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大学は何歳になってから入っても入り直しても良いと言いますが、では高卒や日大卒の人が社会人になって慶應大学に合格して卒業したとして、その人は「慶應卒」と胸を張って言えるのでしょうか?
やはり高卒や日大のイメージが先行するので結局真の慶應卒の様なエリート感やスマート感は得られないと思います。
なので、学歴は実質変えられないですよね?

A 回答 (6件)

そもそも学歴に何でそんなにこだわるのか理解できません。

そんなレッテルがないと自分をアピールできないの?当たり前のことだけど大事なのは「どこの大学を卒業したか」ではなく「大学で何を学んで何を得てきたか」でしょう?
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大学は本来卒歴という名のアクセサリーを得るために行く場所ではありません。


ひとつの分野において自分がより深く学んだり、同じ志を持つ学友と意見を交換し合ったり、新しい事を見つけ出して社会に貢献したりしたい人が研究しに行く場所です。

生半可な知識、能力、関心しかない人をその輪の中に混ぜても研究者達の目標の足しにはならないし、全体のモチベーションに関わります。
それ故に、
「最先端の情報が集まっていたり、専門家とのコネクションがあるような大学」=「ネームバリューのある大学」ということになり、入学のハードルが高いのです。
だから企業も面接の時卒歴を物差しのひとつとして用います。

卒業を納めるに当たって真剣に勉学や研究に励み、その分野の進歩に寄与したと胸を張れるのであればそれがどこの大学であるだとかはさして重要ではないと私は考えます。

「人間は好奇心や知る事の喜びがあり、一生学び続けるべきである。出世や肩書きのため学ぶのではない。知る喜びを持つ私たちには学び続ける使命がある。だからこそ人間は学ぶのである」

これは名作「マスターキートン」の主人公「平賀キートン太一」に恩師「ユーリー・スコット教授」が言った一言です。
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学歴は一般的に人々の評価や社会的なイメージに影響を与えることがありますが、それがすべてではありません。

学歴は一つの要素ですが、個人の能力や経験、人格、努力、成果なども同様に重要です。

慶應義塾に入学し卒業した場合、その人は確かに「慶應卒」と言えると思います。学歴によって人々がその人を評価することもあるかもしれませんが、それがその人の全てではありません。他の経歴や業績によっても評価されることがあります。

もちろん、一部の人々は学歴による偏見や先入観を持つこともあります。しかし、真のエリート感やスマート感は、学歴だけでなく、その人の知識、能力、人間性、経験、向学心、行動などなど幅広い要素から醸し出されるものです。

学歴も本人を評価する上での一つの要素であって、人々の評価に影響を与えることもありますが、それが全てではないです。
人々は多様な背景を持ち、異なる経験を積んでいます。
なので学歴がすべてを決めるわけではなく、個々の人が自身の能力や成果によって評価されるべきだろうと思います。
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貴方がそう思っているだけで世間はそうは思っていない様です。

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>やはり高卒や日大のイメージが先行するので


先行しないと思います。
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>やはり高卒や日大のイメージが先行するので


別にしないと思いますが。
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