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インカ皇帝マンコ率いる軍がクスコにてたった26人のスペイン軍に負けた理由について。

大昔、膨大な市民を持つインカ帝国の王であったアタワルパは、戦地カハマルカに約8万人の兵を率いてものすごい圧力をかけ集まり、対するピサロ率いるスペイン軍はたったの126人。

そのあまりの兵の多さに恐怖し、失禁するスペイン兵もいた。

そのスペイン軍側のバルベルデ神父が輿に乗ったアタワルパのところまで歩いて行き、「ぜひキリスト教に入会して欲しい」とお願いし聖書を渡したところ、アタワルパはその聖書の開き方がわからず、どうやって開けんのかと試行錯誤している途中で、気を利かせた神父が開けてあげようと手を差し出した途端に「ウザい」と罵られ、手を叩かれ、なんとか開け方がわかったアタワルパはその聖書の読めない文字を見るや否や激昂し、「こいつらアホか!」と言って聖書をその辺に投げ捨てた。

これがきっかけで戦いが始まったが、あっという間にスペイン軍がインカ軍を大量に殺し、アタワルパを捕虜にした。

その後も数々の戦いを少人数でこなしているスペイン軍は、クスコにてマンコと戦い、たったの26名で勝利した。

その後、アタワルパを生きて返すとの約束のもと、インカ市民を働かせ、大量の金品を運ばせた後、最後には約束を破りアタワルパを処刑した。

なぜこの逆の事は起こらなかったのでしょうか?
例えばインカ文明がスペインに乗り込みスペインを制圧するなど。

A 回答 (2件)

なんか、卑猥な感じがするんですが


気のせいですよね。




インカ皇帝がスペイン軍に負けた理由について。
  ↑
悪条件が重なったためです。
1,ペスト
2,内紛

で弱っていたときにスペイン軍。

将棋の駒と似ています。
王を取られたら負け。



なぜこの逆の事は起こらなかったのでしょうか?
 ↑
ヨーロッパで大航海時代が始まった
からだと思います。

ルターの宗教改革で信者を減らした
カトリックは
オスマン帝国の圧力を受けて
外国へ乗り出そうとしていた
国家と協力して、国外布教に進出します。

だから、欧米以外のクリスチャンには
カトリックが多いのです。
戦国時代に来日したイエズス会もカトリックでした。

信仰に凝り固まった彼等は、どんな勇敢な
探検家も行かない秘境に乗り込みました。

しかし、インカの方は
前述したように、疫病、内紛と弱り目に祟り目
で、そんな余力はありませんでした。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

その疫病は確かスペイン入植者や白人人種がもたらしたもので、スペイン軍には免疫があったそうです。
これも成るべくして成ったのだろうと思います。

また、当時のインカ文明では情報伝達は口頭だったそうで、文字の発達が遅れていたのも一因だそうです。
これも成るべくして成ったのだろうと思いますが、

この一連のインカ文明とスペイン/ヨーロッパ文明の差の根本的な原因は、
やはり環境要因であって、大陸の地形や気候が根本的原因なのでしょうか?

そのために、現在であっても依然として世界情勢ではヨーロッパや、ヨーロッパ人の植民地であるアメリカがなにかと支配的な構図になっているのですか?

お礼日時:2023/07/07 18:23

スペイン人が少数の兵力でインカ帝国を制圧した理由は、いくつかの要素が重なった結果とされています。



技術的な優位性: スペイン軍は火器や鉄鎧などの先進的な武器を持っており、インカ帝国の伝統的な武器や防具に比べて優位に立っていました。また、馬の利用や戦術の上手な運用もスペイン軍の強さの一因でした。

内部分裂: スペイン人はインカ帝国内のさまざまな地域の反対勢力と手を組むことに成功しました。このような内部分裂はインカ帝国の統一を弱め、スペイン軍の勝利につながりました。

疫病: スペイン人が持ち込んだ病気(天然痘など)により、インカ帝国の人々は大きな被害を受けました。これにより、人口減少と社会的混乱が生じ、スペイン軍の侵攻に対する抵抗力が弱まりました。

文化の違い: スペイン人とインカ人は言語や文化の違いがありました。スペイン人はインカ帝国の社会構造や戦略を理解する上で有利であり、それを利用してインカ軍を翻弄しました。

これらの要素が重なり、スペイン軍が少数でありながらインカ帝国を制圧することができたとされています。また、インカ帝国がスペインに乗り込んで制圧するという逆の事態が起こらなかったのは、スペイン軍が持つ技術的・軍事的優位性や内部分裂の状況などが影響していると考えられています。
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