また軽々しくオコナヒを起こす》ようなことをしないようにしようと心に言い聞かすはずです。苦痛の問題とは 別なはずです。
3-4. もし苦痛を伴なうような咎めを良心なるハタラキが 起こしているとしたら それは すでにオコナヒに当たって恥ぢやヤマシサ反応を感じながら・しかもこれらにさからって冒すことになったという場合です。
3-5. すなわち 確信犯の場合です。もしおのれのオコナヒについて良心が咎めそれによって悔いる恥ぢが 心の苦しみや痛みにまで成るとすればそれは みづからがその答責性を果たすという問題です。
3-6. 原状復帰という責任の問題です。つまり 焦点・力点としては苦痛の問題ではなく 冒したオコナヒがもたらした損害をつぐなう問題です。《苦痛》は――思いやりの問題を除けば―― 関係ない。
4. ▲ 道徳
☆ というのは 良心のハタラキや良し悪しの判断あるいはさらにツグナヒをめぐることがらについて 社会のナラハシをしらべ一般性のある内容を取り出しこれを――誰か賢い人たちが殊勝にも――規範としオシヘとしてまとめたものです。
4-1. つまり 良心にかかわる人間の意志行為とそれらの錯綜する社会的関係 つまり倫理の問題が 社会には生じている。――ところが この倫理をめぐる規範というのは すでに二番煎じである。
4-2. つまり カザリとして床の間に鎮座ましますものであるに過ぎない。道徳は 極端に言えば どうでもよいものです。屁の河童です。
4-3. 自然本性におけるみづみづしい良心のハタラキを カザリとして・掛け軸として掲げられた論理に席をゆづった状態にするわけには行かない。
4-4. すなわち カントが:
▲ 良心の呵責によって感じる苦痛・・・の根源が道徳的であるにしても
☆ というくだりは 表現だけではなく 人間の自然本性にそぐわない人間性の認識にもとづいています。譲歩条件だとしても 理性による余分な思考が 介在しています。
4-5. 人間性の《根源》としてたとえば《良心》を持ち出すばあい それは ふつうに人間関係という意味の倫理の問題であっても 道徳といった倫理規範の問題ではあり得ません。〔遅れてやって来たに過ぎない〕あたまの問題ではないです。
4-6. また 《苦痛》は 主役ではありません。責任を果たすことが主題です。( 3-2 ~ 3-6 )。
5. いや だから 苦痛は《自然的だ》と言っているではないか? つまり:
▲ (I.カント)・・・結果からいえば、哀傷とか恐怖とか其他種の病的状態と同じく、自然的である。
☆ と。
5-1. いやいやいや。だから 道徳は二番煎じであって《根源的》ではなく 答責性が主たる課題であって《苦痛》は主役ではないということが明らかになったとすれば いちいち・わざわざこのように 恥ぢや咎めが《自然的である》と――何かの問い求めの結論として――言っているのは おかしい。
5-2. 話の順序が ぎゃくなのだ。すべて良心――恥ぢやヤマシサ反応――に始まる。《自然的である》のは 当たり前の話なのだ。
5-3. 況や おかしいのは カントが:
▲ 病的状態
☆ という規定を持ち出すことにおいてをやである。
5-4. 良心は・その恥ぢ意識は・そして時にはその咎めは すぐれて人間的であり すこやかな人間性そのものなのだ。
6. 何をか言わんや。――イマヌエルくん あやまてり。
☆ ご見解をどうぞ。
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
先生。
お早う御座います。良心や咎め、道徳の起源とは何かな?と考えてみた時、他者への共感能力や感受能力なのではないか?と考えています。人々が生まれながらにもつミラーニューロンや松果体などに起因する「共感能力sympathy 」や「感受能力pathos」は、自身の他者への行いが「歪み」と自他に判定されたとき、良心や良心の咎め、道徳違反感覚を覚えるのだな、と考えています。
ご回答をありがとうございます。お早うございます。
★ 良心や咎め、道徳の起源とは何かな? と考えてみた時、
☆ はい。《起源》論は 意外に(?)効くもののようです。
★ 他者への共感能力や感受能力なのではないか? と考えています。
☆ うむ。《間主観性:インタズブエクティフィテート》として捉えるなら そうなりますね。
主観にかぎれば ヤマシサ反応ではないかとは思います。
顔を赤らめるなんてのは 意志でやる人はまづいません。人間の発明でもないでしょう。
つまり 赤面やヤマシサ反応の起源は なにか?
★ 人々が生まれながらにもつミラーニューロンや松果体などに起因する「共感能力sympathy 」や「感受能力pathos」は、
☆ 《松果体》は ちょっと・・・と思うのですが 勝算はありますか?
(精神と肉体とを二元として分けたあとに出て来るんですよね?)
つまり 主観と主観の間に焦点を当てるなら やっぱし交感の問題になるかと。
そして 自然や世界と未分化一体なる心を 原始心性として下に見ましたが その内 感性の共通性といった共感能力(センスス・コムニス)は 放棄することは出来ませんね。
★ 自身の他者への行いが「歪み」と自他に判定されたとき、良心や良心の咎め、道徳違反感覚を覚えるのだな、と考えています。
☆ ううん。《歪み》は ちょっと抽象的ですね。
《モノは ふと曲がる(クリナメン)》と言いますが たとえばへりくだるとき 能力よりも下に自己評価をなして或る種のウソをつきます。これも ゆがみでしょうか?
相手のことで その評価を自分が思っているより高く言って やはりウソをつきます。敬語の問題でもありますが ヤマシサ反応にかかわるはずです。
つまり 極論に片向くなら 抽象概念で一般普遍性を規定した倫理規範は すでにアタマだけで考えている・・・ということになりますまいか。
特に《道徳》とよばれるアマテラス人格語は まだまだ磨き足りない内容なはずです。なぜって 時代と社会によって まちまちであり 変わり得ます。
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