プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

1. 分からない。神から人間へのハタラキカケは どのようになっているか。分からない。

2. 推測するに 《風は 気ままに吹く》という命題が当てはまる。か?

3. あるいは 《母レベッカの胎内にあるときから 双子の兄のエサウを神は憎み 弟のヤコブを愛した》というごとく 明らかに依怙贔屓によるか?

4. いかに?

5. あるいは 一切衆生 悉有仏性というごとく すでに初めに――エサウなる赤子を憎んだというけれど その根っ子では――汲めども尽きぬ泉の水は 誰にでも湧き起こっているか? 聖火は ともされているか?

質問者からの補足コメント

  • №3 つづき

    ★ 最後の審判
    ☆ これは その時その時のいま現在においてすでに《最後の時》というものが ふくまれているといった《永遠の現在》説を言うに過ぎないと思われる。
    ------------

    ★ 〈ローマにとっての悪魔をイエスキリストと言う!!!〉
    ☆ しかしローマ市民は キリスト信仰をいだくに到ったんですよ。

    ★ 多くの人が自覚可能な証拠には、現在のキリスト教徒はイエスを理解してはならない。
    イエスを理解すると、自分が呪いで死ぬ作用があるから、理解してはならないのだ。
    ☆ 分からない。

    ★ しかし過去には「原始キリスト教」という、自分が生きることがイエスと寄り添っていた、宗教としての初心もあったのです。
    ☆ イエスはキリストですから 神として信仰の対象です。《イエスに寄り添う》という具体的なウゴキで表わすよりは。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/01/16 19:49

A 回答 (8件)

ここで問題。


カグツチは本当にイザナミを殺したのだろうか。
本当に殺したとすると、イザナギはその後、
どうやって、後に続く子を産むことが出来たのだろう。
後妻を娶ったのだろうか。
黄泉の國に行って結局連れ戻せず、後は一人で産む。
あり得ぬ。男と女がいないと子は産めぬ。
古事記はおかしい。
イザナミが黄泉の國に行った後に
3貴子誕生の話がある。
イザナミがいなければ、スサノヲが母恋しさに
逢いに行く必要があるか、
古事記の編者は何か
おかしい。
この辺は日本書紀で正すべきか。

夜も更けた。
また明日考えようね。
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この回答へのお礼

★ カグツチは本当にイザナミを殺したのだろうか。
☆ くわしく知りませんが 産後の肥立ちが悪いって言いますね。産褥熱だとか。出産で病気になったりはするかと思いますので。・・・


★ 本当に殺したとすると、イザナギはその後、
どうやって、後に続く子を産むことが出来たのだろう。
☆ これが なぞですね。しかも 肝心のアマテラスやスサノヲの誕生にかかわっていますから。


★ 後妻を娶ったのだろうか。
黄泉の國に行って結局連れ戻せず、後は一人で産む。
あり得ぬ。男と女がいないと子は産めぬ。
古事記はおかしい。
☆ おかしいです。まぁ そこが神話でもあるんでしょうが。


★ イザナミが黄泉の國に行った後に
3貴子誕生の話がある。
イザナミがいなければ、スサノヲが母恋しさに
逢いに行く必要があるか、
古事記の編者は何か
おかしい。
この辺は日本書紀で正すべきか。
☆ 母をしのぶことは 単純に母が身の回りにいないからといったことで受け留めるでしょうけれど。

イザナキのミソギで 目から鼻から生まれたっていうんでしょ。明らかにして欲しいところですね。

お礼日時:2023/01/22 04:04

私が今回述べたことは愛ではない。


友情なんだよ。
子弟愛を持ち出されると、「ぎゃ~~~!男ってキライ!!!」という発作が起きる。
私は子供に何かと指南することが多いけども、弟子というのは成熟する年齢に達した時にすでに師匠を追い越してこそ、師匠は報われる。
弟子が活躍するほどに、師匠は何もしなくてもいいのだ。
そんなつもりが、若い時からあった。
そうすると私は、あなたの過去の助けに感謝を今も忘れないのさ。
年を取ると、知り合いは「もう、いつ死んでもいい」愉快そうにそう笑って臆病者を驚かせるものだよ。
この年になると私もわかるよ。
この所感は、輪廻転生という構造に関するヒントだ。
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この回答へのお礼

★ 私が今回述べたことは愛ではない。
友情なんだよ。
子弟愛を持ち出されると、「ぎゃ~~~!男ってキライ!!!」という発作が起きる。
☆ 親鸞いわく:われは 弟子をひとりも持たずそうろう。みな同朋なりと。


★  私は子供に何かと指南することが多いけども、弟子というのは成熟する年齢に達した時にすでに師匠を追い越してこそ、師匠は報われる。
弟子が活躍するほどに、師匠は何もしなくてもいいのだ。
☆ これは 《指南する具体的なものごと(仕事・スポーツ・芸事など)》がある時には そういうことになるかと。


★ そんなつもりが、若い時からあった。
そうすると私は、あなたの過去の助けに感謝を今も忘れないのさ。
年を取ると、知り合いは「もう、いつ死んでもいい」愉快そうにそう笑って臆病者を驚かせるものだよ。
この年になると私もわかるよ。
この所感は、輪廻転生という構造に関するヒントだ。
☆ ああ ここまで来たんだなといった感じを持つときがあるようです。 

