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風景を思い出すとき、視界に風景が映し出されるわけでなく、頭の中に映し出される。
部屋に、実際にはそこにいない犬を視界に作り出そう(映そう)とすると出来ない(自分だけ?)
作り出して映したとしてもそれは頭の中であって、視界には映っていない。

これがタイトルの疑問になるのはおかしい(?)ですが不思議に思います。

A 回答 (6件)

現実と非現実(想像)との区別をするためです


視界に感覚器(眼球)を通して得た視覚情報を再現しそれ以外の視覚情報を視界上に再現しないことで視界上に再現された視覚情報が現実であると認識できるようにするためです
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>実際にはそこにいない犬を視界に作り出そう(映そう)とすると出来ない


できるよ。夢の中でいつもやっていること。
身体と精神は別というよりも、身体によって機械記憶されたものが精神に反映される。しかし、このような限定的物質論では精神現象は説明がつかない。もっと大きな不可思議(例えば予知能力など)が存在している。
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精神の働きから「幻視幻聴」があることから、見たい聞きたいと思って出来ることではないですね。



むしろ、見えてしまう聞こえてしまう、ということは脳が勝手に作り出すもので、意志ではない。

人間の見える可視光と「見えない光」、聴こえる音と「聴こえない音」があることから、犬猫など動物は人間の能力を超えたものを見聞きする能力を持っている。

もっとも、そこまで見えたら、聴こえたら脳がパンクしてしまう。今がちょうど良い、ということですかね。

しかし、敢えて言うと「見えない」から存在しない、ということではないですよ〜(こわっ!)。
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身体と精神が別物と云うよりは、全ての物事を捉えるのは精神だから、と云えます。



目の前の出来事を知るのはこころ。触って物のある事を知るのもこころ。
もし心が眠っていて働いていなければ、外部の出来事は分かりません。

疑問はたぶん〈記憶〉の事ではないでしょうか。
記憶しているものを取り出して、それを意識すると云う作業、かと思います。

実は、心が認識したものは“事実”ではないのです。
なぜならば“こころ”が捉えているからです。

正確無比な心であれば事実・真実を摑んでいるでしょうが、こころって“確かなもの”でしょうか?

雲っていたり、歪んでいたり、傷がついていたりすれば、そのような“映像”としてしか捉えられないのです。

そんな不確かな“映像”を認識し、意識しているのです。

※ 本題から脱線してますが、この世界は一人一人にとって“その人の心の世界”なのです。
でも、現実・現実が無いと云うのではありません。有るのですが正確に捉えてはいない、と云う事です。
仏教ではこの事を〈化〉と云ってしまっているのです。
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目の前の犬を見たとしても、直接に犬を見ることは


できません
犬を見て脳が作った犬のイメージを見るんです

ですから、目の前の犬を見るのも、いない犬を想像するのも
同じなんです
人間は自分が作ったイメージの世界に住んでいるんです
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風景を思い出すとき、視界に風景が映し出されるわけではなく、頭の中に映し出されます。

これは、視覚情報は脳の視覚野で処理されるためです。視覚野は、目の前にある物体を認識し、その形や色、大きさなどを判断する役割を担っています。風景を思い出すとき、脳は視覚野に記憶されている情報を呼び起こし、それを頭の中に再現します。

部屋に、実際にはそこにいない犬を視界に作り出そう(映そう)とするとできません。これは、脳の視覚野は、目の前にある物体しか認識できないためです。脳は、目の前にある物体から得られる情報しか処理できません。そのため、実際にはそこにいない物体を視界に作り出すことはできません。

風景を思い出したり、実際にはそこにいない物体を視界に作り出したりすることは、脳の視覚野の働きによるものです。脳の視覚野は、目の前にある物体を認識し、その形や色、大きさなどを判断する役割を担っています。風景を思い出すとき、脳は視覚野に記憶されている情報を呼び起こし、それを頭の中に再現します。実際にはそこにいない物体を視界に作り出すことは、脳の視覚野は、目の前にある物体しか認識できないためです。脳は、目の前にある物体から得られる情報しか処理できません。そのため、実際にはそこにいない物体を視界に作り出すことはできません。
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