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道鏡と称徳天皇の関係から入ります。
称徳天皇は独身ですので、不倫の関係とは、言えないですね。
当時、道鏡は55歳から60歳・称徳天皇は47歳でした。

井沢元彦の「逆説の日本史」では次のような説明があります。

<七十まで生きれば『古希』つまり「古来稀」と言われたのだ。今で言えば「七十」が「百」ぐらいの感じだろう。そういう時代に、いくら修業を積んで身体強健だったとしても、五十五歳の男が四十五歳の女とそんな関係を続けられるものだろうか。>

井沢は、年齢からみると、二人には性的な関係はできなかった、と書いています。

ところで、週刊誌などの芸能などニュースなどを見ていますと、今の風潮では、女55歳・男65歳のカップルの不倫はあるようですね。
奈良時代、上流階級は食事も十分で、身体は強健だったと思います。

質問は、奈良時代は、上流階級の55歳と47歳のカップルでは、身体的に・生物的に性的な関係は築けなかったのでしょうか?
(この質問では、道鏡と称徳天皇間の性的な関係の有無を聞いているのではありません)

A 回答 (1件)

成人後の平均余命、特に40過ぎてからの平均余命は、奈良時代も今もそれほど大きな違いはない。


55歳と47歳のカップルなら、下手をしたらセックスレス夫婦が多い現代よりも性欲は旺盛な人が多かったかもしれない。問題なく性的な関係は築けていたでしょう。

ちなみに道鏡と称徳天皇の関係については、「堕落論」で有名な坂口安吾先生も、井沢さんとは全く観点が異なりますが、二人のそれまでの歩みを踏まえたうえで、道鏡と称徳天皇の不倫説をトンデモ説の与太話と笑い飛ばしていますね。私も、精神的には兎も角、肉体的にはありえないと思っております。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<特に40過ぎてからの平均余命は、奈良時代も今もそれほど大きな違いはない。>ですね。
<問題なく性的な関係は築けていた>でしょうね。
平均寿命と平均余命は違いますね。

お礼日時:2022/10/12 10:27

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