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21歳です。最近気づいた事です。
①人間は人に親切にしたい。人の役に立ちたいという気持ちはあるが、殆どが自分のためである。
②なので、人に親切にする時、相手の問題を解決する事が目的ではなく、感謝される事が目的である。(指導するべき立場を除いて)

ここからが問題で、人に親切にするのは感謝されて嬉しいからなので感謝されれば過程はどうでもいい。過程を考えるのはめんどくさいので、安易で自分に都合のいい解決策を考えて、それを行う。これが落とし穴。
実は人に親切にしている時、相手の事を考えていない。感謝されることばかり考えている。
「自分は人に優しくできる人徳者」なんで考えは傲慢である。

↑の考えは正しいでしょうか?いろんな意見、感想をお聞かせください

A 回答 (4件)

「自分は人に優しくできる人徳者」が仮に放漫であるとしても、親切にされる方としてはどうでも良いとこだと思います。

有名なタレントが災害支援を行って売名行為と言われてもかまわないと思う人がいるのと同じです。
「情けは他人(ひと)のためならず」
という考え方は放漫とかそうでないかは、考える事自体が無意味だと思います。
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そういう人もいるかもしれないがそうじゃない人はもっとたくさんでしょうね。

人の数だけ思考ロジックがあり、違うために一概にこうとは言いきれないのが本当のところです。

相手の事が分からないのではなくて相手の思考ロジックが理解できないだけで、こういうのは生きた環境に左右されるので環境が違うと分からないものですよ。

ということでこういう話は残念ながら堂々巡りとなるので結論は出ませんね。

でもひとつだけ言えるとすれば「親切は誰かのためになるので余裕がある状況なら進んで実践しても良いのでは?」こういう気持ちが相手も他者に対して行うことで助け合いとなり社会の秩序として構築されていくのですから。傲慢とか知ったかぶって言うより何倍も気持ちの良いことではないですかね?
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人間の特質性を論理的に解析すると、そうなるでしょう


瞬間の親切に、そこまで計算する人は傲慢である
しかし、瞬間の親切に、そこまで計算しない人は傲慢ではない。
さらに、その判断は精神の問題や哲学の問題もあるのです

「汝自身を知れ」・・・・とは
自分は、親切にされればうれしい、ならば
誰だって、親切にしてあげる事はうれしいはずだ
ならば、親切は良い事である、と言う事を広めましょう、
と言う事で、あくまで、自分の中に他者の存在がある状態なのです。
そのため哲学する人は、損得では動かず、理性で動くのです。
もちろん哲学する人は、感謝される事が目的ではないのです。
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相手の問題を解決しないと、感謝はされないはずなので、安易で自分に都合のいいかどうかは疑問です。

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