亡父が満州で終戦を迎えた世代でもあり中国東北部へ旅行したいと思い予備知識を入れようと満州研究しています。

満州(偽満)の起こりから終戦までの間に介入した人物(石原莞爾、甘粕正彦、皇帝溥儀、等等)と開発事業団についての文献を探していますがなかなか見つかりません、731部隊については様々な文献がありますが満映の文献は少ないですし。

良い資料と大連やチチハルなど東北部で満州の遺構をお知りの方、お教えください。

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A 回答 (4件)

◆満州で活躍した人を調べるには、下記のような資料があります。


都道府県立クラスの図書館でしたら、所蔵しているものと思います。

『満州人名辞典』上巻 日本図書センター  1989.5
『満州人名辞典』中巻   日本図書センター 1989.5  
『満州人名辞典』下巻   日本図書センター 1989.5


◆あと、国立国会図書館のOPACを利用して、資料情報を収集する方法があります。

【国立国会図書館蔵書検索・申込システム】
http://opac.ndl.go.jp/

上記画面から→「一般資料の検索/申込み」に進み、検索画面の件名に「甘粕正彦」と入れて検索すると、5件ヒットします。
その中には、↓のような資料があります。

『満洲国の断面』 武藤富男. -- 近代社, 1956
『問題の人甘粕正彦』 山根倬三. -- 大空社, 1997.5. -- (伝記叢書 ; 253)


件名に「満州映画協会」といれて検索すると、3件ヒットします。

『満映』/ 山口猛. -- 平凡社, 1989.8
『満映』 / 胡昶,古泉[他]. -- パンドラ, 1999.9
『満州の記録』 -- 集英社, 1995.8


件名に「満州 歴史」といれてAND検索すると、356件ヒットします。
その中には下記のような資料が含まれています。

『満洲開拓史』 / 満洲開拓史刊行会. -- 満洲開拓史刊行会, 1966
『満洲建国十年史』 / 満洲帝国政府. -- 原書房, 1969. -- (明治百年史叢書)


件名に「満州 移民」といれてAND検索すると、109件ヒットします。
その中には下記のような資料が含まれています。

『満州移民関係資料集成』. -- 不二出版,
『満洲移民問題と実績調査』 / 日本学術振興会第二特別委員会. -- 日本学術振興会, 1937. -- (学術部第二特別委員会報告 ; 第7編)

かなり古い資料もあります。もし、興味がおありでしたら、もよりの図書館のレファレンス・カウンターでご相談ください。
所蔵しているところから、取り寄せの手続きをしてくれると思います。
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この回答へのお礼

gazeruさん、早速の回答有り難うございます!

「満州人名辞典」は知らなかったです、見てみたいな。
歴史に翻弄されて出来た鬼っ子のような国ですが事実と対峙して勉強してみたいと思います。

お礼日時:2005/04/15 10:30

国会図書館に、満洲國が布告した官報が全て保存されています。

この回答への補足

皆さん貴重な情報をお教えいただき有り難うございました、よーく勉強して秋には中国へ行こうと思ってます、中国は何回か行ってますが東北部は初めてです、反日問題で治安も取りざたされてますが親の供養と思って行ってきます。

本当に有り難うございました!

補足日時:2005/04/15 10:40
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この回答へのお礼

PENPENMAKKYさん、回答有り難うございます!
国会図書館はさすがですね、東京出張の際でも行ってみます、でもついでで行くには時間かかりそうですね、色んな文献に目移りしそうです。

