プロが教えるわが家の防犯対策術!

こんにちは。
私は高校で美術部に所属しています。
先日、先生に私の描いた絵を批評してもらったところ…。
『資料をみて、それをそのまま描くのは自分の絵ではない。
 資料を、自分なりにどう調理していくか、それが大切なんだ。』
とのことでした。

もっともなご意見ですが、
これまで、描いてきたなかで、
私は何度も、資料を自分成りに料理してきたつもりですから、
「そんなことわかっているし、やっている。」
と心の中で反発していました。
それに、先生に見せた絵を描くと決まったわけではありませんでした。
しかし、
その言葉が気に掛かってしまって、
描きたい絵が描けなくなったようにも感じるのです。

実際、わたしはパリの道端で絵を描いている人達程
人物を描くのは上手くないし、
そんな風に道端で修行できるような機会もお金も持っていません。
だからこそ、
資料をみて描く事は、今の私にとって勉強なんです。

まだ、修行段階として、
資料をみて描く事も勉強だと思うのです。
それからパターンを掴むとか、そういう事が出来てくるのだと思います。

先生はわたしの描いた人物の絵をみて、最後に
『これは何かみて描いたの?』
と聞きました。
これまで生きてきた15年間、
毎日絵を描きつづけてきたわけでもないのに、
どうやって本物らしい人間の顔が描けるのでしょうか。
写真をみて、
人物を描いて、自分で力をつけていくことは
いけない事なのでしょうか…。

A 回答 (7件)

絵の話ではないけれど、ソングライターの尾崎亜美さんの祖父は画家で、物心つくかつかないかのころ、亜美さんに油絵の具であそばせたそうです。

好き勝手に描いた絵を見せにいったら、こういわれたそうです。
「自分の好きなものを好きなように作るということ、その”におい”を覚えておきなさい。」

同じく歌手の広瀬香美さんは、次のように言っています。
「常日頃から、思いついたフレーズを書き溜めておいて、曲を頼まれたらそれをつなぎ合わせる。ヒットソングを作る手法は学校で会得した作曲理論と日ごろの蓄積である」

よい先生に付くかどうかは、才能の芽を伸ばすか、つんでしまうかの分かれ目です。

>描きたい絵が描けなくなったようにも・・
なってしまうのは、なんだか残念です。
もし、どうしても絵が好きで、その先生と違った方法で、自分の絵を描いて行きたいなら、その美術部をやめてしまうのも、ひとつの方法だと思います。

ただ、先生の言葉・・・
>『資料をみて、それをそのまま描くのは自分の絵ではない。
> 資料を、自分なりにどう調理していくか、それが大切なんだ。』
>『これは何かみて描いたの?』
これだけでは、あなたの絵を批判したように思えないのですが・・・

「敏感なセンスでそのニュアンスを感じとった」といったところでしょうか?

>写真をみて、
>人物を描いて、自分で力をつけていくことは
>いけない事なのでしょうか…。

いいことだと思います。物事(特に技能)は、人のマネから入ってゆくものです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私の学校では、必ず部活に入っていなくてはならず、
少しでも、絵を描く時間を持っていたいので、
転部は出来ないかもしれません。
でも、j_euroさんの回答を読んで、
私は先生と合わないのかもしれないなぁと思います。

尾崎亜美さんの祖父の方がいった、
『自分の好きなものを好きなように作るということ、その”におい”を覚えておきなさい。』
という言葉に胸を打たれます。
「先生の言葉など関係無しに、写すことでもいいから描いていい。」
と言ってくれてるようにも、また、
「自分らしく描いてみなさい。」
といっているように感じました。

最初は写すことから入っても、
自分らしさは大切にしていかないと…と思います。

お礼日時:2001/09/16 14:18

kokoro34さん、こんにちは。


私はあなたの祖父くらいの年令ですが、あなたの一文を読んで、あなたの考えが正しいと思いました。先生の中にも多感な若者の気持ちがわからない先生がいることを残念に思いました。
先生の言葉に惑わされず、自信を持って自分の道を歩んでください。陰ながら応援しています。
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この回答へのお礼

応援ありがとうございます。
私は絵に関する先生の言葉でも、その描き方にはその人それぞれの
描き方があるから、自分成りに頑張っていこうと思います。
将来のことはまだわからないけれど、
たくさんの人達に愛される絵を描きたいと思います。
そしていつか、「自分の絵です。」と胸を張って言いたいです!

