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サイコロを投げて6が連続して100回出ました。このサイコロは細工がされていますか?
よくある数学の問題なら6が連続して100回出ても不思議ではありません。次に6がでる確率は1/6です。しかし、リアルに投げて本当に6が連続して100回でたとします。次に6が出る確率はほぼ100%だと思います。しかし、数学的に考えると1/6だと思います。

直感と統計に矛盾を感じますがこの違和感はどこから来ていますか?

また、このサイコロに細工がされている確率はどの程度ですか?
また、これが100回ではなく3回だったとして、このサイコロに細工がされている確率はどの程度ですか?

質問者からの補足コメント

  • この質問の主旨は統計学や確率論を利用して、このサイコロが細工をされている可能性がどの程度あるかを割り出して欲しいです。また、もっと言えば、何回同じ数が出れば細工されている可能性が高いと言えるでしょうか?

      補足日時:2024/06/05 21:54
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A 回答 (16件中1~10件)

> このサイコロは細工がされていますか?



というのは数学で完結する話じゃなくて、現実に関する判断の問いです。だから、数学と現実をつなぐ哲学が必要になる。現実を扱うためには条件を徹底的に制御した上で実験してみろ、というのが科学の哲学です。で、ご質問はその実験結果をどう考えるか、という事なんだから、科学哲学の問題です。が、科学では結局、決定的な正解は出ない。せいぜい「蓋然性がとても高い」ぐらいのことしか言えないのが、論理学的な意味での科学の限界です。

●「このサイコロにはどんな仕掛けがしてあるか」を正確に知っているときに、その仕掛けがうまく働く確率を推定するために、実験をやって統計学で処理する。これは、仕掛けの製作者が性能試験をやる、という工学の話です。

●一方、「このサイコロにはどんな仕掛けがしてあるか」について全く情報がないときに、実験だけでその仕掛けを正確に知ることは、原理的に不可能。(これは論理学における古典的な結果です。

●ま、そりゃ仕掛けを正確に見抜くのは不可能だろうが、けれども「結果がどう出るかについてなら、大体の確率ぐらいは分かるだろう。なぜなら、真値にランダムなノイズが加わったものが観測値だから」という世界観に基づいた推定をやるのが、統計学の哲学ですね。この統計学的世界観に則って、その仕掛けは(未知だけれども)『ごく単純な仕掛け』であって、

  A:「このサイコロは何回投げても変化(だんだん1の目が出やすくなってくる、とか)がなく、環境の影響(6の目に大金を掛けた奴がいると1の目が出る)もない。毎回の試行は独立で記憶がない。(「6の目100連続が完了から次は5の目を100連続」のようなことをやるには記憶が必要。)そういう性質を持っている」

という前提Aを仮定すると、統計学の練習問題になる。しかしこの前提Aを持ち込む理由は、単に統計学の話を続けるのに都合が良いからというだけ(言い換えれば、統計学の練習問題を成立させることだけを目的として立てた仮定)であって、現実に成り立ってること(哲学)ではない。

●どの目も予測不可能なランダムなカンジで均等に出るには違いないんけれども、実は次に出る目が1通りに決まっている。(だから、仕掛けを知っていれば、次に出る目が確実に分かる。「ランダム」なんてことは何一つない。)そういうシステムがごく単純な仕掛けで作れる(し、天然にもあちこちに存在している)ことが知られるようになったのは数十年前のことで、「決定論的カオス」という名前が付いている。というわけで、統計学的世界観はすでに死んでいる。

●もちろん「決定論的カオス」以外にも、いろんな仕掛けが考えられる。例えば「n回目に出る目は、円周率の6進数展開の小数点以下n桁目の数字で決まる」というんでも、十分に「予測不可能なランダムなカンジで均等に出る」。「そんな計算が小さなサイコロにできるわけがない」という常識的判断が、超小型の計算機やアクチュエータが出来たために通用しなくなったのも、数十年前ぐらいですね。