お礼日時:2005/04/15 10:37

満州と溥儀についてなら、最近いい本が出たそうです。


岩波版では肝心のところが省略されていたと言う、「紫禁城の黄昏 完訳版」(祥伝社)の上下刊です。原著が1934年刊行の、当事者の1人が書いた本なので一級史料の訳本となり、資料的価値が非常に高いと思われます。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4396650 …
アマゾンの「監修者の言葉」によると
-------------------------------------------
「『紫禁城の黄昏』が、極東軍事裁判に証拠書類として採用されていたら、あのような裁判は成立しなかったであろう。こういうだけで、本書の価値を知るには十分である。もちろん、何が何でも日本を悪者に仕立て上げたかった東京裁判所は、本書を証拠資料として採用せず、却下した」 (監修者のことば)
-------------------------------------------
ということだそうで、戦争の発端となった満州・溥儀について詳細にわたって記述されていると思われます。
自分はまだ入手しておりませんが、近々購入予定。
噂では初版、第2版が売り切れで第3版が刷り始めているそうですが……探してみてください。
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この回答へのお礼

kusakabe66さん、貴重な情報有り難うございます。

有事の際には出したくない情報なんていくらでもあったでしょう、歴史から封印された事実もいくらでも。
反日が今取りざたされてます、いつまで「戦後」なんでしょうかねぇ。

お礼日時:2005/04/15 10:34

kitayamasugiさん、こんにちは。

旧満州国について研究されているとのことですが、お住まいの地域に文学部、出来れば史学科のある大学はございませんか。大学の図書館の大半は近隣住民にも門戸を開いています。市立図書館や県立図書館よりは、はるかに蔵書数が多いですので、お探しの資料があるかもしれません。また、最近では資料や蔵書の検索をインターネット上でできるようにしている大学もありますので、お試しになってはいかがでしょうか。あまり参考にならなくてすみません。
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この回答へのお礼

goliathさん、早速の回答有り難うございます!
そうですね、大学に行ってる姪っ子に図書館について聞いてみます、ネット検索しても良い情報が無いときは横着せずに目、耳、足使わなければアキマセンね!

お礼日時:2005/04/14 21:38

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Aベストアンサー

 普通の美術館であれば館内の写真撮影は禁止されていると思います。
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これらの文書・資料は、ソ連邦の崩壊前後から公開されるようになり、日本の研究者がモスクワ詣でをして、調査・研究しているとのことです。
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これらの文書等を返還要求できる権利が日本にはあると思うのですが、法的な根拠はあるのでしょうか。
日本政府は、ロシアに対して公式に返還を要求したことはありますか。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 1956年の日ソ共同宣言で全ての請求権を放棄していますが…。
 (返還要求は出来ない筈)

日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言
     (略)
 日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、1945年8月9日以来の戦争の結果として生じたそれぞれの国、その団体及び国民のそれぞれ他方の国、その団体及び国民に対するすべての請求権を、相互に、放棄する。
     (略)
   http://www.hoppou.go.jp/library/document/data/19561019.html

 勿論「ロシアが好意で返します」なんて事が絶対に有り得ないと言う訳では有りません…。

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満州国と太平洋戦争の関係を教えてください。

1.満州国は米英と戦いましたか?
2.米英は満州国に宣戦布告しなかった?
3.ソ連は満州国に宣戦布告しましたか?
4.満州国の軍事組織や戦力はどのようなものでしたか?
 関東軍とは別?それともすべて日本頼み?

Aベストアンサー

まず満州国を国として承認しているところは少ないです
満州国を国家として承認していない米英は満州国を日本支配下の植民地として見ていますから
満州国に対して宣戦布告する意味合いはないです
日本がミャンマーやインパールで戦った英軍は実質インド軍ですが
日本が英領インドには宣戦布告していないのと同じです

実際に米英軍は満州国軍と交戦してませんし、例えしたとしても日本軍と戦ったということになるでしょう

満州国軍について
《日本の》参謀本部が1933年9月に決定した『満洲国陸軍指導要綱』では
(1)兵力は最小限の6万とする
(2)戦時日本が重要とする鉄道の警備にあたらせない
(3)戦車・重砲・航空機は保有させず、作戦資材の補給は日本軍と同一にする
と日本は全く満州国軍をあてにしてもなければ、期待もしていなかったのです

