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本当に感謝される人は、死んでから感謝されないですか?
ウチの婆ちゃんですが。
生きてた頃は、人の話は聞かないし暴力は振るうし。一言多いし。
でも、死んでから沢山の遺産がありました。
生前は憎まれて、死後に感謝されて。
あれは何なんですかね?

A 回答 (5件)

本当に感謝される人は、


死んでから感謝されないですか?
 ↑
本当かどうかは判りませんが
死んでから感謝てのはありますね。

ワタシも親父の歳になって
亡くなった父に感謝すること
しきりです。

生きているうちに感謝しておけば
と思いました。



生きてた頃は、人の話は聞かないし暴力は振るうし。一言多いし。
でも、死んでから沢山の遺産がありました。
生前は憎まれて、死後に感謝されて。
あれは何なんですかね?
 ↑
金の力は偉大だ、ということです。
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生きているうちに潜在能力を活かせなかったという事でしょう。

死んだ後に問答無用で使われてしまう分けです。その辺りにハッと気が付いて「生きているうちに分け与えていれば感謝を受け取れた」と思いますよ。

以下は長いのでお暇なときにでもどうぞ。

私は若い時に「こりゃ明日生きてないだろう」と哀しく思って(夜でしたので)寝たことがあります。突発の神経症でした。後で知り合いの医者の人が「それは危なかった」と言ってました。なんでも「ぽっくり病」と言うらしく「仕事で無理をした人が朝冷たくなっている」という現象が当時は流行っていたとか。私も徹夜仕事の後でした。正にヤバかった。

そのとき私には(こりゃだめだという)自覚があったのですが、家族は(冗談か我儘だと思ったのか?)真剣に取り合ってくれませんでした。本当に誰にも気づかれずに死ぬところでした。

その夜の事を今でも覚えています。最初は家族や他の生者を恨みましたね。「自分が消えても同じ日常を繰り返せる人達がいる」。とんでもなく寂しく感じました。何ともやり切れなかった。しかし最後に想ったのは銀行にある僅かな預金。連休も近かったので、これを使って楽しむ計画をしていたんです。それが叶わないと思った時、何で使い切らなかったのかと後悔しました。結局何とか持ち直しましたが。その後は豪遊しましたね。

またその後から考えも変わりましたね。若い時の私は人にランク付けをしたり「生きている価値があるかないか」みたいな発想で他人を選別する癖がありました。また「自分がヤナ人間である」と思い悩みながら「そういう人がいても良いはず。他で良い所を探して勝負すればいい」みたいに「良い人間になる道」は自分には無理だと諦めていました。

そんな中で気まぐれが起きました。同僚(先輩でしたが)にとても親切で優しい人がいたんです。この人に「良い人だなあと思います。○○さん本当にいい人ですね」と言って見たんです。何の経緯もなく。お礼でもなく。突然言ってみたんですよ。すると凄い喜んでくれました。顔を真っ赤にして「そんなことないから」と言ってもっとイイ顔をする。驚きましたね。その後その方は更に親切な人に変わってしまいました。凄いと思いました。そこまで期待をしていなかったからです。

「え? 無料(言葉なので)の中にこんなすごい可能性
 があるのか?なんじゃこれ。今まで損してなかった?」

それまでの私は「心の中で感謝していればいい。好きだと思う事で相殺だ」みたいに物臭をしていたんです。「俺様が好きだと思う対価で充分だ」みたいな俺様論を展開していたんです。なので良い人だと思っても「良い人だ」と本人に言う事は無かったですし、他人にも言いませんでした。

「言葉は心を超えない。本気で思う事が大事であり。
 言葉を飾る事は悪人のする事なんだ」

馬鹿ですねえ。こんな事を思っていました。実際はちゃんと言葉にする事で「顔を真っ赤にして」喜んでもらえる。そしてその人は更に立派になってしまう。その人の人生すら変えてしまう。なんで勿体ぶっていたのだろうと思います。ただなんです。しかも嘘では無いのですから。

私は疑い深い人間なのでその後も試しました。例えば何かについてお礼を言う事はあります。この時に褒めるとか。これも意外と効果があります。しかし何の脈絡もなく(流石に会話を繋げますけど)誰かを褒めて見ると凄まじい威力に成ります。勿論、嘘じゃない範囲で。

ある時、行きつけの(夫婦で営業している)定食屋さんでのこと。私が旦那さんと商売について語っていると、奥さんは直ぐそばでじっと話を聞いて待っているんです。私は暇じゃないだろうかと心配しまして「奥さんは凄い我慢をしてご亭主に尽くしている。本当は言いたいことがあるのにグッとこらえているのが分かる」みたいなことを言ったのです。まあ漫画見たいですね。すると奥さんが突然泣き出してしまった。どうも本当だったらしく嬉しくて泣いたそうです。

50歳を超える人だったと思います。それを見てご亭主が呆然とする。私からすると「なんじゃこりゃ?」でした。そうなるとは思いもしなかったからです。ドラマじゃないんだからとか思いつつ・・・。

「そう言えば自分も何度も職場で泣いたなあ」

と思い返しました。相手が本気で言った事じゃないと分かって居ても「その言葉を誰かが言ってくれるのを待っていた」という物があるんですよね。その時はこらえきれずに泣いてしまうものなんでしょう。ああ、あの時の俺か。みたいに思って私の方も涙ぐんでしまいました。

