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YMOは「ライディーン(雷電)」を発表したあと、
自分たちが本来創りたい音楽に進みました。
しかしファンは「ライディーン」のような曲をこれからもつくってほしいと
望んでいた。
そこに大きな齟齬があり、結果的に散開。
小室哲哉は多くの人達が「ライディーン」のような曲を望んでいることに応えて、
その結果、90年代の小室ブームが起きたということでしょうか?
いわば、小室はYMOをある意味「反面教師」として捉えていた面もあったということか?
もちろん小室哲哉がYMOを尊敬していたのは承知しています。

A 回答 (2件)

ソリッドステイトサバイバーを含むYMO初期の作品は、細野さんの本に書いてあったように新しい技法で従来からある音楽を表現したのかもしれませんね。


新しい技法で新しい音楽をやると、聞く側がついていけなくなる、というような事が書いてあったような・・
あと、「はっぴいえんど」はアルバムの販売枚数に拘らなかったことにたいする後悔もあったように、何かで読んだ気がします。
先ずは特定少数でも、全世界で売ればそこそこの枚数のセールスが見込める、というようなコンセプトでYMOは始まったようです。
結果的には、逆輸入的に日本でもヒットするわけですが・・、そんなものを演奏し続けられるほど、自分を押さえることは出来なかったんでしょうね、3人とも。
テクノロジーの進歩と相まって、新しいポップスを作ろうとしたのではないでしょうか・・
小室さんは新しいテクノロジーの上で、ヒットメイカーとしての道を目指したんでしょうね。
時代的にもバブル真っただ中で、世に出れば自分のやりたいことが出来る時代でしたでしょうから。
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関係ない話です


知的レベルが小室仁とは全然違います
元々ラジオでイェローマジックとして
当時やっと出てきたシンセサイザーとコンピューターを使って演奏を始めた高学歴学生の片手間の遊びです。ラジオも楽しいしコミックバンドとしてテレビにも出てテクノカットというブームも起こしました
当時グループサウンズの中おっさんがまじめな顔をして演奏していると評判でした。それで飯を食う気がないから解散したけど実際は
矢野顕子が坂本龍一と高橋か細野かと取り合っていたと当時は噂でした
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