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牟田口廉也ってインパールのとき部下は餓死しているのにわ自分は豪遊していたけど、最後はケツ上げて インドのジャングル進んで行ったんですよね?

A 回答 (5件)

>最後はケツ上げて インドのジャングル進んで行ったんですよね?



 いいえ、ケツ上げて日本に進みました。そのまんま予備役、国内で終戦を迎えてます。インパール作戦の時には一番前線に近いところでも後方の兵站基地までしか行かなかったようですね。
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>部下は餓死しているのにわ自分は豪遊していたけど、・・・・


違います。
歴史書をしっかりと読んで、真っ当な事実を理解して下さい。
(参考文献)
【インパール作戦―ビルマ方面軍第十五軍敗因の真相 大田嘉弘(著)】
英国軍事スリムの回顧録『敗北から勝利へ』にもある様に、一歩違えば日本軍は勝利を収めた戦いです。
敗北の最大の要因は、作戦開示時期が遅れた事です。18年末までに開始されれば普通に勝利し、ボースはインド独立へと駒を進めた事でしょう。甚大な被害を出した要因は2点、撤退時期の判断が遅れた事、5月中に撤退を判断するべきでした。また、19年3月時点で、英米が反転攻勢物資の供給体制が確立された事実に、気が付かなかった事は、結果的に牟田口中将の判断ミスに見えます。しかし、31師団・33師団の師団指揮官能力や、ディマプールへの進撃中断命令での方面軍判断ミスが無ければ勝利していた事も事実でしょう。その事を考慮すると、一概に牟田口中将のミスとも言えません。また、稲田正純参謀の作戦遅延妨害も、敗因の大きい要因です。
自虐史観的な一方的情報だけでなく、英国軍側からの情報も加味した、多角的資料を見て、この戦を評価しなければ駄目です。
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牟田口も酷いが、牟田口と共にインパールの責任取らされて罷免された上司の河辺の後任者の木村兵太郎はもっと酷い。

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息子さんは、父親を恥じて、絶縁したようです。

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そのまま日本に戻って、予備役に編入されています。



ともかく最悪の指揮官で、インパール作戦の中止を訴えた部下をかたっぱしから更迭して、戦後も作戦の失敗を部下のせいにしていますからね。

こういう人間こそ極刑にすべきだったと思っています。
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