魏志倭人伝の下記の部分をどう読み下していますか?
「参問倭地、絶在海中洲㠀之上、或絶或連、周旋可五千餘里。」
Wikipediaによると
「倭の地について問いて集めるに、海中洲島の上に遠く離れて存在し、あるいは絶え、あるいは連なり、一周は五千余里ばかりか。」
ということです。
東亜古代史研究所によると
「倭地を考えてみると、孤立した海中の島々の上にあり、離れたり連なったり、すみずみまで巡って五千余里ほどである。」
私は
「倭の地について問い集めるに、海中に在る洲島の上で(倭の地は)絶える。(国邑が)続いてる所もあるし、離れているところもある。一周は五千里ほどであろうか(推測又は伝聞)」
と読み下しています。
それで、この洲島というのが九州の事ではないだろうかと思っています。
地図を印刷し、地図上で五千里相当にタコ糸で輪っかを作り地図に充ててみると、
佐賀~福岡~宇佐付近でだいたい五千里になりました。
皆様はどう読み下しているのでしょうか?
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
お礼ありがとうございました。
いつも回答しっぱなしなので、気付きませんでした。この一文は、先の回答にも書いたように、魏志倭人伝の作者(陳寿じゃないよ)が引き算で算出して『こんな感じらしいよ』って書いてる部分なのです。だから自分で見たわけでもなく、断定もせずに5000里程度ってことじゃないかな、って紹介してるようなものです。
絶海は、倭の全域に掛かっているのです。倭の島々がそれぞれ孤立してるというわけではないでしょう。(むしろ連なっていると書いてますよね?)
倭自体が韓半島などから遠く離れたところにある島々って意味ですね。
魏志倭人伝を陳寿が書いたのではないというのは、魏略の引用で残っている部分と比べれば、これらが非常によく似ているということから分かります。同じ内容というだけでなく、使用している漢字の順番まで一緒というのは、どちらかが書き写したか、双方が同じものを書き写したということです。魏略のほうが少しばかり魚豢(魏略の著者)の考察が入っていることが伺えますので、陳寿はかなり正確に元の文章を三国志にコピペしたのだろうと思われます。
話が少しズレましたが、そういうわけで魏志倭人伝を書いたのは陳寿ではないというのと、読めば分かりますが文章が非常に下手っくそですw こんなゴミみたいな文章を陳寿が書いたものだと思われているのは、陳寿がかわいそうですw そういう目で見ると、あーここ引き算して5000里って求めてドヤ顔してる小学生並知能の文官が書いたのだろうなぁって思えてくるものです。実際その程度の文章です。
陳寿さん(あるいは別人)が見てきたようなウソとしてコピペしないため
「可五千余里」と推測又は伝聞の形で記載した、ということですね。
ありがとうございます。
確かに伊都国までは魏略とよく似た国名と行程です。
絶在の解釈も納得いたしました。
陳寿さんが書いたか否かは別にして、お考えがはっきり伺えました。
感謝いたします。
No.6
- 回答日時:
邪馬台国をなぜ、大和にしたかですが、
当時のことを語る日本文献が日本書紀と古事記。
これで見る限り、3世紀に日本を治め、海外と交渉できる組織は
日本国内においてどこでしょう。
卑弥呼が治める邪馬台国、
正体はですが、九州ならば、狗奴国と対抗する勢力ですから
狗奴国=熊襲
これを討ったのが日本武尊を含めた大和朝廷。
さらに新羅とか朝鮮を経て中国にも通じた。
九州の地方豪族が国を築いても史書に出てこないでしょう。
外交まで担当したのはやはり大和朝廷に見える。
九州に邪馬台国があるならば、なぜ、史書に載らないのか、
大和朝廷が討伐するなどの戦乱を含めて
散逸・消滅ですか。
いや、違う。やはり大和朝廷以外に
なぜ、他地域に求めるかです。
風土記とかのいろんな文献が見ても、あの頃に
日本を治め、中国が認めた日本国内統治組織は
やはり大和朝廷以外に求められるとは
思えないのです。
ほかの組織政府が担当して、魏を含めて海外と