関東軍が満州国軍の育成を担当しましたが
最初に取った方策は反乱防止のための日系軍官(士官、下士官)の採用(1932年11月~)で
満州国軍の幹部は日本人で占められました
また1934年には満州国軍が募兵することは禁じ関東軍が許可した者のみ採用しました

満州国軍が単独行動できたのは治安維持や対ゲリラ戦に限定され
ノモンハンなど数少ない野戦行動は関東軍の統制下に入ったのが現実です

長文失礼致しました

まず満州国を国として承認しているところは少ないです
満州国を国家として承認していない米英は満州国を日本支配下の植民地として見ていますから
満州国に対して宣戦布告する意味合いはないです
日本がミャンマーやインパールで戦った英軍は実質インド軍ですが
日本が英領インドには宣戦布告していないのと同じです

実際に米英軍は満州国軍と交戦してませんし、例えしたとしても日本軍と戦ったということになるでしょう

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関東軍がすべてを支配していたかというと微妙です。影響力はとても強かったというのは言えますが。本国政府の意向をすべて無視することはできません。基本的には本国政府と話し合いで決める。ただ重要項目でワガママが通った。という感じでしょうか。軍事予算を考えると、アヘン密売の財源はお小遣い程度にしかならなかったと思います。

皮肉なことにこれはGHQが日本占領した時の構図とも同じです。マッカーサー始め軍人が権力があるように見えます。本国の命令を無視しがちなキング・マッカーサーでしたが、スタッフは米本土から送り込まれており、GHQがやりたい放題できるわけではありません。本国の意向を無視はできないのです。

同じ構図はフランス・アルジェリア戦争の時にもあります。あのときにもフランス軍がクーデターを起こす直前でした。満州事変と226事件が一片に来るような感じでしたが。ただその時のフランス政界にはドゴールがいたのです。

人間の行動は、条件が同じであれば似たようなものになるようです。
資料を読まずにうろ覚えでこれを書いているので、あんまり厳密ではないですが。
もっとちゃんと書いてくる人がいたら、そっちの意見を参照してください。

内面指導といって満州国の内部機関に日本側のスタッフが入り、その日本側スタッフの決済印がなければ書類一切が進まないという状態でした。ただこのスタッフが本国から派遣されてきます。関東軍がきっかけになったことは確かですが、国ができてみると、本国政府もどんどん介入してきます。また226事件以降は統制派が権力を掌握するので、関東軍の勝手行動にもある程度枠がはめられたと聞きます。
関東軍がすべてを支配していたかというと微妙です。影響力はとても強かったというのは言えますが。本国政府の意向...続きを読む

Q終戦が9月3日から5日あたりまでのびていたら満州の戦闘はどうなっていた

終戦が9月3日から5日あたりまでのびていたら満州の戦闘はどうなっていたでしょうか?

Aベストアンサー

飽く迄も、小生の予想ですが
旧満州国の一帯は、ソヴィエト連邦となり
朝鮮動乱は、北側の勝利で終わり
日本はアメリカからの圧力で、憲法第9条を改定して
再軍備を始め、それに対し半島側からも
日本を侵略する為に、海底トンネルを掘り始める事でしょう。

Q「満州国」の城市について

日本は「満州国」建国以前から「関東州」と満鉄付属地は支配していましたが、その時点で近くに点々と存在する城市は中国人の住む町で、日本の主権は当然及ばなかったですよね。
それで「満州国」建国後はどうなったのでしょう。満州国政府は城市にどのような態度をとったのでしょうか。というより単純に「満州国」建国後も城市は中国人の主権の及ぶ場所だったのでしょうか。

Aベストアンサー

満州国成立後は当然満州国の主権下にありました。
満鉄附属地も満州国成立後は満州国に返したと思いますが。

Q満州事変から終戦までの日本での出来事

満州事変から終戦までの
日本で起きた主な出来事を
年表つきで教えてください;

