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なぜ松山でない?

A 回答 (5件)

下記、ご参考まで


愛媛県は県単独では人口は多いですが、四国は東四国に人口が集中しています。愛媛県の面積は香川県+徳島県の面積にほぼ近い広さです。仮に香川県と徳島県が合併すれば愛媛県より約30万人も多くなります。
更に四国の各県庁所在地からの利便性は高松の方が優れているからだと思います。高松には行きやすいが、松山はかなり迂回が必要です。むしろNHKの四国の中枢局が松山にあるのは不思議ですね。
尚、狭い四国です。松山が都会とか高松と比較しないで、四国新幹線実現一本(大阪-関空-南淡-北四国-大分-熊本)で四国がまとまれば、松山も人的な交流増大で都会的な雰囲気の街になると思いますよ。
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高松より松山の方が人口が多いのは事実ですが、松山は面積も広いので、人口密度はほぼ同じです。

 また、高松には丸亀通り商店街のように、全国から見学に訪れるような近代的な繁華街がありますが、松山にはそのような繁華街は無くて、道後温泉、松山城、坊ちゃん電車と言った古いものしか売り物がありません。 そういう点からも、高松の方が松山よりもはるかに都会です。 

昔から高松は四国の玄関口と言われています。 かつて、本土と四国は、岡山側の宇野港と高松港が国鉄連絡船で結ばれていました。 民間のフェリーなどもありましたが、国鉄を利用して本州から四国にわたるには、国鉄連絡船で高松にわたるしかありませんでした。 本四連絡橋(瀬戸大橋)ができてからは、岡山から直接高松にJR線で行ける瀬戸大橋線ができましたが、この瀬戸大橋線では直接松山には行けず、松山に行くにはどこかで高松発のJR予讃線に乗り換えなければなりません。 いずれにしても、四国のJR線の幹線はすべて高松が始点になっています。 また、旧高松空港は戦前陸軍が使用していたものを、敗戦により占領軍が接収しましたが、1952年のサンフランシスコ講和条約発効に伴い返還され、そして、1955年5月に 空港指定を受けないまま民間航空便が就航しました。 一方、松山空港は1943年に開設された海軍航空隊の飛行場で、終戦とともに連合国軍が接収して、後に返還されましたが、民間国内船が就航したのは高松空港より1年遅れて、1956年からです。 

以上のように、交通の面でも高松は常に四国の玄関口であったため、国の地方出先機関の本局だけでなく、多くの大企業の四国支店も高松に集中しています。
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人口は松山のほうが多いのですが、GDPでは高松のほうが上になっています。

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・関西に近いので、機関としては何かと便利。


・松山だと愛媛県内くらいしか近くないが、高松だと愛媛、徳島と3県民にとって近い。
…辺りでは。
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以前から宇高連絡船で国鉄が乗り入れてた名残です。

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