…という哲学的背景は理解しておかなくちゃいけません。
 とりわけ、詐欺やトリックの場合にはこの前提Aが成立するとは限らない。だから、決断に際して前提Aの吟味をすっ飛ばして計算結果だけを使う人は、良いカモです。つまり、計算するのはご自由だが、その計算結果を現実の決断に用いるべきかどうかは別の話。

 ま、統計の話を続けるために前提Aを仮定してみる。
 頻度主義統計学では、仮説検定ということをやって何らか決断をするんですが、そこで扱う帰無仮説が「6の目が出る確率は1/6」に限ったことはない、という点は(初学者を含め)忘れがちなポイントです。また、「この決断を誤ったら、現実にどんなひどい事になるか(重大性)」に応じて危険率(有意水準)というものを決める。これは重大性を(例えば金銭で)評価して決定する。決断のためには、その評価を「主観」で片付けるわけにはいかない。(決断に責任を負う気がない連中は、「慣習的に5%」とかイーカゲンなことを言う。)つまり、現実の重大性の評価をキチンとしないと計算が進まないのが、仮説検定の弱点です。
 一方、(頻度主義とは犬猿の仲である)ベイズ統計学では、検定(決断)はせず、「上記の前提Aが成り立っていて、100回の試行をやって全て6の目が出た。さて、101回めに出るのが6の目である事に幾ら掛けますか?」という決断を求められた時に必要な計算をやっとく、というだけに止める。現実における重大性の評価は後でやればよろしい、という風に切り分けているんです。
 このように整理すれば、どっちも似たようなもんです。


 ともあれ、統計学ではどうやるか。
P(n|θ) を「『このサイコロ6の目が出る確率』の値がθであるとき、n回の試行でどれも6の目が出るということが起こる確率」を表す。もちろん、
  P(n|θ) = θⁿ
です。
 また、0から1の実数から0から1の実数への関数P(θ)で「サイコロを振った結果を知らない時点において、『このサイコロ6の目が出る確率』の値がθである気がする程度」を表す。ただし
  ∫P(θ) dθ = 1(∫dθは0~1の定積分)
であるものとする。
 そして、「n回サイコロを振ったらどれも6だったという結果を見た上で、『このサイコロ6の目が出る確率』の値がθである気がする程度」をP(θ|n)と表す。すると前提と「ベイズの定理」によって
  P(θ|n) = P(n|θ)P(θ) / ∫P(n|θ)dθ (∫dθは0〜1の定積分)
  = θⁿ P(θ)/ ∫θⁿdθ
  = (n+1)θⁿ P(θ)
というわけで、P(θ|n) はP(θ)に依存する。しかしながら、0〜1のどのθについてもP(θ)>0 (すなわち、どのθも「絶対アリエナイ」ということはない)のであれば、n→∞としたときにP(θ)の影響は消えてしまう。なので、「無情報なら、P(θ)は定数にしとく」ということが慣習的に行われている。この慣習に従うなら
  P(θ|n) = (n+1)θⁿ
であり、θ=1の場合、
  P(1|n) = (n+1)
だが、θ<1では
  P(θ|n) ≒ 0
となるから、つまりθ≒1以外の値は「(ほぼ)ありえない」という事になる。θ≒1がどのぐらいの近似なのかを見るために、例えば
  ∫P(t|n) dt = 1/2 (∫dt は 0〜θの定積分)
となるθを計算すると
  θ¹⁰¹ = 1/2
だから
  θ ≒ 0.9931
となる。つまり、「気がする程度が半々以上」という範囲は1≧θ≧0.9931 である。同様に
  ∫P(t|n) dt = 1% (∫dt は 0~θの定積分)
となるθを計算すると
  θ¹⁰¹ = 0.01
だから
  θ≒ 0.9554
なので、「気がする程度が99%以上」という範囲は1≧θ≧0.9554 である。最悪0.9554だと思う事にすれば、「99.5%ぐらいの確率で6が出るだろう」という気がする。だが、この「気がする」の計算自体が外れている確率が1%はあるんでした。