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2001/09/16 14:29

テクニック的なことを1つ。


私も高校のとき美術部でした。その後デザイン関係の学校に進み、現在は服飾関係のデザインの仕事に従事してます。
デザイン学校のとき、写真の模写の勉強をさせられました。主に人物ですが、写真を見て、写真のバランスそのままで描くとあまり美しくないし、不思議なことだが同じに見えないと教えられました。写真を何コマかに区切り、縦の比率を少し長くして模写してました。そのバランスは自分で見つけなさいと言われ、苦労したことを思い出します。出来あがった作品は、写真の模写でもみんなオリジナリティーが
でてたように記憶しています。
写真を見て、人物を描き自分で力をつけていくことは、いいことだと思いますよ。
ただ、写真と画は違います。もしよかったら、参考にしてください。
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この回答へのお礼

そうですよね。
写真には出せない味が出せるからこそ、
「絵」というのは人を魅了し続けるのだと思っています。

今、わたしはそこに苦しんでいます。

写真を写して描くことは、
はたして自分の絵だと言ってもいいものなのだろうか…、
その心配が、何時も頭によぎります。
しかし、
まだわたしは私の望むような絵が描けるほどには達していないため
気に入ったものを模写したくなります。
まだ模写する事のほうが、自分の絵よりも
目標に近いからだと思います。

デザイン学校では写真の模写をするのですね。
初めて知りました。
私はデザインにもあこがれていますが
やはり、自分らしさがあるからこそ
いいのですよね。

きっと、今悩んでいることは
今後の私の絵に大きな影響を与えるだろうと思います。

innocentさんからの貴重なご意見、テクニック…
いかしていきます!!
ありがとうございました。

お礼日時:2001/09/16 14:46

絵のことはよくわかりませんが、


私は同じ絵を書くなら写真より実物を見て書く方が
いいように思えますが,写真でなければ
いけない理由がありますか。

ものによっては写真でしか書けない物があるかも知れませんが,
そうでなければ写真にこだわることはないように思えます。

人物ということに関してでも、写真はその一部でしかありませんし本物の人間の顔ではありません。
しかも写真を撮った人の作品としての面が強いと思うのです。

人物を書くなら,鏡で自分の顔を見て書いても,
日常みかける顔を書いてもいいと思います。
写真を見て書くよりもはるかに多くのものを得られると思います。
写真を見て書くのはいけないとは思いませんが,
手段としてはあまり優れていず、
力がつきにくいように思えますが。

ところで、描きたいものって写真ですか。
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この回答へのお礼

写真は撮った人の作品としての面がつよい…
 ということは、いま悩んでいるもの、そのものです。
写真の模写がはたして「自分の絵」と言いきれるのか、
  自分らしい絵を描くことのほうが「自分の絵」に近いのではないか…。

terra5さんの回答を読み、
その答えに少し近くなったように感じます。

歴史に残る最初の女性画家のひとりであるアルテミシア・ジェンティレスキは
鏡をみて自身の裸を描いたし、
普段みかける物のなかに、表現するのに苦労するものもあって、
そこから学ぶものは、
限られた空間があってカンタンな写真よりも力になるはずである……。

そんなことを
気づかされました。

>>ところで、描きたいものって写真ですか。
…とありましたが、私がいま描きたいのは「今ここにはないもの」です。
それは多分、 
スグには実現できそうもないから憧れも含めているのかもしれませんが
たとえば、古き良き時代のアメリカ、外国人の男のコや女のコなど、
すぐ傍にないものを描きたいのです。
そして、語りかけたいメッセージを表現したい。
だから、写真を使ってしまいます。

それは今後も「私の課題」となるには代わりは無いのかもしれません。
今回のみなさんの回答を通して
自分の絵に転機が訪れたように感じます。

今後は普段目にする物の絵も
 もっと描いていこうと思います。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2001/09/17 11:56

あなたのオリジナリティーよりも、元にしたもののオリジナリティーが勝っているから、先生が忠告しているんだと思いますよ。


私は写真を撮っているのですが、好きな写真家の作品を見て「こんな風な写真を撮りたい」と考え、実際に撮影するわけですが、見る人が見れば「あの人の影響を受けている」とすぐわかります。実際自分でも撮影時に「この写真は誰々風に」と考えて撮ることもありますから。
でも、出来た写真はやはり私のオリジナルなのです。自分の「思想」が込められていますから。
たとえをあげると、奥田民夫がパフィーに書いた曲は、自らが言うとおりビートルズのパクリ=パロディー=もじりですが、聞く人にとってはビートルズのもじりであることがわかっていても奥田民夫の曲なんです。
あなたの場合も、先生が考えるあなたの才能と出来た絵のギャップが、何かをコピーしているの?という質問になったのだと思います。
むしろ先生はあなたの「隠れた才能」を理解しているのかもしれませんね。
あなたの年代だった頃、私の美術の先生は、写生に出ても「ここに木を描いた方がおもしろいね」と、ありもしない木を勝手に描き足すような先生でした。写生においても風景のコピーではなく、オリジナルを創るという意味があったことを今、あなたへの回答を考えていて気づきました。
芸術はオリジナルであることが大切なのです。
本物らしい人間の顔より、あなたらしい人間の顔を描くことが大事だと思います。
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この回答へのお礼

やっぱりそうでしょうかι。
自分自身の絵より、写真を見て描いた絵の方がオリジナリティーが勝って
いるなんて…。
少しショックですが、それはまだまだ学ばなくてはいけないことです。