政治のやり取りをしたのは
大和朝廷以外にないと思います。
倭人との会話で五千余里というなら、そこまで推測できる
人々がいたわけでしょう。九州だろうが、大和だろうが、
五千余里の空間を把握できる組織の事を
知っていた人々がいたわけですし、
1万2千里もしかりね。
更に倭人伝の編者は
倭がどういう国か見聞できて、ある程度まとめられたわけです。
大雑把な距離と方位観ではありますが、
邪馬台国を大和としないで、どこに求めるか、
九州・四国・出雲・ほかにも
色んな地域誘導する学者の書みたが、
大和以外は何となく無理そう。
まあ、反論でその他勢力候補地の分は
すべて大和朝廷が滅ぼした。いや統治下にするべく、
活動して、消した。
そういう形で反論して
ほかの地に持っていきたいのか、
この論争は江戸時代の頃から
徳川が治め日本が平和になったことで
始まった気がする。それから長い長い論争で
未だに未決着。でも情勢は
反大和論者には不利な可能性大。
動画は書いた後で拝見します。
No.4
- 回答日時:
>「参じて」と「絶在して」と「絶えるか連なっている」の部分を
もっと詳細に解説お願いいたします。
邪馬台国ー日本古代史の旅ー小学館ーなぞの古代国家ー昭和50年4月15日初版第1刷ー編集は千賀四郎より引用します。
「倭の地を訪れると、倭人たちは他と隔絶した海上の島に住んでおり、その島々も時には途絶え、時には連なっている。これらの島々をめぐると、五千余里ほどになる」というのが問題文の現代語訳と表示しています。
「海中の洲島」は日本列島で北海道は入っていないと思う。
本州は繋がっていて、九州だけでなく、「隔絶」という部分で
九州から港を出港して瀬戸内又は日本海を渡らないと大和地方には行けないでしょう。編者は行っていないこと確実。あくまで聞き語りの大雑把文章です。同時に魏が滅びた後に遡って編纂されたので、改竄の危険を感じています。使われている漢字も差別漢字が溢れていて、オーバーに表現したり、前述の混ざりを大いに見受けます。
まあ、伊都国を糸嶋にする説に疑問を感じています。地名で当てはめている気がする。其処に使者を言った足止めにして行かせなかったという説もあるが、私は大和まで使者は行ったと思っています。
九州に限定する人はご当地ソングと疑われても仕方ないでしょう。
距離と方角を真面目に信ぜずに柔軟な対応で柔らか頭の解釈をしないと偏見と批判されますよ。ここまで書いても単位不足とか勝手な誹謗中傷を受けた経験あり、怒っています。自分の主張と合わないとそれだけで、攻撃しやすい人が多い分野でもあります。長い長い論争多く、何年かかっても決着つかず、わざと自分の好きな土地に読者を無理やり誘導しているように見える本をたくさん見てきました。あんなものに惑わされると病気になりそうですよ。とにかく日本書紀を真面目に信じないで柔軟に対応した方がいいですよ。学者の本をむやみに信じないことを勧めます。
卑弥呼が神功皇后という日本書紀の説も作り話は確実です。無理に年数を偽造してそこに読者を誘導したと思っています。
但し、記紀に出てくる登場人物は全部実在と考えて分析を望みます。
実在否定は反撃したいです。中国人は長すぎる人名を短縮して
ニックネームで呼んでいたと思っています。卑弥呼・難升米・師升などもみな短縮省略名でしょう。
まず「海中洲㠀」が複数の島々という論拠が判りませんが、
俗にいう大八洲と理解しました。
或絶或連、は、島々が絶えたり連なったり、と理解しました。
ありがとうございました。
1周5000里か、とあり、短里(1里=76m)とすると380km。
佐賀県ー福岡県ー大分県中津付近の一帯でほぼ380kmです。
近畿まで考えると、魏の標準の里(1里=435m)としないと
いくら概算とはいえ、あまりにも計算が合いません。
その書籍が出版された昭和50年ころだと、末盧国までは短里、
それ以降は普通の里。こういう概念だったかと思いますが、
その書籍では、1里は何mと考えているのでしょうか?
で、貴殿は何mとお考えでしょうか?
