「これはヤバかったな」という遅刻エピソード

時代劇で意外なことをご存知であればよろしくお願いします。なんでも構いません。

例えば、「暴れん坊将軍」では松平健扮する貧乏旗本の三男坊・徳田新之助が盗賊から斬られたことがあります。

A 回答 (13件中1~10件)

時代劇はかならずしも時代考証がきちんとされているわけではありません。

そもそも時代考証を完全にきちんとすれば現代人には面白くないでしょう。

・当時の既婚の女性は眉毛をそってお歯黒をしていた。
・大名屋敷には「○○藩江戸屋敷」などという看板などかかっていなかった。
・よくいわれる「藩」という用語は幕末のときに使われただけ。
・江戸時代はレンタル業者が多く、ふんどしまでレンタルをしていた。
等々でしょうか。
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実際の水戸光圀はほとんど領地から出たことがなかった。


諸国漫遊なんてとてもとても…
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ついでに、水戸黄門が行く先々の城主や奉行、代官が
ことごとく悪者であるわけがない。
あれじゃ江戸幕府の管理体制が疑われて将軍の責任問題になる。
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平穏かどうかは別として
江戸時代が260年続いたことを殊更に言うけど、
室町時代も230年続いた。
平安時代に至っては400年も続いた。
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もひとつついでに、
日本が巨大な城郭や寺院を作っていた時代に
インカ帝国はまだせっせと石を積んで住居を作っていた。
物事を記録する文字もなかった。
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暴れん坊将軍が峰打ちオンリーなのは、将軍がその手を血で染めるのは駄目という理由で、「成敗」の合図と共に隠密が。



ちなみに、ドラマでは吉宗の嫁取りの話があるみたいだけど、吉宗が紀州にいた時点で、子供まであり。
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水戸黄門の由美かおるが履いているのはビニール製のタイツです

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時代劇ではほぼ扱われない鉄漿(お歯黒)



既婚女性や公家は鉄漿をしていた。武士の鉄漿は江戸時代以前に廃れたが、戦国時代は上級武士はしていた、今川義元がしていたのは有名だが、小田原北条氏をはじめ行う者が多かったし、とった首の歯を黒くすることも行われており、位階を上げる死に化粧の一種でもあった。
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日本刀で何十人も続けて斬るのは刃こぼれするので実際は無理とは聞いたことあります。


なので、暴れん坊将軍は殆ど刀背打ち
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遠山の金さんは、北町奉行だけでなく、南町奉行もしてた。


北町奉行の任期中、彫り物禁止令が出てて、人前で彫り物を見せたら、それだけで捕まる。

大岡越前もですが、町奉行の業務は、朝、江戸城に出仕し昼の弁当を食べてから帰る。それからが奉行所のお仕事。残業ありのブラック職場ですね。
とてもじゃないけど、お忍びで町をぶらついてる時間的余裕はなし。
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明治より前の日本馬は今のポニーほどの大きさ。


 一ノ谷、ひよどり越えの逆落としの義経も武田騎馬隊の信玄も水際を駆け抜ける吉宗(ま、これは創作ですが)もみんなボニーサイズの馬にちょこんと乗っていたはずです。
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本当は 右手右足を同時に出して歩く 


なんば歩きをしていた
普通お店の娘さんが神社などに参拝に行くときは
へこき婆という人が一緒に歩いていて おならが出たら そのおばあさんが私がしましたと謝りました。
馬は北海道の道産子のような馬で
テレビに出ているサラブレッドはいなかった
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娘が悪漢に当身を食らい気絶してしまうのです。


気が付いて救出されるまでの間、どうなっていたのかとても不思議です。
悪者が若い娘に何もしないなんて考えられませんよね。
それにしてもみぞおちに一発叩き込むとウッと言って気絶するんだから
強烈なパンチなんだろうね。
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