小学校の頃、風景を描くのがキライでした。
いつもそのまま描こうなんておもってました。
いま思うと、もっと子供らしいのびのびとした絵が描けなかったものかと
後悔なんかしてます。
そのままの絵はつまらないです。
同じようにそのまま描くなら、
 写真を撮ったほうが早いじゃないか…。

絵でしか表現出来ないものを、
 これから自分の絵の中に模索していかなければなりません。

ありがとうございました。

お礼日時:2001/09/17 12:14

写真を見て練習するのはいいと思います。


画は2次元表現なので、立体をみながらその輪郭を線で再現するのは難しいです。写真だと、予め2次元化されているので、いいとっかかりになります。これは写真を練習に使う1番の利点でしょう。
良いところがあれば悪いこともあるのが常ですが、逆に良くない点は、自分でアングルが選べない、既にイメージが出来過ぎているので、自分の味を出しにくい、といったところでしょうか。
自分ってなんだ、とか自己表現しよう、なんて練習段階で気負うと、かえってギスギスと縮こまった画しかかけなくなってしまいがちです。
今は基本的なことを練習することと、画を描くことを楽しみながらいっぱい描くことが大事なのでは?線で遊んだり、色で遊んだり、これがこんなはずないじゃん、画でなきゃこんなことありえない、なんて、もっとのびのびと遊びを盛り込んではいかがでしょうか。
自慢しますが、私は美術部に所属したことはないものの、美術の成績はおっそろしく良かったです(おっと、ものを投げないで下さい!)。これも、中学の美術の先生のおかげだとおもっています。凄い先生でした。ざっと一瞬で黒板の上下いっぱいぐらいのパーフェクトサークル(正円)を描いて、いきなり度肝を抜いてくれました。その先生は線の表現の大事さとして、“ごまかしなく選ばれた一本で描け”といいました。重ねてごちゃごちゃと描くことは誰だってできるからです。また、写実的に描くことよりも、“この色は美しいね~”“これはおもしろい”と、画を楽しむ部分を大事にされていました。スーパーリアルは突き詰めると誰が描いても本物そのものを表現することになるので、大差なくなるからです。しかもリアルという点では本物にはかないませんし。
もう実行されているかもしれませんが、人物を描く基本として骨格、筋肉の走行を勉強してみるのもこれからの助けになるとおもいますよ。
人物描くのは楽しいです。kokoro34さんも楽しんで下さい。
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この回答へのお礼

美術部の先輩をみてみると、
みんな本物っぽく描いているし、
だれも、ピカソみたいな絵は描いてない…。
本物っぽく描いてて、絵で遊ぶひとはごくわずかしかいません。
先生も、絵を楽しむ部分は教えてくれない。
なぜ、こんなに本物っぽく描くと「上手いね~」なんて
誉められるのかわからず、一時期イライラしていました。
試行錯誤して自分らしさを見つけるために
その段階として描いているのか、なんなのか。

自由に絵を楽しむことを
みんな忘れてしまったかのようにリアルに描こうとする。
>>リアルは突き詰めると誰が描いても本物そのものを表現することになるので、大差なくなる
それはそうですね。だから自分らしさは大切だし、
新しい美術として、
リアルさではなく、芸術の中にある「面白さ」が光ってきたのは
そのせいかもしれません。

絵を楽しむこと…美術を楽しむことを、忘れません。
ありがとうございました。

お礼日時:2001/09/17 12:37

私は絵のことはわかりませんが『ロダンの遺言状』の一節に芸術家の前に職人で有れ?を思い出しました。


自分が見た物を正確に写し取り表現する事が第一歩と思います。
ピカソの若い時の作品は写実主義のような絵だし、著名な人達も若いときには模写を盛んに描いていると思います。kokoro34さんも写真を正確に写し取れ始めた時に次の段階が始まるのではないのでしょうか。
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この回答へのお礼

わたしの質問に回答してくださる方は
私らしい絵や、
絵でしか出来ない表現、などをアドバイスしてくださる方が多く
絵について考えさせられましたが、
coelacanthさんの回答を読み、気が楽になりました。
ありがとうございます。

ピカソのたしか…13歳だったか?の作品を前に見たことがあります。
修道院の少年の絵だったかと思いますが、
すごく写実的で、それまで見てきたピカソの絵と全くカンジが違うことに
驚愕しました。
それからピカソの絵は、大人になればなるほど
抽象的な絵になっていったといいます。

>>著名な人達も若いときには模写を盛んに描いている
そうですね。
そこから、学び、自分の絵を確立していったのでしょう。
では、いまわたしが模写しているのはしてもいいことなのでしょうか。
だれも「してはいけない」なんて言っていませんが…。

でも、模写するにあたって、
やはりそれは写真ではなく「絵」であることにも留意しておかなくては
なりません。ピカソが徐々に抽象的な絵を描いていったように。
模写から始まり、そして徐々に自分らしさを確立できたらいいと
思えます。
自分成りに、自分らしい絵を見つけるために
これから、試行錯誤をくりかえしていきます。

ありがとうございました。

お礼日時:2001/09/17 13:04

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