ここまでとしてのぶん おつきあいしてくれて ありがとう。

お礼日時:2023/01/16 20:15

日本人ですでに自分の人生で、キリスト教の真髄を心得る本物というのに、出会えた縁を私は幸せだと思うんだよ。


だから今も傲慢さもなく、あなたが私の哲学の師匠だと思っている。
前に言ったよね。
あなたがこの世を去っても、私は生きるすべを与えたあなたを思い出す時がある。
私が生きていれば、私が思い出し懐かしむあなたは死んでいることのならない。
この仕組みは聖人の論理でなく偉人の論理とされている。
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この回答へのお礼

★ 日本人ですでに自分の人生で、キリスト教の真髄を心得る本物というのに、出会えた縁を私は幸せだと思うんだよ。
☆ 宗教――つまり オシへとしてのキリスト教――ではなく 個人における普遍神の信仰ですけれどね。

宗教は けっきょく思想であって 《考える》もの。

信仰は 《考える・感じる》を超えて 《非思考の庭》なる動態的な生きる過程となっている。


★ だから今も傲慢さもなく、あなたが私の哲学の師匠だと思っている。
前に言ったよね。
☆ 精進します。


★ あなたがこの世を去っても、私は生きるすべを与えたあなたを思い出す時がある。
☆ わたしを超えて・アウグスティヌスを超えて キリスト・イエスをも普遍神として捉えて ナゾの何ものかを心に受け容れるとよいと思います。

言いかえると キリストのキの字も言わないで済む・出て来なくて心配ない生活日常が現実と成っていくものと思います。



★ 私が生きていれば、私が思い出し懐かしむあなたは死んでいることのならない。
この仕組みは聖人の論理でなく偉人の論理とされている。
☆ 《信仰 すなわち 非思考の庭》の中で すでに共生しているかも。

お礼日時:2023/01/16 20:09

私の考え。



神に声は無く、あってもかすかな声。
誰もが聞いているが、神の声とは認識出来ない。
代わりに悪魔の囁きには反応する。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 神に声は無く、あってもかすかな声。
☆ 声が有る無しを別として ひとは神の声を聞いたとか 神と話をしたんだとかの体験をもつことがある・・・のではないですか? 主観的なことですけれど。


★ 誰もが聞いているが、神の声とは認識出来ない。
☆ それはそうでしょうね。ただし それでも 主観における体験としては 神が出て来ることがあり得ます。と思います。


★ 代わりに悪魔の囁きには反応する。
☆ それは 特に言えば みづからの心や思いから出た自分の想像物だからだと わたしには 思えます。

とりあえず悪魔だと言っておいて その場をしのごうとするのでしょう。

お礼日時:2023/01/16 20:01

いつもと同じように自分で質問したけども、この普通の日本人が普通に怖がる内容に返答がないから、私はあなたに頼み込みたいんだ。


あなたは実に陰湿で執念深い。
そこは尊敬しているよ。
実にキリスト教徒らしい。
お互いに別の仕事をしている事を心得てくれ。
あなたは僧職型だよ。
私は「得体のしれない生き物」で、妖精さんだ。
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この回答へのお礼

★ この普通の日本人が普通に怖がる内容に返答がないから、私はあなたに頼み込みたいんだ。
☆ 最後の審判とか あるいは ヨハネの黙示録だとか 死の問題にかかわるテーマが手に余るほどあり過ぎて 《怖がる内容》が満載だと言えば そうかも知れない。


★ あなたは実に陰湿で執念深い。
そこは尊敬しているよ。
☆ ええっ? しつこい・頑固だとでも言えばよいのに。

★ 実にキリスト教徒らしい。
☆ わたしは イエスの示した神であるキリストを――普遍神として――信じていますが どこかの教会の信者ではないです。


★ お互いに別の仕事をしている事を心得てくれ。
あなたは僧職型だよ。
私は「得体のしれない生き物」で、妖精さんだ。
☆ まあ そんな感じがしないでもない。あなたのほうで。

お礼日時:2023/01/16 19:54

あなたにこの私の仕事を突き付けるよ。


刺激的だろ。
人にしかと問いかけることができないというのは、おそらくあなたも自覚している普遍的な人間性だ。
人は、死ねばいい・・・・・
とても大切な臨死体験だ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
趣味で作ったテキストだよ。
ヤバイねえ。。。。

