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ウクライナ国とウィル・スミス氏の違いは?

ウクライナという国がロシアから侵略戦争被害を受けました。
それに対してウクライナは大統領を中心に国家国民が団結して
反撃し、侵略を防いでいます。
ウクライナの大統領は世界中の国に援助や支援を求め、
続々と武器供与や難民受け入れなどが起こっています。


他方、米国映画界のアカデミー賞で司会者のコメディアンがウィル・スミス氏の妻に対する心無いからかいの言葉を発したところ、
夫のウィル・スミス氏が平手打ちを喰らわせるという事態が起きました。
直後にウィル・スミス氏は壇上で謝罪し、ネット上などでも謝罪の意思を表明しています。
しかし世間は賛否両論のようで、ウィル・スミス氏はアカデミーを
除名される模様であり、これを察したウィル・スミス氏は自ら脱会を表明したとのことです。

どちらも
●なんの落ち度もないのに一方的な攻撃を受けた
●それに対して反撃した
であると思いますが、この違いは何でしょうか?

まあ、違いがあるとすれば、受けた攻撃と反撃の差ではないか?と思います。
ロシア 武力による侵略 → ウクライナ 同じく武力による反撃
司会者 言葉の暴力 → ウィル氏 平手による直接暴力

多くの人は
「ウィル氏は言葉による暴力に対しては、同じく言葉による反撃をするか、あるいはその場では一切無言を貫き、のちに遺憾の意を表すべきだった」
ということを言うのではないかと思いますが、それでは
「口が達者な奴には言われっぱなし」
「からかい、ジョークの上手い奴が世間の注目や称賛を集める」
ということになると思います。
日本のテレビ番組でも口の達者な司会者が、共演者をバカにしたり、差別的な発言で笑いをとったり、というシーンが多く見受けられます。

果たして、言葉での暴力は許されて、(武器、凶器を持たない)手による暴力は大した怪我がなくても、絶対に許されない事なのでしょうか?

自分や自分の家族を言葉の暴力で痛めつけられた経験のある方、
他人や他人の家族を言葉の暴力で痛めつけた経験のある方、
ご回答お願いします。

A 回答 (3件)

暴力は絶対だめ言葉で解決しようって部分だとおもいますが


あの場面で違うのは白人が黒人を侮辱してないってのと
同じ黒人同士でも下の者が上に対して言ったので日本でいうパワハラではなくてブラックジョークで言いすぎたって部分があります
つまり強い立場の人が弱い人への言葉ではなく ある意味皮肉った言葉です
日本でも有名人と結婚すると金目当ての結婚だなって納得する人がいます
それと同じようなタイプです

ただ他でも言いましたが 本来親が子どもをしつけする場合にげんこつが
ありましたが それすら暴力行為として虐待として学校ではもっと厳しくなりました
その結果暴力を振るえないのをわかって言葉の暴力による攻撃が高まりましたSNSでその部分の誹謗中傷を厳罰化になりましたが
ある程度のしつけや教えの体罰は必要であってそれを否定すると
その感情は言葉になるので最後戦う時は殺し合いになる
憎しみって暴力から受ける場合もあるけどほとんどが言葉からであって
言葉の暴力で済ませれなかったウィル・スミスの暴力って
これで ビンタで終わりにしようって行動なのであって間違ってないと思う
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

いろんな問題が絡んでいるのですね

お礼日時:2022/04/03 17:58

ウィル・スミスはロシアと比較すべきかと思います。


暴力(武力)以外の攻撃を受け、ロシア、ウィルは、暴力(武力)で応酬した。
だから、いずれも制裁を受けている。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>ウィル・スミスはロシアと比較すべきかと思います。
暴力(武力)以外の攻撃を受け、ロシア、ウィルは、暴力(武力)で応酬した。
だから、いずれも制裁を受けている。

でも先に手を出したのはロシアと司会者ですけど。
ロシアや司会者が先に手をださなければ、ウクライナやウィル氏は攻撃はしなかったはずですが。

お礼日時:2022/04/03 11:36

端的に言えば、反撃の度合い、大きさなんでしょうね。



スミスさんの過剰な反撃が民衆の支持を得られなかったということなんではないでしょうか。
例えば、人(社会の一員)を殺したので、社会(民衆)から死刑を宣告(反撃)を受ける、といったように、それ相応の反撃は多くの人から支持を受けます。
しかし、極端ですが、万引きで死刑では、社会から支持されないのと同じです。

ウクライナの受けた打撃、損害は甚大です。
おそらくプーチンの万死に値すると考えている人は多いと思います。
一方今回、スミスさんの反撃が「なにいってるんじゃ、このくそが!」と相手を罵ったことだったらどうでしょう?
もっと極端に言って、その場でおしっこを相手に引っ掛けたとしたらどうでしょう。

反撃の度合いではなく、反撃した相手の「品位」の問題になります。
そうみると、反撃を公衆の面前でするとき、
反撃の度合い、大きさ以外に、反撃の仕方、品位を社会から見られているということに気づきます。

ウクライナがもしロシアに対して、生物化学兵器を使ったり、ロシア兵をとらえて惨殺するような反撃を開始したら、
ウクライナの反撃に対する世論は一変すると思います。

スミスは、怒りで我を忘れ、公衆の面前であることも忘れて感情のまま反撃しました。
いま問われているのはきっと、オスカーに対する品位の棄損に対する批判なんでしょうね。

参考にしてください。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

参考にします。

お礼日時:2022/04/03 09:33

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