おまけなどをつけていただけると尚うれしいです

Aベストアンサー

>満州事変から終戦までの日本での出来事

       ↓

1931年: 満州事変(9/18柳条湖事件)勃発
10月事件
1932年:リットン調査団来日
      満州国建国宣言
       5・15事件
1933年:国際連盟脱退
      東北・三陸地方で大地震・大津波(死者1500人余)
 
1934年: 日本製鉄設立(1月)・三菱重工業設立(4月)
       室戸台風(死者・行方不明者、約3000人)
       丹那トンネル開通
1935年: 相沢事件
      戦前最後のメーデー『第16回』
1936年: 2・26事件
      日独防共協定
      オリンピック・ベルリン大会で前畑選手金メダル
      国会議事堂完成
1937年: 盧溝橋事件
      日独伊防共協定
      大本営設置
1938年: 国家総動員令公布
       電力管理法公布
       オリンピック東京大会・万国博覧会の開催延期
1939年: ノモンハン事件
       米穀配給統制法
        国民徴用令公布
        価格等統制令公布
        大学の軍事教練必修化
1940年: 日本労働総同盟解散
       大日本農民組合解散
        皇紀二千六百年記念式典
        大政翼賛会発足
1941年: 日ソ中立条約
       東条内閣成立
        御前会議で開戦決定
1942年:  マニラ占領・シンガポール占領
        米機、日本本土初空襲
        翼賛選挙実施
        大日本婦人会結成
        食糧管理法公布
        関門海底トンネル開通
        ミッドウエー海戦
1943年: 徴兵適齢1年繰り下げ『19歳』
        大東亜会議開催『東京』
        学徒出陣
1944年: 昭和新山噴火開始
       サイパン島玉砕
       大都市に疎開命令
       東京初空襲
1945年: 米軍、沖縄上陸・占領
       原爆投下<広島・長崎>
       ソ連・対日宣戦
       ポツダム宣言受諾    
       終戦(8/15)

1931~1936年→軍部の台頭

1936年~1941年→戦時体制の強化と開戦

1941年~1,945年→戦争

>満州事変から終戦までの日本での出来事

       ↓

1931年: 満州事変(9/18柳条湖事件)勃発
10月事件
1932年:リットン調査団来日
      満州国建国宣言
       5・15事件
1933年:国際連盟脱退
      東北・三陸地方で大地震・大津波(死者1500人余)
 
1934年: 日本製鉄設立(1月)・三菱重工業設立(4月)
       室戸台風(死者・行方不明者、約3000人)
       丹那トンネル開通
1935年: 相沢事件
      戦前...続きを読む

Q満州国の国際的承認について

満州事変をへて満州国が建国されたとき、バチカン市国はじめ23カ国が満州国を承認したと聞きます。しかしながら国際連盟の総会では、満州国の承認は日本1カ国のみで、他国は全て反対。日本は連盟を脱退したと聞きます。
承認したという23カ国は、国際連盟の採決ではどのような行動を取ったのでしょう?わかる方がいたらば教えて下さい。

Aベストアンサー

当初、国連総会では、リットン調査団の報告書があったにも関わらず、満州を承認しようという国は結構ありました。アメリカでさえ承認しようとしていたのです。

ところが、この総会中に、これらの国々が態度を一変させた事件が発生します。
熱河作戦です。既に満州の東三省を手中に収めていた関東軍でしたが、新たに長城を超えて華北へと侵攻したのです。
この国連への挑戦ともとれる新たな侵攻で国連加盟国は態度を硬化させ、満洲を承認しようという国はなくなりました。
かくして日本は国連を脱退する事となります。

Q終戦後の、旧日本軍の軍人

旧日本軍の軍人

志願して採用され、職業軍人となった人
令状で召集され、(強制的に)軍人にされた人

大きく分けて、この二種類でOKですか?