尚、質問の意図から外れますが、台(臺)は魏の当時「əї(アイ)」
という発音でした。「台 百度」で検索したら出てきます。
現在でも「tai」とか「yi」とか発音します。ご確認ください。
後の北史には「魏志に言う邪馬台国は邪靡堆のことである」とあります。
魏志のヤマアイ国はヤマタイの事である、という話になります。
発音から考えると、邪馬台国が大和に繋がるとは思えません。
どうしても近畿に繋げたい意図が見えますので、釘を刺しておきます。
No.3
- 回答日時:
大和朝廷が神武東征後、追われたナガスネヒコが兄弟で、弟はニギハヤビに殺されたが、兄は助かって蝦夷地方に逃げて、大和に攻め上り、九州まで追い返して大和朝廷側が奮起して大和朝廷が大和の都を取り返したという説を欠史8代の間の出来事と聞いたことあります。
ということは室町時代の足利尊氏的行動をした天皇がこの時代に居たと思います。本当か信じるかは別ですが、これが記紀にないことで、記紀の主張年代は史実を偽らざるを得なかったのでしょう。在位と年齢は信じる必要ないでしょう。前660年1月1日神武即位は作り話と考えてください。
つまり邪馬台国という物に九州時代と大和時代の二つがあり、両方の記事が魏志倭人伝の中で混ざっていると聞いています。
この視点でつまり九州から大和までの東征が2度あったことになる。
2度目が記紀に書いていないわけで、取り上げないというか無視抹殺しようとする人が多いようです。
大和朝廷を邪馬台国と同じという主張を認めない人はご当地ソングという人居ます。
時間の都合で、また後で許されれば、書きにしますので、
悪しからず。
まず、思考の暴走を止めてください。
今回はそういう「邪馬台国の経緯」を質問してはいません。
私の質問に答えていただけませんでしょうか?
質問はあくまでも「参問倭地・・周旋可五千余里」の読み下しです。
No.2の回答に再質問した部分をコピペします。
「参じて」と「絶在して」と「絶えるか連なっている」の部分を
もっと詳細に解説お願いいたします。
「周旋」の周は「一周する」の周であり、旋は「旋回」「螺旋」の
旋であり、周旋はぐるりと回るの意味ではないのでしょうか?
つまり、「周旋可五千餘里」は「一周すると五千里ばかりか」
ではないのでしょうか?
「海中の洲島」とはどこを指すとお考えでしょうか?
No.2
- 回答日時:
「倭の地を參問するに、海中の洲島の上で絶在し、
或は絶え或は連なり。周旋五千余里可り」という書き下し文で
「倭の地に參じて問うに、海中の洲島の上で絶在して
絶えるか連なっている。周を旋ると五千余里ほどである」
というような訳になる気がする。
「集める」という意味合いの言葉は参じるという言葉の転嫁ですか。
でも何か適切な言いかえか疑問を感じます。
「旋る」は「めぐる」と読む。
実際には宇美の辺から船で瀬戸内を渡り、投馬(丹波・但馬)国を経て
大阪湾から上陸して大和に到った気がする。
船に乗った時点で、里を使わず、水行・陸行という
形で記事の表記が変わる。
魏志倭人伝の編者は使者が帰国後、四十年程たって
昔話みたいにして倭の地の訪問記事を使者から聞き、
聞いた話を元に纏めた物ですから、当人は行ったことないので
余り正確な記事の書と言えない気がする。
距離や方角は大雑把なものと思った方がいいでしょう。
倭は後に日本と国名に当てる文字を変えますね。
中国や朝鮮などから見て
差別的印象を持つ倭の字を嫌ったのでしょうね。
次に出て来る邪・卑などの字も差別漢字ですな。
蛮族あつかいね。
邪馬台国は大和の事と思っています。
寒い大陸から見れば
中国から日本列島を見れば、南方に位置して
大和は暖かい盆地で南国という印象だったのでしょう。
卑弥呼は日巫女で建物の中に入っても
御簾に隠れて応対してしまうので
使者を含め、民衆もみな、よく姿が見えなかったのでしょうね。
「参じて」と「絶在して」と「絶えるか連なっている」の部分を
もっと詳細に解説お願いいたします。
「周旋」の周は「一周する」の周であり、旋は「旋回」「螺旋」の
旋であり、周旋はぐるりと回るの意味ではないのでしょうか?
