プロが教えるわが家の防犯対策術!

1910年頃、京都帝国大学医学部を卒業した祖父を持つ人は、家柄がいいと言えますか?
ある程度歴史的背景に詳しい人、ご回答お願いします

質問者からの補足コメント

  • まちがえました。
    祖父ではなく曽祖父です

      補足日時:2024/05/04 07:27
  • 職業はもちろん医師です
    あの時代、医学部いって医者にならない人はいないですよ
    いまでもほぼ医者になりますよね

    卒アルみたら三十人いなかった

      補足日時:2024/05/04 09:13
  • あと篤志家は当時いたかもしれませんが、尋常小学校がふつうのじだいだったので、中学だけねらまだしも、中学、高校、医学部とこんなに長期に親戚でもないのに出すケースはないとおもいます

    お金持ってないと大学にいけない時代だったとおもいます

      補足日時:2024/05/04 09:50
  • 書いていることがよくわかりません。
    回答もリンク先も。
    リンク先は信用できるものかどうかも不明です
    事実とは違うようです
    医術開業試験も受けないという話もよくわからないです
    画像は110年くらい前に公的機関により出版された曽祖父の伝記(のコピー)です

    下げたい気持ちはよくわかります
    ご自愛くださいね^_^

    「1910年頃、京都帝国大学医学部を卒業し」の補足画像4
    No.8の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/05/07 20:48
  • .

    「1910年頃、京都帝国大学医学部を卒業し」の補足画像5
      補足日時:2024/05/07 20:56
  • .

    「1910年頃、京都帝国大学医学部を卒業し」の補足画像6
      補足日時:2024/05/07 20:57
  • 最後数行しかよまなかったですが、いまも医師の合格率は98%ときいているし、帝国大学の医学部に入っている時点で医師の実力、ポテンシャルはあるので、試験があろうがなかろうがかんけいないです。
    そこの議論は全く、意味のないことですね

    尋常小学校が当たり前の時代、まだ、東大京大しかない時代に医学部を卒業している、
    いまは毎年数万人いるであろう医学部卒業生が当時は100人くらいであり、神様的存在であったのは事実なので、なにをいわれても正直かんけいないですね
    質問の趣旨ともまったく関係ない
    ほんとうにご苦労さまでした


    受けていないことが驚きです
    というコメントがほんとうにみっともない

    どうぞご自愛ください

      補足日時:2024/05/10 16:26

A 回答 (9件)

1910年頃に京都帝国大学医学部を卒業した曽祖父を持つ方が家柄が良いかどうかは、単純には断言できません。

確かに、当時の京都帝国大学医学部は、日本における最高学府の一つであり、入学難易度が高かったため、卒業生は社会的に高い地位を得ることが多かったのは事実です。

しかし、家柄の良し悪しには、学歴以外にも様々な要素が関係します。例えば、出身地域、職業、資産、社会的地位などです。また、1910年頃の日本社会は、現在とは大きく異なっており、家柄の概念も現代とは異なるものであったことを考慮する必要があります。

以下、当時の京都帝国大学医学部と家柄の関係について、より詳しく説明します。

**京都帝国大学医学部について**

* 1897年に設立された、日本初の国立大学医学部
* 当時、日本における最高学府の一つであり、入学難易度が高かった
* 卒業生は、医師、学者、官僚など、社会的に高い地位を得ることが多かった

**当時の家柄**

* 家柄とは、出身地域、職業、資産、社会的地位などを総合的に指す概念
* 学歴は、家柄を判断する重要な要素の一つであったが、唯一の要素ではなかった
* 1910年頃の日本社会は、身分制度の名残が残っており、家柄による差別が存在した

**結論**

1910年頃に京都帝国大学医学部を卒業した曽祖父を持つ方が家柄が良いかどうかは、単純には断言できません。確かに、当時の京都帝国大学医学部は、日本における最高学府の一つであり、卒業生は社会的に高い地位を得ることが多かったのは事実です。しかし、家柄の良し悪しには、学歴以外にも様々な要素が関係します。また、1910年頃の日本社会は、現在とは大きく異なっており、家柄の概念も現代とは異なるものであったことを考慮する必要があります。

曽祖父の家柄についてより詳しく知りたい場合は、以下の点について調べてみることをお勧めします。

* 曽祖父の出身地域
* 曽祖父の職業
* 曽祖父の資産
* 曽祖父の社会的地位
* 曽祖父の家族構成
* 当時の日本社会の風俗習慣

これらの情報を総合的に分析することで、曽祖父の家柄についてより深い理解を得ることができるでしょう。

なお、歴史や家柄に関する質問は、専門家に相談するのが最善です。大学や図書館などの研究機関、あるいは家系調査を行う業者などに問い合わせてみることをお勧めします。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます

今とはちがって、家柄もよくないと帝国大学なんて進学できないときいたので。

尋常小学校があたりまえの時代ですから

お礼日時:2024/05/04 09:11

言えません。



当時大学まで進学するのは有る程度金銭的余裕のある家庭に限定されますが金持ち=家柄ではありませんね。
また学業優秀でも金がないような時は地元の篤志家が学費を出すようなこともありますね。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございます

今とはちがって、家柄もよくないと帝国大学なんて進学できないときいたので。

尋常小学校があたりまえの時代ですから

篤志家はまさにうちです

お礼日時:2024/05/04 09:35

もう家族制度は崩壊しています。


家柄なんてのは消滅しています。
天皇家だって女性天皇や側室を認めなければ、いつまで家柄が続くかわからない状況です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

家族制度も家柄もありますよ

お礼日時:2024/05/04 09:41

京都帝大医学部を卒業したご本人が優秀で、家庭が教育熱心で経済的に余裕があったとは言えるでしょう。


本人がエリートだったとは言えるでしょうが、その家系はわからないし、家柄の評価とはイコールではないと思います。

夏目漱石は帝大(東大)卒で文京〜新宿あたりの名主の家系だったようですが、父親の代には凋落して里子に出されたりまた親戚に連れ戻されたりしたそうです。
しかし、夏目漱石の家柄がよいとか名主の家系だとかで評価されているわけではない。

漱石の嫡孫(長男の長男)で漫画家の夏目房之介氏は著名な文化人ですが、「名主の家柄」を背負っているわけではないし、周囲から漱石の孫だから「家柄がよい」と評価されているわけではないはず。

同様に、京都帝大医学部を卒業した人の「子孫の家柄」までは他人のには推測も評価のしようもないことです。
    • good
    • 0

家柄って誰か一人傑出した人が出て来たら上がると言うものではありません。

なので家柄がいいかどうかは「元々どんな家柄か」が分からなければ何とも言えない事になります。
    • good
    • 0

家柄は別として当時(戦前)は大学まで進学するのは頭がよいだけでなく相当の資産家でないと行けません。

ちなみに私の祖父(正確には祖父の弟、私の大叔父)も京都帝国大学医学部を卒業し、ドイツに留学していますが、家は地主で、江戸時代から続く名主の、そのあたり一帯では一番の名家です。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございます
うちもそうです。平城天皇から皇籍降下?した在原の流れで一帯の地主?庄屋?でした
平安からルーツわかっています

とうじは華族か士族でないと大学などいけなかったとのでは?おもっています
金だけでなく家柄が必要だとききました
医師の曾祖父の弟は弁護士です

お礼日時:2024/05/07 08:23

No6ですが、間違えました。

京都帝国大学ではなく、東京帝国大学医学部の卒業です。海軍省にはいり、海軍省医務局の局長になり、海軍中将の肩書をもっていました。ドイツ留学は海軍省からの派遣だったかもしれません。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございます
当時の卒アルをもっているのですが医学部の卒業生は20人もいませんでした
今は医学部が東大、京大くらいしかなかったことを考えると今とは違い神的存在だったと思います

お礼日時:2024/05/07 08:33

> 1910年頃、京都帝国大学医学部を卒業した



1919年(大正8年)2月、帝国大学令の改正により分科大学制が廃止され、医科大学が京都帝国大学医学部となったそうです。 
それまでは、京都帝国大学医科大学附属医院か、京都医科大学だそうです。
https://juken.y-sapix.com/articles/2391.html

> 当時の卒アルをもっているのですが医学部の卒業生は20人もいませんでした。  医学部が東大、京大くらいしかなかったことを考えると今とは違い神的存在だったと思います

神的存在には思いませんが、医術開業試験を受けないで、西洋医学を学んだというのはスゴイと思います。
弟さんも弁護士ということは、勉強が好きな人がいて、親もそういう自由を認める気があって、経済的にも可能だったということでしょう。 
旧制大学、旧制専門学校、旧制高等学校、高等師範学校、師範学校など様々な高等教育機関全体でみても、進学率は、大正9(1920)年時点で2.2%しかなかったそうです。 旧制大学だけなら1%にもならなかったでしょう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E5%8F%A3 …

> 平城天皇から皇籍降下?した在原の流れで一帯の地主?庄屋?でした
平安からルーツわかっています

ご一家が「家柄」を強く意識していたことはうかがえます。
お付き合いというのもありますから、婚姻や地域の中では、「家柄もよろしくて」とは言ってもらえたと思います。
ですが、士族とか、位階とかの格付けのようなのがなくて、また村長のような官職もなく、農業だと資産が多く豐でも、どう思われていたのかは不明なところもあります。

自分で祖先を大切に思うことは良いことだと思いますが、自分自身のことを考えることがより大事でしょう。 「柄ばっかりで、中身なし」くらい惨めなことはないです。
この回答への補足あり
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答とリンク先の書いていることはよくわかりません
医科開業試験を受けずにという話も??わかりません