また、太平洋戦争以前からの職業軍人の人達は、ずっと軍からの給料で生計を立てていたと思いますが、終戦後の処遇はどうなったのでしょうか?

Aベストアンサー

ズサンすぎると思います。質問者ならびに他の回答者の認識が。

まず質問者が、軍人とは「志願して採用され、職業軍人となった人」「令状で召集され、(強制的に)軍人にされた人」に二分してOKかとの問いに、誰も訂正をしていない。ひどいもんです。旧日本軍の場合、一般社会から軍人になるのは「志願・徴集・召集」です。多くの人が漠然と考えている徴兵制とは「生まれてからずっと軍隊とはまったく無縁に暮らしていたら、ある日突然“アカガミ”によって“召集”されて兵隊になって戦地まで行ってしまう」とでもいうものでしょうかね。それって、ちょっと問題があります。

軍隊のことをウンヌンする場合には、たとえ戦争中の話題であっても、まず戦争のない平時の仕組みから知っておかないと大抵は結果として大きな間違いになる、と私は断言します。古今東西、どこの軍隊も基本は平時です。その基本のうえに戦時・有事という応用が問われるのです。これから長々と書いていきます。

“徴兵検査”ぐらいは聞いたことがあるでしょう。原則として前年12月1日から当年11月30日までに満20歳になる男子が、春から夏にかけての時期に身体検査(簡単な知能の検査もあるらしいが、この点は私もまだ不勉強)により甲乙丙などと判定されるわけです。その判定とさらにクジで順番が決められて、それによって“現役”、“補充兵役”などに分けられ、“現役”の者が数ヶ月後に予定どおり(強制的といえるでしょう)軍隊に入ります。これを“徴集”といいます。これが兵隊の基本中の基本なんです。“召集”じゃありません。この“徴集”はアカガミなんか一切関係ありません。明治時代に徴兵制が始まってから昭和20(1945)年に軍隊が無くなるまで、平時も戦時もこの“徴集”はありました(末期には年齢が19歳に下がり、身体検査の時期も変わることがありました)。

少し前の文で“現役”と書きました。この“現役”というのは非常に重要なキーワードです。軍隊について無知な人(つまり現代日本人の大多数、あなたも私も)が漠然とイメージする「軍人」とはこの“現役”の軍人だろうと思います。ところが“現役”でない者も結構いるんです。まず軍隊の下っ端である兵隊は何年も“現役”をやっていられません。上で書いた“徴集”で入った兵隊は何年かすれば除隊といって軍隊からシャバに出られます。そうして“予備役”になります。乱暴に今流の表現をすると「軍人OB」とでもいうようなもの。

志願で入った兵隊はふつう“現役”ですが、たとえ軍隊が好きで志願したとしても数年しか兵隊はできません。どうしても軍隊にいたいなら、“現役”下士官を志願して教育を受け採用されれば下士官になります。下士官からは「武官」で、本物の軍人はここからといって良いでしょう。

ところが日本軍の場合、下士官もいつまでも無条件で“現役”でいられるわけでもないのです。数年ごとに再志願というのをして、軍隊の予算とか本人の勤務評定などをクリアして受け入れられれば“現役”の下士官を続けていられます。下手すれば再志願が通らず「お疲れさん」で軍隊を出てシャバで仕事を探すことになります。“予備役”です。ですから「職業軍人」を考える場合に、日本軍の場合はやや不安定な立場の下士官を含めるかどうか議論の余地のあるところです。