「漫画やドラマを見て『まあ漫画だし』と諦めていた。
 そんな感動的な話は起きないと思っていた。
 これに気づかないで死んだならば。
 人生モッタイ無いことしてないか?」

似たようなことが何度も起きましたね。そこでやっと信じました。そういう「その人が言って欲しいと思う事を伝える」言葉は無限に出てくるんですよね。そして「タダで出した」からと言って自分の中の何かが欠損するわけじゃないんです。しかも他人の人生を変えるくらいの効果があります。また「出さない様にしても貯金できない」んですよ。生きている間中(それこそ駄々洩れの様に)使ったほうが得だという事です。

「俺は簡単に人を褒めたり、礼を言うと損をすると思う。
 それに見合う対価を貰える場合か、この人は本物だと
 思う人のために取って置くべきだと思う。本当の優し
 さってのは軽々しく使う物じゃないんだよ」

「お前が死んだあとのことだ。金なら遺産として残るが。
 お前の本当の優しさってのはどこにも残らないと思うぞ。
 単に嫌な奴として他人の記憶に残るだけだ」

優しさや親切を貯金できると思っている人がいないでしょうか? ただで他人にくれてやるのは損だと思っている人はいないでしょうか? しかし実際は潜在能力として無限に貯蔵されており、使っても使っても出てくるんです。しかし死後に引き継ぐことは出来ません。思いや信念と言うのは消えてしまうんですよ。今、可能な限り使い切った方が良いという事です。

例えばこうしたサイトでお礼を述べるときです。人によっては「お礼に成っていない」人もいますよね。私の「優しさはタダ論」の観点で見ると「お礼に批判を書いている」という所業は真逆に成ります。その人は生きていることの本当の力を使う事は無いと思えて仕方ないです。

「まあ優しい人間になる人生を諦めて遺産を残す人生を
 目標にしてもいいけど。生きているうち誰かに感謝さ
 れることは少ないだろう。それは楽しいのだろうか?」

「俺は誰かに感謝されたりしたことが無いんだ。どうし
 て俺の方から優しい言葉を使わないと行けないんだよ?
 恵まれている奴が俺に優しくするのが先だろ?
 嫌だね。俺は負けねーから」

「分からなくもないけど。そのままだとどうなっちゃう
 のかは自分の為に考えようぜ」

誰もが聖人じゃないです。初めは赤ん坊です。何らかの経験で(誉め言葉や親切はタダであると)気が付くわけです。私は死にかかって「?」くらいの気付きでした。そこから気付きを膨らませた(使わないと損だ。誰にも備わっている無限の資産。気持ち一つで使い放題)経緯を考えると、物凄い運が必要ですよ。そうであるのに「やればやるほど損をする」と思い込んでいたらどうなるのか?

「俺の真心は安売りしないぜ」

と思っているのは間違いないと思いますが、出し惜しみをして「嫌な事ばかり言う人」という人生を「一生をかけて作り出す」のは間抜けであると思います。そういう人は「ワンモアチャンス」とか思っているのでは無いでしょうか。いまリアルタイムで「たった一回しかない人生」が消費されているというのに。

「その上で他人への優しい言葉や誉め言葉は今すぐに
 でも出て来るコストが掛からない資産であり武器な
 んだ。使わないまま終わるつもりか?」

私はこのサイトでは「礼」と「敬語」から始めましょうと推奨しています。本当は「脈絡なく相手の良い所を褒める心持ち」まで訓練して自分をし合えないと(日常では)手応えを感じないと思います。しかし「ずっと嫌われてきた」という経験を持っている方には癒しが先だというのは本当だと思います。

例えば「普通に話してくれた」と言うだけで可成り嬉しいはずです。そこを味わうステップが必要に思えます。他人に優しい気持ちを出し惜しみするのは「自分が優しさに飢えている」からだと思いますしね。

そういう時は軽い優しさでも腹に染みるものです。しかし軽い優しさであってもタダでは振舞ってもらえません(そういう気前の良い人は少ないでしょう。今は「優しさの出し惜しみ」をして一生が終わってしまう人が多いという話をしておりますからね)。そこで礼には礼を返す文化を利用するんです。単なる文化かも知れません。しかし腹が減っていれば美味いと思えるものですよ。

「まずはそこから実験しようぜ?」

という事なんです。

「死んでから他人に感謝されるかもしれない」

という慰めは哀しいですよ。

「他の人が先に出すべき」と意地を張らなければ今すぐにでも他人に感謝されるはずですからね。「優しい言葉」は誰にでも備わった無限の資産なんです。出し惜しみは機会損失に成ります。また自分の優しさに値を付けてはいけません。勿体ぶるのが癖になってしまいますよ。

回答はここまでとなります。

ずっと質問者さんの質問を見ていますが、以前に比べて穏やかな話が多いですね。何かありましたか?とても良いと思っています。

以上、ご参考になれば。
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死んでから感謝されてもねえ。

大鵬親方の遺族、国民栄誉賞「どうせくれるなら生きてるときに・・」勲章もノーベル賞も生きてる人だけやなあ。
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その逆もある。


隠し子出てきたとか。信頼大失墜。
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婆ちゃんに感謝じゃなくて遺産に感謝してるってことでは?カネは物言わないし暴力も振るわない。

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