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因果応報説を信じる方ですか? 

信じる方は「詳しく話を聞かせて欲しいぺこ」

A 回答 (3件)

信じるというか、どういう仕組みで起こるかは分かります。



「因果応報」には3種類あります。


ひとつ目、理不尽に対する説明。

人間は物事にストーリーを求めるので、本来無関係な事柄であっても収まりがいいと因果関係をそこに見てしまいます。

例えば、ハゲを例に取ってみましょうか。ある人が若い頃、友人のデコが広いことをからかったとします。ところが年を経るにつれて、今度はその人自身がハゲてきた。

このとき、友人は「ざまあみろ、因果応報だ」と言うわけですね。

しかし冷静に考えれば、当たり前ですけどハゲは遺伝で決まっていますから、友人をからかってもからかわなくてもハゲはしたはずです。からかったことと、ハゲたことは全く無関係ですが、友人としては留飲を下げる意味で「因果応報」と言いたいでしょうし、何も悪いことをしていないのに日に日に髪が薄くなっていく理不尽に対する説明として、「むかし友人をからかった罰だ」という説明を持ってくることは、それなりに本人の納得にも有効です。

悪人が不幸な目に遭ったときなども同じで、人を不幸にした人間(悪人)が何の罰も受けないということに理不尽を感じる人は、その人が不幸になると「因果応報」「罰が下った」というストーリーを受け入れやすいです。喜んだついでに、「だから悪いことはしないでおこう」という抑止力としても機能しているかも知れないので、わざわざこの無関係さを暴く意味もない、という意味でも受け入れられやすい考え方です。


ふたつ目、罪の意識の清算。

朝、車で出勤する途中、犬を轢いてしまったとします。ああ、可哀想なことをした、と罪の意識を持ってしまいます。
その日、仕事で大きなトラブルがあり、散々方々謝り倒すことになった上、深夜まで残業して対応することになりました。

きっとあの犬を朝轢いてしまったことに対する因果応報だ。

この考え方は、「犬を轢いてしまった」という、もう二度と取り返しがつかない後悔を薄めるために発生します。
つまり、犬は可哀想だし、轢かれた犬は二度と生き返らないし、別に自分が仕事でどれだけ苦しんでも犬の霊が喜ぶわけでも何でもないですが、自分自身は「罰を受けた」という気になれて、少し気が済むわけですね。

取り返しのつかない罪に対して、全く無関係な不幸を罰として充てることで自分を救済する方便です。


みっつ目、本当の因果応報。

本当に罪と不幸の間に因果が存在するケースです。例えば人の悪口を言ったら人に嫌われた、とか。仕事を怠けていたら閑職に回された、とか。

これらはあまりにも「そのまま因果」過ぎるので、もう少し遠回しな例も出しましょうか。
「うそつき」というのは一つの罪と捉える人もいると思います(私はあまりそう思いませんが)。「うそつき」には一つ因果応報と言えるデメリットがあります。自分がなまじ嘘が上手いぶん、他人を信じられなくなることです。

誠実な表情、声、仕草で何かを言われても、同じくらい誠実を装って自分ならば嘘が吐ける、と知っていれば、それを信じる根拠にすることは難しいです。

その結果として不幸になったならば、確かにそれは嘘を吐いたことによる因果応報と言えるでしょう。


というわけで、それぞれメカニズムが大体はっきりしているので、信じるも信じないも「それぞれあるよね」が回答になります。
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この回答へのお礼

3つ目はその通りかと。

お礼日時:2023/02/07 20:42

種を蒔いたら収穫できるという意味だから、義父がお墓を綺麗にしたいから100万出せというので出したら、旦那は宝くじで10万当たるし私は迎賓館の見学に当たったから、家族揃って迎賓館見学して、はとバス乗ってスタジオアルタのいいともスタジオ見て帰りました。


種蒔いたのに、収穫、しょぼくネェ?
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この回答へのお礼

しょんぼりだわ。

お礼日時:2023/02/07 20:41

個々の質問者の中に「こいつは絶対親の因果だ」と思える方は沢山いますよ。

この人ですよ指さすと削除されるんでしませんけど。
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この回答へのお礼

ありがとうぺこ。
いますよね。

お礼日時:2023/02/07 20:40

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