将校の場合(軍医なども含めます)、陸軍士官学校などで学んだ“現役”将校なら、まさに
「職業軍人」です。ですが、将校においてさえ“現役”(すなわち「職業軍人」)であり続けることは今の我々が考えるほど容易ではなかっただろう、というのが私の見解です。昔の栄養・衛生事情は悪く、結核をはじめ身体を壊したりするリスクは現代よりはるかに高い、なのに軍隊が求める健康な身体は一般社会よりもレベルが上でしょう。それに将校だって勤務評定を受けます。エライ人に昇進する枠は少ないのです、のんべんだらりと低い階級のまま軍隊にいてもらっては困るのです。将校だっていつ「お疲れさん」と軍隊を出され“予備役”になるかわからない、ということです。“予備役”将校はもう「職業軍人」ではありません。

話は変わりますが“召集”というのは、有事に軍人の数を増やしたい場合やその他(教育のため等々)により“予備役”や、ときとして“補充兵役”の者を軍隊に入れる事です。本当は“現役”のほうが質が高いのだけれど、戦争などでは贅沢を言ってられませんから「臨時」に“予備役”などの人を使うのが“召集”です(あまりにも多くの人が“召集”をすでに述べた“徴集”と混同しています。それが腹立たしいので私はわざわざこんな長文を書いています)。それから既回答の中に「幹部候補生志願して、職業軍人となり・・」というのは、普通ありません。幹部候補生は”予備役”の将校・下士官コースですから「職業軍人」にはなりません(さらに教育を受け転役すれば“現役”ですが、極めて稀な事)。太平洋戦争のような大きな戦争では兵隊も多いし、下士官も増え、将校だって何千人にもなったでしょうが、実は「職業軍人」というのは思ったほど多くはないのです。このへんの事は私が執筆したWikipediaの『幹部候補生 (日本軍)』というのを読んでみてください。

ところで、軍人の定年というのは一般社会より早いものです。運良く健康でクビにならずにいても、エラい階級にならないかぎり早ければ40代から定年がやって来ます。

以上の事を総合すると、たとえ「職業軍人」といっても人生の中で第二、第三の商売をする覚悟を持っているのが普通であったでしょう。これが平時の基本の話です。それを十分に理解してから、初めて「戦争でどうだった」「終戦になってどうした」ということをウンヌンしなければおかしいということです。

最後の最後に質問に対する私の答えとして、「職業軍人」の終戦後の処遇は一般的にいって決して優遇はされなかっただろうと思います。「公職追放」というものもありました。ただ、戦争犯罪人でもなければ、投獄されたりするようなことはないので「職業軍人」ではなかった圧倒的多数の元兵隊や、予備役からの人と同じような普通の厳しい人生だったのではないでしょうか。

終戦からいくらか経ちますが自衛隊(最初は警察予備隊)ができてからは、「公職追放」が解除された元「職業軍人」の中には、適正もあったし、もともと嫌いな道ではなかったでしょうから自衛隊に入隊した人もかなりいます。初期の自衛隊のエライ人は大部分が陸軍士官学校、海軍兵学校など出身の元「職業軍人」といえます。もし本当に興味があったら、比留間弘さんという方の著作を探して読んでみると面白いですよ。もうお亡くなりになっているようですが、陸軍士官学校を出た現役将校でビルマ戦線で苦労したあと終戦になり、戦後はヤミ同然の商売から雑貨屋を始め、公職追放解除後に陸上自衛隊に入った人生を非常に楽しい文章で何冊かの著作にされています。検索すればamazonなどでもザクザク出てきますし、運が良ければ図書館にあります。

参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/幹部候補生_(日本軍)

ズサンすぎると思います。質問者ならびに他の回答者の認識が。

まず質問者が、軍人とは「志願して採用され、職業軍人となった人」「令状で召集され、(強制的に)軍人にされた人」に二分してOKかとの問いに、誰も訂正をしていない。ひどいもんです。旧日本軍の場合、一般社会から軍人になるのは「志願・徴集・召集」です。多くの人が漠然と考えている徴兵制とは「生まれてからずっと軍隊とはまったく無縁に暮らしていたら、ある日突然“アカガミ”によって“召集”されて兵隊になって戦地まで行ってしまう」とでも...続きを読む


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