 ま、いろいろ数値を計算するまでは数学の範疇だけれども、これらの数値からどう決断するか、というところは数学や確率とは関係ありません。数値を見るにあたって、そもそも(すでに死んでいる)世界観に基づく前提Aが仮定されているし、「無情報なら、P(θ)は定数にしとく」という根拠のないこともやっている、ということを思い出す必要がある。その上、「この決断を誤ったら、現実にどんなひどい事になるか(重大性)」の評価が決定的に重要である。
 これは統計学に含まれる(数学と現実をつなぐ)哲学の問題で、抽象化(現実の決断に関わるいろんな状況・条件を無視)して正解を出せるような話じゃないのは明らかでしょう。で、ご質問にはその状況・条件が書いてないから、答も出ない、というわけです。
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https://bellcurve.jp/statistics/course/9490.html
のZの式に代入して計算してみましょう。
X=100, n=100, p=1/6です。
1.96よりはるかに大きな値になるので、「このサイコロで6が出る確率は1/6」という仮説は棄却されます。

逆にZ=1.96の時のXを計算すると、約43.9になるので、100回中44回以上同じ数字が出れば、このサイコロは1/6の確率で同じ数字が出ないと言えます。

二項分布からZ分布への近似での検定です。
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どの検定方法を使うべきか、有意水準はどの値にすべきか


は、どこまで行っても主観的判断であって、
確率を数学で計算したからといっても
結局気持ちで判定してることには変わりはないんだよね。
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No.12です。



yhr2様と、敬称を付けたつもりがありませんでした。失礼しました。
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yhr2



3回で有意水準を越えるというのは、サンプリング数が少なすぎると思います。このときの誤差はトンデモない幅になります。

また、100回も観測すれば、観測中に3回連続なんて普通に発生すると思います。これをもって有意と判定するのは如何かと思います。これはご質問者様もNo.2様へのお礼に書いてみえます。

このような背景から、ご質問者様は100回連続という数字を設定されたと思うのですが、この弊害として、ネイマンピアソン流の検定は、標本数が大きくなると有意になりやすい性質があることが問題です。

よって、私は「ベイジアン検定」で細工してあるかを見極めるという方法を提案しています。

ただ、yhr2様のご意見も参考になりましたので、私の考えを訂正し、母比率の検定はやめます。

正常だと確信できるサイコロと細工が疑われるサイコロを用意し、「同一の環境で、同じ振り手によって」100回観測して(系統誤差を局所管理して)、「2つの観測比率の差のベイジアン検定」を行うことを提案します。

連続である必要はなく、6の目が100回中何回以上出たら細工してあることを疑うという設定でやりたいと思います。

これは、標本の大きさを変えると信頼度が変わるので比較にならないからです。
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No.9 です。

kamiyasiro さんには怒られそうですが、乱暴な議論をすれば

1回目に6の目が出る確率 1/6

1回目が6の目で、2回目も6が出る確率
 (1/6) × (1/6) = 1/36 ≒ 0.028 = 2.8%

1回目が6の目で、2回目も6で、3回目も6が出る確率
 (1/6) × (1/6) × (1/6) = 1/216 ≒ 0.0046 = 0.46%

ということで、「有意水準:1%」とすれば、3回続けて「6の目」が出た時点で、「このサイコロは、6の目の出る確率は 1/6 とはいえないのではないか」と判断できます。
「3回も続けて『6の目』が出るのは、確率 1/6 の事象の『統計的バラツキ』の範囲ではない。そんなに確率の低い事象(有意水準 1% よりも小さい確率)が起こるのには、統計的なバラツキ以外の理由・意味がある(有意である)」と判定します。
「有意水準」を 0.1% にすれば、もう1回試行してみないと判定できないでしょう。

ただし、得られる結論は、あくまで「6の目の出る確率は 1/6 とはいえない」ということであって、その理由が「サイコロの細工」なのか、「サイコロの投げ方」なのか、「重力」や「空気の抵抗、風」の影響なのか、はたまたその複合要因か、などについては何も言えません。
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これがサイコロではなく、6種類の絵柄をランダムに印字するスタンパーだとすると(つまり工場の実務では)、100回も連続すれば、誰もが故障だと言います。