タイトル 「ローマにとっての悪魔をイエスキリストと言う」
---------------------
イエスと言うのはユダヤの神学者で、奴隷階級のユダヤ人を宗教で結束させようとした。
文明とは勃興期には王と神は一元的に見なされて、その記憶が生々しい時代にユダヤ王ともみなされた。
そして反逆罪で処刑。この反逆への刑罰は現在も法解釈について現代人は納得できる。
この件はローマの横暴として衝撃がローマ周辺に拡散し、創成期の原始キリスト教は現在で言う奴隷解放運動のような性格をイエスの故事に重ねて志にしていた。
その抵抗組織としての宗教によるローマ領内の波乱を制圧する罠が、キリスト教公認と新約聖書編纂だ。
ローマに懐柔された新約キリスト教はイエスに対する裏切り者の集団になった。
新約キリスト教の伝統的な祭祀と教義はローマの悪意を反映した神学上バカげたデタラメで、キングオブカルトなんだ。
交霊術を行うのが本来の祭壇に処刑台を突き立てて「神よ!くたばりやがれ!」このように祈っているに等しい。
最後の審判とは、キリスト教徒ローマのせめぎあいの反映で、「ローマ滅亡」「キリスト教滅亡」これを意味して、それが教義上で最終目的である集団だ。
人類滅亡説は勘違いで、キリスト教が存在する限り終わりなき殺戮をキリスト教圏に封印するのが良い。
------------------------
私はこうした哲学を自力で組み立てました。
したがって、この論説が命題として成立するか、哲学者たちから助言が効きたい。

私は自己の組み立てた自己の論理を承認されなくても、自分だけは確信している。
〈ローマにとっての悪魔をイエスキリストと言う!!!〉
しかし捕捉しましょう、ローマが治安維持目的で国教として採用したキリスト教徒を新約聖書を記念して「新約キリスト教」としましょう。
志が常にイエスとともにあった、「原始キリスト教」が新約聖書の編纂前には存在したのです。
多くの人が自覚可能な証拠には、現在のキリスト教徒はイエスを理解してはならない。
イエスを理解すると、自分が呪いで死ぬ作用があるから、理解してはならないのだ。
しかし過去には「原始キリスト教」という、自分が生きることがイエスと寄り添っていた、宗教としての初心もあったのです。

Flareon
Flareon
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 「ローマにとっての悪魔をイエスキリストと言う」
--------------
★ イエスと言うのはユダヤの神学者で、奴隷階級のユダヤ人を宗教で結束させようとした。
☆ 族長を中心として ヤハヱ―なる民族神を信仰して人びとがまとまることがあったし(つまり アブラハムをその初めとしている)

さらにはエジプトで奴隷にまで落としめられて 結束してチカラを発揮するのに神の信仰を中心としたことがあった。つまり モーセ。

その後も――王の時代や預言者の時代を経て―― ローマ帝国に従属する国となったときには 独立のためにその指導者としてメシア(つまり キリスト)が待望された。

イエスがそのメシアとなってローマからの独立を勝ち取ろうとするウゴキが出たのは むしろユダヤの人びとのあいだからであった。

イエス・キリストは そういった――神学をまじえようとも――政治的な運動からは自由であった。

ローマ総督もそのことを知ったし だから 独立運動の旗頭ではないと分かった。


★ 文明とは勃興期には王と神は一元的に見なされて、その記憶が生々しい時代にユダヤ王ともみなされた。
☆ ユダヤの社会では そのほかに預言者という存在が重要な役割りを果たした。王に諫言するわけである。



★ そして反逆罪で処刑。この反逆への刑罰は現在も法解釈について現代人は納得できる。
☆ ちょっと分かりづらいです。

★ 創成期の原始キリスト教
☆ 共同生活。迫害を受けたが信仰を守った。

★ その抵抗組織としての宗教によるローマ領内の波乱を制圧する罠が、キリスト教公認と新約聖書編纂だ。
☆ 公認され国教となった。


★ ローマに懐柔された新約キリスト教はイエスに対する裏切り者の集団になった。
☆ 組織宗教として成り立ったとき・また権威と権力をも持ったとき くさる要因を帯びた。


★ 新約キリスト教の伝統的な祭祀と教義
☆ 聖書および教義は それとして中立。組織宗教がオシへをあたかも神とするかのようなウゴキに出たのは 人間性にもとるまちがい。


★ 交霊術を行うのが本来の祭壇に処刑台を突き立てて「神よ!くたばりやがれ!」このように祈っているに等しい。
☆ それは いろいろではないかと。


つづく

お礼日時:2023/01/16 19:48

八百万の神(やおよろずのかみ)と言って、人間が信仰する神は無数にあります、特定の神を論ずるなら、その神を信仰する者同士にしかわかりません。

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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 八百万の神(やおよろずのかみ)と言って、人間が信仰する神は無数にあります、
☆ それは 同じひとつの普遍神について その人間界へのハタラキカケを細かく分けて具体的にたとえば山祇や海神などとして特定しているだけではないのですか?

普遍神の具体化としても おそらくアメノミナカヌシであるか または概念として分かりやすい《オホモノヌシ=ヒトコトヌシ》であるかだと思われます。

やほよろづの神々は けっきょく唯一神の分身なんです。




★ 特定の神を論ずるなら、その神を信仰する者同士にしかわかりません。
☆ 具体的な特定の神は みな普遍神の名前として特定なだけです。

オホモノヌシなり ブラフマンなり アミタ―バ・ブッダなり ヤハヱ―なり・・・。

すなわちみなが 普遍神を信仰しているということです。

したがって このいまの問いが成り立ちます。

お礼日時:2023/01/16 19:17

簡単なのに あなたは 簡単なものを難しく考える癖がある

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