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1.  神の子でありみづからも神であるキリストは 勝手に人間イエスとなり磔に遭って死んだ。

2. もし人びとの罪を取り除くために〔のみ しかもそれを人びとにうったえようとして〕やって来たというのなら それは ふつうの《自己主張》である。人間でも犠牲になることはできるとすれば その人間にも出来るただの世話焼きである。

3. 弟子たちを初めとする人間から見れば 自分たちの原罪をあがなってくれたと受け取ったであろうけれど:

4. キリストの側から見れば すべては勝手にイエスというふつうの人間となって 勝手にふるまった。振る舞った結果 人びとの手にかかりその手によって十字架上の露と消えた。

――ただこれだけの話である。



5. だから 思考にあらずという意味での《非思考》として 人間にとっては 《信じる》があるということを知らしめた。

5-1. つまり 信じるのは何かといえば 神(もしくは 無い神)であるというその神を――言葉や思考を超えて――指し示した。

――これだけのことである。



6. この神は 普遍神であるゆえ いちいち神やその名を持ち出す必要がないし 人びとが議論するのも自由であるが 《有る神》だけではなく 《無い神》として捉えて あとは放っておくのも自由である。

7. これを イエス・キリストが示したのだ。


☆ ご教示ください。






8. ということは:
9. 《信じる》とは 無根拠なる神を無条件にわが心に受け容れることだというのではないか?

10. 《感じる=感性の原野》や《考える=思考の緑野》のほかにさらにこれらを超えて 《信じる=非思考の庭》が――ひとの自然本性には――成り立っていて この《庭》の持続過程が 信仰であると。

11. 信じるの結果つまりはその成果としてのヒラメキの内容をオシへに翻訳した宗教は 別である。オシへは 思考の緑野に降りて来ておりあくまで《考える》ものだ。

12. 宗教は 生きた信仰という蝉の抜け殻である。

13. 神は どんな名前の神が来ようと すべては ひとつの同じ普遍神であると。《非思考の庭》に 思考すべき自他・彼此の差別はない。

14. このようでなければ 《シューニャター(空)》は 活きない。

15. 《信じる者》に いがみあう謂われはない。

16. 倫理規範を守る《オシへのひと》に 《空観》はとぼしい。

17. 互いに群れを成していがみあう《宗教人間》はその気が知れない。

18. 生まれつきわれわれ人間にそなわった自然本性とは どういうチカラなのか?

質問者からの補足コメント

  • №1ー1

    ★ イスラエルの神を全ての人へ開放することは約束したが、
    ☆ すなわち 真理として普遍神である。

    ★ しかし、イエスを神にした為に唯一の神が出現し、他の民族の神を殺さねば成らなくなったのであった。混乱は必然となる・・・・
    ☆ 《他の民族の神を殺さねば成らなくなった》 これは ローマ教会らの《宗教》としての勢力によります。

    ★ そして、今混沌からの覚醒によって八百万の神の復活は当然として必然となるであろう。
    ☆ すべての神は 普遍神にふくまれます。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/04/12 14:50

A 回答 (1件)

>1.神の子でありみづからも神であるキリストは・・・・


ここにキリストに対する改竄があるのではないでしょうか?
神の子である⇒正しい。神でもあるキリスト⇒改竄。
新約聖書は読んでいないので十分承知しませんが、自分を神とは名乗っていないと思われるが・・・!?
さて、ここに示される神とは、間違いなく旧約聖書に現れるイスラエルの神であり、妬む神です。この神の言葉を、代々の預言者達は神から伝言を受け発言し、命令を受けその通り行動した。本人は嫌であってもその様に動くしかなかった。
神の子(預言者)であるイエスも同様であったが、その行いは過去の預言者と違い、超越的驚愕的スーパー的であった。神から磔の命を受け、復活の命を受け、病気を治す命を受け、奇跡を起こす命を受け、信ずれば原罪を許す意向を伝えた、イエスは神の命令のまま実行し、その行動以外にはあり得ない。ユダヤの民は、彼こそ終末にして極楽浄土にして、ユダヤの民を天国へ導き救うと信じたのであった・・・・が、しかし。
ここで、重要な福音を放つ「この神は信ずる全ての人の神である」と!
ユダヤ人は怒った当然に怒った、イエスを磔にしたが此れは神の命でもある。何しろイスラエルの神と言っていたのに嘘を付いたわけで、磔は嘘の償いとしては仕方がない所だろうか・・・!?ユダヤ人よ御免なさい・・・と。
しかしイエスの滅後、とんでもない改竄が起きた。「神でもあるキリスト(イエス)」。
イスラエルの神を全ての人へ開放することは約束したが、唯一の神にした覚えはない!この神が元々イスラエルの神であるならば、同時にアラブの神も、アジアの神もいる事になる。これは当然の帰結となる筈だ。しかし、イエスを神にした為に唯一の神が出現し、他の民族の神を殺さねば成らなくなったのであった。混乱は必然となる・・・・
そして、今混沌からの覚醒によって八百万の神の復活は当然として必然となるであろう。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

☆☆ >1.神の子でありみづからも神であるキリストは・・・・
★ ここにキリストに対する改竄があるのでは?

★ 神の子である⇒正しい。
★ 神でもあるキリスト⇒改竄。
▲ (ヨハネ福音) ~~~
1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
14:8 わたしを見た者は、父を見たのである。
14:11 わたしが父におり、父がわたしにおられることを信じなさい。
~~~

★ 間違いなく旧約聖書に現れるイスラエルの神であり、妬む神です。この神の言葉を、代々の預言者達は・・・
☆ そのねたむ神ヤハヱ―は 預言者エレミヤに次のように《新しい契約》を述べている。
▲ (へブル書 8章 ←エレミヤ書 31:31~ ) ~~~
8:10 わたしが・・・イスラエルの家と立てようとする契約はこれである
8:11 彼らは、それぞれ、その同胞に、・・・
主を知れ、と言って教えることはなくなる。
・・・
8:12 わたしは、彼らの不義をあわれみ、
もはや、彼らの罪を思い出すことはしない
~~~
☆ もはや――イエス・キリストのあとでは――オシへを説く宗教ではなくなる。はず。


★ イエスも・・・神から磔の命を受け、復活の命を受け、病気を治す命を受け、奇跡を起こす命を受け、信ずれば原罪を許す意向を伝えた、イエスは神の命令のまま実行し、
☆ 《信ずれば原罪を許す意向を伝えた》は びみょうですね。
▲ (へブル書 8:12 ) わたしは、彼らの不義をあわれみ、
もはや、彼らの罪を思い出すことはしない
☆ というのが 《新約》です。


★ ここで、重要な福音を放つ「この神は信ずる全ての人の神である」と!
ユダヤ人は怒った当然に怒った、イエスを磔にしたが此れは神の命でもある。
★ しかしイエスの滅後、とんでもない改竄が起きた。「神でもあるキリスト(イエス)」。
☆ 《イエスが語ったことを伝えるかたちの記述であった》が 《改ざん》と採る人は これも多い。

つづく

お礼日時:2023/04/12 14:49

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