つまり、「周旋可五千餘里」は「一周すると五千里ばかりか」
ではないのでしょうか?
「海中の洲島」とはどこを指すとお考えでしょうか?
No.1
- 回答日時:
『集める』ってどこから出た訳なんだろ?(私の訳ではないなw)
参は”調べる”とか”参照”の参ですね。参問倭地で、倭の地を問うてみると、と訳してた気がします。
絶は絶海の絶で、周りに何もない状態を指していると思います。絶在海中洲㠀之上の洲㠀はどちらも土地を指し、似た言葉並べて、洲のような島のようなものの上に倭があるという意味でしょう。絶在海中は略w
周旋可五千餘里は分かりやすくて、5000里ばかりで周旋できる、って意味なのですが、言葉を間違えていて、これは倭の地の長さが5000里くらいって意味です。
この5000里の出所ははっきりしていて、女王国までの万ニ千里から歴韓国の七千里を引いた里数です。つまり書いたやつが計算して出したってだけの数値ですね。
なので倭の地の長さがおおよそ5000里って意味なのですが、それを『周旋』なんて書いてしまうあたりが、この文章を書いた者の程度が知れるってところですね。
倭の地を問うてみると、絶海の海中の洲島の上に(倭国が)ある。
×一周すると五千里ほどであろうか
〇その道里は(狗邪韓国から)五千里ほどであろうか
こういう理解でいいでしょうか?
海中の洲島とは九州である、でいいでしょうか?
関門海峡を挟んで本州もあります。
女王国の東に海があって渡って千里また倭種である
という部分があります。
洲島が九州なら、四国または山口県防府市~光市付近。
それを「絶海の」というには疑問が残ります。
どのようにお考えでしょうか?
魏志倭人伝は推測表記と断定表記が使い分けられています。
一万二千里の部分は「自郡至女王國萬二千餘里」と断定形で
七千里の部分は「到其北岸狗邪韓國七千餘里」と断定形です。
五千里の部分は「周旋可五千餘里」と推測又は伝聞形です。
ここはどのようにお考えでしょうか?
「或絶或連」の部分は「(国邑が)続いてる所もあるし、
離れているところもある。」とのお考えでいいでしょうか?
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問い集めるの「集める」ではないのでは、という意見が2件続いたので捕捉します。
中国語で「参問」を調べたら「聞く」という意味でした。
後漢書にそういう用法があるとのこと。
「参問倭地」は「倭の地について聞くと」「倭の地について問うた答えは」
当たりの意味になりそうです。
「参問倭地絶在海中洲㠀之上或絶或連周旋可五千餘里。」の前段には
「又有侏儒國在其南(中略)又有裸國黒齒國復在其東南、船行一年可至。」
という一文があります。
裸国と黒歯国が侏儒国の東南にあって、船で1年がかりで至るらしい。←伝聞
とあります。
魏の使者が「それ以外に倭の地について情報はないのか」という質問をしたなら
「倭の地について問い集めるに」という意訳交じりの読み下しでも構わないと思います。
後日の別の質問も含め、貴殿のこれ以上の回答は差し控えてください。
今回は「どう読み下してますか」ですが、ナガスネヒコの話になったりで
答えになっていないからです。
No.2の逆質問に対しNo.3の回答です。もういいです。
補足:質問の意図を無視した近畿論推しが目に余るので、紹介します。
九州論の論拠がまとまっている記事
近畿論否定の論拠がまとまっている記事
https://www.youtube.com/watch?v=KVRN492aUEs&lc=U …
教えて!gooは議論の場ではありませんが、あまりに本来の質問の意図から外れた返事であるので
紹介します。参考に見てみてください。
九州説はご当地ソングと言うことはできなくなります。そういう回答は望んでいません。
とりあえず質問に淡々と答えることができるようになってください。
追加質問をお許しください。
「参問倭地」は「倭の地について聞くと」であり「魏の使者が倭人に」聞いたのだと思います。
であれば以降の「絶在~可五千余里」は倭人の返事であるということになりませんか?
となると、「周旋可五千余里」は「倭人が『五千里くらいでしょうか』と返事した」という
事になりませんか?
この「可」は推測の可なら、倭人が推測したという意味だと思いますが?
その疑問が残ります。