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なぜほとんどの方は「○○年早く生まれたかった」と言うのでしょうか?


特に昭和時代は
●フリーランスが存在しない(上司にタメ口で話され、ストレスが溜まる。時間に縛りがある)
●SNSなどがない(知名度の幅が狭くなる)
●喫煙者が多く、健康にあまり良くない(電車内などどこでも自由な場所で吸える)
●学歴社会のため、会社の社長などにならないと1000万円以上は難しい(現在は小学生でもYouTuberなどで稼ぐことが可能。昭和にはそれがない)

など


これを見て、昔のどこが良かったのか?がさっぱりわかりません。

A 回答 (2件)

その時代によって、良い面も悪い面もあると思います。




たしかに、昭和時代は法人税が今よりずっと高かったですし、貨幣価値、物価は今より安いけど、商品サービスの種類や数が限られていたし、円が1ドル360円の時代が長かったので、【海外旅行は夢】という不便さはあったと思います。


昭和時代は電車内に灰皿や、駅の構内に痰壺があったりしましたが、東京五輪で整備されたという衛生面の問題はありましたね。


ただ、健康に良くなくても、添加物や塩分が多い食品を食べてきた人でも、私の祖母は96歳まで生きた姿を見ると、個人差がある気がします。しょっぱい漬物でご飯をかきこんで食べた話も聞いたことがあります。体に良くないですね。


それに、今と違う面で言うと、昭和時代では今より大学進学率が低かったので、大卒が貴重だったという側面もあったと思います。大卒が珍しいから尊重されたというか。


そもそも【今ほどの大学の数もなかった】ので、学歴社会というほどではなくて、高卒の人が一般的だったという時代では。


学歴社会というのは、大学の数が爆発的に増えて、国民全体の進学率が高まってから差が言われるようになってきた感があります。大学が少なかった昭和までは、一部の大卒であれば、その人たちが重宝された話くらいでしたけど。


進学率が高まってきて、一定の学歴が基本とされる時代になると、その中での差を争うようになってきたというか。


私の親世代(母は現在77歳)だと、地元のほとんどの人たちが高校卒でしたし。私の周囲では母校の高校は99%進学でしたけど、ほかの高校はそこまでではなくて。


私は都内在住46歳男性です。出身は地方の田舎ですが、私が過去に戻りたいとすれば、今の体調の悪さが発生する前の時点です。昭和の時代背景に関しては、


【今の知識を持ったまま戻れるのであれば、最初の人になれる】

という考え方はします。私の場合は、ちょうど大学時代に携帯電話が普及し始めたので、私の高校生時代の周囲ではポケットベルという受信のみの機械があったくらいでしたけど。私の世代は、ちょうどネット以前と普及後の狭間の「ロストジェネレーション」だと思います。


昔の時代で良かった点で言うと、もっと人間の感情が豊かだったと感じられます。テレビ番組でも規制が緩かったために、今では見られないような内容がたくさんありましたし。


動物の番組では、今のようにかわいいとか愛らしいだけではなくて、【怖い、動物の本能、自然界の厳しさ】の畏怖を感じる内容を観て育ちました。ムツゴロウさんは動物の現実を伝えてくださったと思います。だからこそ、動物を飼うというハードルの高さを感じることができました。


また、昭和時代だとお金の稼ぎ方に関しては、「お金を稼げば幸せになれる」という幻想を信じることができたのは良かったかもしれないです。


右肩上がりの経済や、一戸建てを建てることといったシンプルな目標に焦点を合わせられたから単純だったというか。余計なことに気づかずに。


家族で食卓を囲み、一つのテレビをみんなで見たから共通の話題もあったり。不便だからこそ発想が豊かにもなったり。


そういった幻想がバブル崩壊などで崩れてしまい、今は便利だからこそ、何が良いのかわからなくなったという【迷走】も広がり過ぎたと思っています。


お金の価値もあやふやになったり。昭和時代なら信じられないような金額を若いうちに手にする人がいるのは悪いことではないけど、「自身の容量に見合っていないと手に余る事態になる」という問題も出てきたのではないかと。


例えば、物事を数字やお金で換算するだけだったり、1円の実感がデジタルで弱くなったり。便利の弊害がなかった時代は、不便だけど【実感】が豊富にありました。


そもそも、「ネットいじめ」というのは首謀者がわからないから対応するのも難しくなったような。SNSだと不特定多数の知らない人から攻撃されたり。昭和だと、誰が誰に対して悪く対応しているのかがわかりやすかったのですが。


どこの誰でも個人情報が拡散される事態は、昭和時代にはなかったことなので、「炎上されずに済んだ」とも言えます。問題の拡散が近所などの最小限で済んだとか。


現代だと、今いる地域で何か問題を抱えると、世界のどこに移り住んでも知られてしまうのでは。


ネット上で悪いことで集まって、見ず知らずの人の家に窃盗に入る事件は聞いたことがなかったですし。


また、現代になって「家族の事件」も増えた感じがします。知らなくて良かった情報を自分と重ねて怒りや嫉妬に駆られたり。


良くも悪くも、昭和時代は目の前の情報がすべてだったことで、足るを知ることもできたのでは。


「ありがたみ」とか、「他者の苦労」といったことに【うざい】という言葉が出てきたのも現代ですし。思いやりはどこへ行ったのかと。



私の自宅前は保育園ですが、子供が泣きわめいたり大声出したり、走り回っている音はとてもすがすがしいです。でも、子供を「うるさい」と感じる人が増えたような。



昭和時代だと兄弟姉妹とともに高齢者も同居するケースが多かったので、高齢者の現実も知る機会が多いのですが、そこから外に出て自立し、出会った相手と家庭を持つケースが増えて、離れて暮らす高齢者を「うざい」とする話も増えたような。


良くも悪くも集団の中で生きざるを得なかった昭和時代の方が、高齢者や他者に対しても暖かかったような。


私はおばあちゃん子だったので「知恵袋」という言葉や、人付き合いも祖母から教わりました。


誰でもいいからとか、思い通りにならないからと言って街中で暴れる人の事件は今の方が目につきますし。昔は「生活のため」という事件はありましたけど、「遊ぶ金欲しさ」などの軽い理由の事件も増えたような。


政治家に関しても、一人ひとりの個性が際立っていましたし。


今よりも人間味のある時代だったのは。


ある意味、【人や物を信じることができたのが昭和の良さ】だとも思います。
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私もさっぱり分かりませんッ!

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