リンク先の信用度も不明です。なにせネット情報なので。
補足の画像は100年以上前に公的機関から出版された曽祖父の伝記です。
(アップに審査があるので時間がかかかります)

リンク先の情報は事実ではないようですね

殉職した時に地方紙に大きく掲載されたので(現物あります)、人数から言って当時の医師は神的存在だとおもいます。全国で卒業生は毎年百人いなかったとおもうので。

下げたい気持ちはよくわかりますが。
いろいろご検索ご苦労さまでした
ご自愛くださいませ^_^

お礼日時:2024/05/07 21:09

> ご回答とリンク先の書いていることはよくわかりません


> 医科開業試験を受けずにという話も??わかりません

https://www.jstage.jst.go.jp/article/mededjapan/ …
医事衛生制度を定めた法令として,医制が1874(明治7)年に公布された.
医制では,医師は医学教育の課程を修めさらに臨床経験を有することが条件とされたが,従来開業の者には実績を考慮して仮免状が与えられ,また試験を受けて開業の免許が与えられることも認められた.
これは医師に西洋近代医学に基づく専門性を求めるとともに,開業による営利追求を認めるという二重の性格をもつものであった.
医制に基づいて 1875(明治8)年から3府において,1876(明治9)年からは各府県において医師開業試験が行われることになった.
試験科目は①物理,②化学,③解剖学,④生理学,⑤病理学,⑥薬剤学,⑦内科学外科学の7科目であった.
医師開業試験は当初地方の実状に合わせて個別に実施されていたが,
1879(明治12)年に内務省から医師試験規則が出されて,試験の水準を確保して全国で統一的な試験が行われるようになった.
医師開業試験を受験するための予備校的な医学校がこの頃急激に増える.
公立の医学校は1880(明治13)年に30校に達しその数を保ち続ける.
私立の医学校は1879(明治12)年で25校になり翌年から急に数を減らす.私立の医学校は私塾的な小規模の学校が多く,医師試験規則に基づく水準の高い試験に対応できなかったのであろう.
1883(明治16)年に医師免許規則と医術開業試験規則が公布され,試験は前期と後期に分けられ,受験するためにはそれぞれ1年半以上の修学履歴が必要となった.
医制の規定に基づいて東京医学校(1877(明治10)年から東京大学医学部)の卒業生は無試験で医師の開業免状を下付されたが,1882(明治15)年の太政官達により一定の条件を具えた医学校の卒業生も無試験で免状を得ることができるようになり,同年の医学校通則によって医学校が甲・乙2種に分けられた.
甲種医学校は修業年限が4年で,東京大学医学部の卒業生3名以上の教師が必要とされたが,卒業生は無試験で免状を与えられることになった.
甲種医学校は1885(明治18)年に21校となった.

1906(明治39)年に医師法が施行され,医師の免許資格を積極的に規定し,医師となるには一定の資格を有し内務大臣の免許を受けることとされた.
その資格としては,
①帝国大学医学科又は官立・公立もしくは文部大臣の指定した私立医学専門学校の卒業者,
②医師試験に合格した者,ただしその受験資格として前記以外の医学専門学校又は外国医学校で 4 年以上の医学課程を修了すること,
③外国の医学校卒業ないし医師免許で一定の要件を備えた者,とされた.

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この当時には、➊文部大臣指定の医学の学校などの卒業者 ❷医師試験(医師開業試験)の合格者 ❸外国で医学校を卒業した者 など、三通りの方法で医師になれたようです。 当時の帝国大学医科大学を卒業していれば、医師試験を受けなくても、医師免許を取得出来たようです。
写真に写っているように、明治43年卒業時の学校の名称は、京都帝国大学医科大学なので、試験を受けることなく、医師になれたと思います。
「1910年頃、京都帝国大学医学部を卒業し」の回答画像9
    • good
    • 0
この回答へのお礼

最後数行しかよまなかったですが、いまも医師の合格率は98%ときいているし、帝国大学の医学部に入っている時点で医師の実力、ポテンシャルはあるので、試験があろうがなかろうがかんけいないです。
そこの議論は全く、意味のないことですね

尋常小学校が当たり前の時代、まだ、東大京大しかない時代に医学部を卒業している、
いまは毎年数万人いるであろう医学部卒業生が当時は100人くらいであり、神様的存在であったのは事実なので、なにをいわれても正直かんけいないですね
質問の趣旨ともまったく関係ない
ほんとうにご苦労さまでした

これをよむほど私は波動が低くないし暇ではない


受けていないことが驚きです
というコメントがほんとうにみっともない

嫉妬する人がいる、こんな長文をなんどもかいてまで、意味のない足の引っ張り、人を下げようとする人がいるということがよくわかりました。 
なんの報酬もないのに、どれほど暇で満たされていないのかうかがわれます
どうぞご自愛ください

お礼日時:2024/05/10 16:23

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A