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哲学すると思索に耽るの違い

A 回答 (4件)

何かを考えることは同じですが、前者は考える中身を限定し、後者はその態度を表現したものです。

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思索てのは


秩序立てて考えを進めること。
物の道理をたどって考えていくこと。

哲学するてのは
真理を探究する知的営み」のこと。
世界の根源や本質を見極めるための
知的探究的な取組み。

ウンコが漏れそうになって
どこでするかと思索するのは
哲学するとは言わないでしょう。


つまり、思索という大きな円の中に
哲学する、という小さな円がある。

こういう違いだと思います。
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「哲学」は、論理立てて考えられた、考えることと解釈します。



「思索に耽る」は、論理的と言うより、思うことを自由に考える。
そこには、理論などはあまり関係無いと思います。
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哲学とは、歴史です。


人類の文明の歴史です。
そのその時代で考えられた、社会から導き出された考え方で、その時代の世界を説明することです。
時代と共に、人の考え方は進化して、色々な学問に分かれました。

思索に耽るのは、個人の知識と経験から導き出された考え方です。
現代の最先端のレベルではないかもしれません。
ソクラテスの時代に留まっている可能性もあります。

哲学の本を読んで理解するには、時代背景やその時代の考え方も必要になります。
全てを読むのは不可能ですから、哲学史をざっと読んで、自分が興味のある本から読めば、いいと思います。
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