逆に、ある絵柄だけが出ないというケースもあります。6種のガチャの1アイテムが100個購入しても出なければ、数学的理性のある方でも最初から入っていないのだろうと文句を言うと思います。

直感の違和感の原因は、数学的な場面設定にあると思います。上記のような現実的な場面設定であれば直感の方が正しいと感じるでしょう。

さて、細工されているサイコロか、正常な設備か、フェアなガチャか、これを帰無仮説とします。

検定は、母比率のベイジアン検定になると思います。母比率=1/6 とします。

判定は、「Jeffreysのベイズファクター」を使います。観測事実は帰無仮説を否定する強い証拠足りうるかを、事前オッズと事後オッズの比で判定する指標です。

このとき、観測0ではマズイので、次の1回で観測が起きたとして、計算します。

計算は、フリーソフトのJASPを使えば良いと思います。
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No.7 です。

「補足」「お礼」に書かれたことについて。

>この質問の主旨は算数ではなく、統計学や確率論からこのサイコロが細工をされている可能性がどの程度あるかを割り出してほしいという感じです。

あなたは「統計学」を全くご存じないようですね。
「統計学」の最も威力を発揮する分野が「推測統計」ですが、それは「決定論」「因果関係に基づく論理学」ではなく、あくまで「推測、推定」です。統計的な「確率分布」(正規分布など)に基づいて、「信頼度99%で○○といえる」とか「有意水準95%で同じ母集団に属するとはいえない」といった推定や検定を行うものです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%A8%E8%A8%88 …

あくまで「信頼度99%で」とか「有意水準95%で」という判定条件付きです。
そういう条件のもとに、1000~2000人程度のアンケート調査で、有権者全体の「内閣支持率」を推測したり、一部のサンプル調査で全体の不良率を推定するのです。「信頼度99%で」ということは「1%の確率で誤ることがあり得る」ということです。

その条件を何も議論せずに「○○といえるか」などと論じても、全く論理的ではないのです。
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この回答へのお礼

例えば信頼度99%だとすればそのサイコロは何度の連続が許される感じでしょうか?

お礼日時:2024/06/06 01:21

> 何回同じ数が出れば細工されている可能性が高いと言えるでしょうか?



だから、それは主観評価だっていってるでしょ。
統計の人は、有意水準とか勝手に設定しちゃうけどさ。
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この回答へのお礼

主観や勝手に設定も異なるかと。物理学を見ているとどこまでいっても答えは出ないことになります。しかし、現実をみると私達は物質として成立し、実際にお互い存在しています。

お礼日時:2024/06/06 01:18

No.5 です。



1回目に「6」の出る確率はおおよそ 1/6。
1回目に何が出ようが、2回目に「6」の出る確率はおおよそ 1/6。
1回目、2回目に何が出ようが、3回目に「6」の出る確率はおおよそ 1/6。

こうやって考えていけば、それまでの目の出方の関係なく、毎回「6」の出る確率がおおよそ 1/6 であることが納得できますよね。

それまでが「すべて6の目」であっても、「6が〇回、その他が〇回」であっても、次に「6」の出る確率はおおよそ 1/6。
それの繰り返しです。
「100回連続」は、単にその「結果」に過ぎません。

ついでに

>また、これが100回ではなく3回だったとして、このサイコロに細工がされている確率はどの程度ですか?

細工するのは人間であり、「したか、しないか」は「確率」とは言いません。
逆にいって、どんなサイコロであっても、「すべての目がきっかり 1/6 ずつ出る」などというサイコロは作れないと思いますよ。
それを検証することも無理でしょう。
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この回答へのお礼

この質問の主旨は算数ではなく、統計学や確率論からこのサイコロが細工をされている可能性がどの程度あるかを割り出してほしいという感じです。もっと言えば、何回同じ数が出れば細工されている可能性が高いと言えるかを考えてほしいのです。

お礼日時:2024/06/05 21:53

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