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自分の限界を越える方法を教えてください。

A 回答 (11件中1~10件)

限界の判断を誰がするの❔

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越えることができてしまったら、それは限界ではなかったと言うこと。



主観で決めつけているのか、本当に限界なのかを見極める必要があるとおもいます。

限界突破とは、現実世界では思い込みからの脱却と表現が似ているかも。
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希望を抱き挑戦する事です



限界まで挑戦すると、自分の隠れていた力が、才能が出て来るのです
スポーツでも何でも
そこそこ、まあまあ頑張ったつもりの人が成功する訳ありません
ある意味、結果は重要ではなく、限界まで挑戦するクセを付ける事こそ重要なのです。
そのような人は、必ず何処かで頭角を現します。

ある詩人の歌を紹介します

人生は、挑戦である。
挑戦しないと、人格はできない。
自分を鍛えるのは、自分だ。
自分を大きくするのは、自分の努力である。
 
本来、人間は自分に挑戦している時は、伸び続ける。
他人と比較しはじめると、成長は止まる場合がある。
何か一つでも、自分が打ち込めるものを
もっているならば、それはおのずから
自分の心の大地を耕し、育てることになる。
 
目標をもつことは、希望をもつことである。
目標が定まれば、一足一足の歩みにも力がこもる。
何があっても、太陽は昇る。
暗い夜のような、さみしく、つらい時がずっと
続くように思えても、朝は必ずやってくる。
だから、
うまくいくかどうか心配するよりも、
思い切ってやってみることである。

背伸びをする必要はない。
地道に忍耐強く、前へ進むことだ。
一歩でもいい。ありのままの自分で、今やれることを
着実にやり切ることだ。まず腹を決める。
その強き一念が、自分のもてる力を十全に発揮させるのだ。

日々前進だ!日々向上だ!
昨日の自分を断じて越えよ!
そして、今日という日を、断固として勝て!
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自分なりに頑張って、もう無理だと悟った所が、限界だと思いますね。



ただ、限界を超えるという事は、心臓【疲労・寝不足など】が止まったり、
筋肉が断裂して、負傷する可能性がありますよ。

筋肉痛より、酷いものだと思いますよ、

痛い痛いで、のたうち回るかも。

ほぼ限界に行った事は、ありますが、
それを越えたら、多分、死ぬか【過労死】、筋肉とかが切れるかも。

危ないとは思いますけどね。。。。。。。。。。。

お気を付けて。。。。。。。。
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それに答えるなら、


今の限界の先に有る新たな限界を見つける事が先です。

「限界を超える」という事は、
「越えられる限界」が有るという前提になりますが…。
…普通は、
越えられる事を「限界」とは言わないだろうと思います。

もし「限界に挑戦」という事であれば、
先ずは「自分の限界」というものを想定、或いは仮定する事で、
そこを目標に努力を惜しまない事でしょう。

しかしながら多くの人は目標を設定せずに、自分の限界を知らないまま失望に終わってます。

なぜなら、人間の限界は「死」なのだからです。
多くの人間は精神や肉体の限界を目の前にした時、
そこを越えられない失望感から自ら限界を作り、敢えて飛び越える事で死の選択を行ってます。

本来の限界とは無闇に越えるべきものではなく、
限界を探求して限界を知り、
そこを目標に努力を重ね、
その先にに見えた新たな限界の事を指してます。

…その積み重ねの結果が、
未来において「(過去の)限界を越えた。」とする過去形の話になるのです。

例えば生身の人間が目の前の崖は限界だと知っても敢えて飛び越えると思いますか?
…そのままでは死にます。

過去の人間は崖の先を飛び越えた先は地獄と知っていて、崖下に行くには別の道を模索しました。
それだけなら無茶苦茶な例え話にも聞こえますが、
現代人は空を飛ぶ技術を得た事で、崖を難なく飛び越える事も可能にしました。
(これは過去と現在と未来の限界の違いです。)

…非常に屁理屈っぽい回答ですが、人の限界にとって重要な事なので参考まで。
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限界を意識しないこと、かな。


結局、限界ってどこが、何が限界なのか?
正しい判断なんかできないこと。
自分が引いちゃう線引きでしかないこと。

だから、意識しちゃうと、そこで自分の感覚で
線を引いちゃうからね。
自分なりに、頑張ってる、苦しい、辛い、、、って
感覚があれば、なおさら限界までやったんだ、、、って
思い込んじゃうもの。

だから、限界だとか、努力してるとか、頑張ってるとか
やってる最中には考えないことだね。
その時、その時にできることを淡々とやるだけ。
限界までやったかどうかの判断は、
全てが終わってから、振り返ってみて、反省してみて、
どうだったか?を自分で判断するぐらいで十分だし、
その判断すらも、正しい、客観的な判断は結局は
できないもんだ、、、、
って認識で、反省しながら実行するだけの
日々をどれだけ積み重ねられるか?ってところだね。
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その前に何の限界なのかを書かないとね、、、。



身長ならもう殆ど伸びることはないでしょうし。
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こんばんは。



基本的に、自分の性格や性質を自発的に変えることはできないので、変えるのは環境のほうです。

例えばですね、物騒な例を出しますが、真っ当な日本人の大多数は、人を殺すか、殺さないか、という判断を迫られたとき、殺すことはできないと思います。

でも、戦地に送られて、周囲で人と人が殺し合っているのが当たり前の環境に置かれたら、かなりの割合の人が人を殺すことが出来るようになりますし、繰り返せばそれに慣れていきます。


この例は直感的にまあ、そうだろうな、と思って頂ける方が多いと思います。


でも、これが「人を殺せるようになる」じゃなく例えば「勉強できるようになる」だと、途端に根性論や気の持ち方で何とかなると思ってしまうんですね。戦地とは「人を殺さざるを得ない環境」です。平和な日本で育った日本人が、戦地に送られなければなかなか当たり前に人を殺せるようにならないのと同じで、例えば勉強の習慣がない人が勉強を毎日できるようになろうと思ったら、「勉強せざるを得ない環境」をつくる方が、百回決心するよりよっぽど成功率が高いです。

なので、「自分の限界を超えたい」と思ったら、願ったり、出来ない自分を攻めたりするより、「今の自分では耐えられないと思う環境」に身を置くのがいいと思います。あとは、生き延びることだけ考えれば、今の自分が限界だと思っていたラインはいつの間にか超えています。
日本人の多くが「自分は人を殺せない」と思っているのと同じように、「自分の限界」って飽くまで「今自分がいる環境においての自分の限界」に過ぎないからです。
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それには自分の限界を知らなければ、


超えているか、いないか、わからないじゃないですか。
限界に挑戦してみればいかがでしょうか。
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限界だと思わなければいいんです。

私はいつも、ご先祖様ー。餅つき得意なご先祖様助けて下さい。孫の幼稚園の餅つきしますとか言って、頼んでいます。
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