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仏教「正法に帰依しないと阿鼻地獄に落ちて永遠に拷問。異教と掛け持ちは許されない」

キリスト教「イエスに帰依しないとゲヘナに落ちて永遠に拷問。異教と掛け持ちは許されない」

どこにも逃げ場が無くて怖いんですがどうしたらよいでしょうか?
(50%ジョークだが、割と50%くらいは怯えているかもしれない)

A 回答 (5件)

もう一つくっだらない話をしてもいいですか?



ここ数年、「小説家になろう」等発の異世界転生モノが流行ってますよね。
天国や地獄も一種の異世界転生(今と違う世界に転生する、という意味でまさしくそう)なわけですが、例えば現代の文明が滅んで、また新しい文明が勃興して、その新しい人類たちが古代文明の研究をするんです。

すると、2010年代から2020年代のものと推定される複数の文書に、「死んだら文明の未発達な世界に生まれ変わり、男性は美少女に囲まれ、女性は一見冷徹だが実は情の深い、社会的地位の高い美男子に溺愛されて幸せに過ごす」という内容が書かれている。

これは宗教観がいまいち判然としないこの時代の古代日本文明の死生観を解く重要な鍵なのではないか……

この推論を、現代(古代)日本人当人である我々は笑ってしまいますが、歴史的に見て本当に笑っていいのかはよく分かりません。

逆に、「信心深い男性が死ぬと天国に行き、永遠の処女を侍らせて美味なる果実の実る楽園で過ごす」というのが実際教典にありますが、これが実は個人の願望から出た創作でない、という保証はどこにもありません。

仮にあの世があって死者は現世を観察できるとして、著者が「いや待って俺が願望全開で書いた妄想小説、教典扱いされとるん?なにこの公開処刑」と頭を抱えてジタバタ悶えているかも知れません。

これもたぶん、ちょうどゴールドサンシャインさんの恐怖と同じくらい。50%はジョークですが、50%は本気で思っています。
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あ、因みに「人をたくさん殺した方が天国に行く」という妄想、現代思想に照らすと奇を衒ったと一蹴されそうですが、


北欧神話では勇敢に戦って死んだ戦士は戦乙女に迎えられ、ビフロスト(虹の橋)を渡ってグラズヘイムのヴァルハラ(天国にある主神の宮殿)に招かれますから、実際近い感覚の信仰があった妄想ではあります。もちろん、殺した人の数が大事なわけではありませんけどね。

当時のヴァイキングたちは割と真面目にこれを信じていたでしょうし、その信仰の真面目さがキリスト教徒や仏教徒に劣るとは思わないので、「勇敢に戦って死ぬと天国」も本来、蓋然性だけなら同程度に信じていいと思います。「信じちゃダメ」な理由は、単に現代日本の倫理観にそぐわないので信じても役に立たない、むしろ害が大きい、という実用性の面だけです。
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その2つが相反してどちらが正しいか分からず逃げ場がない、というならば、解釈を好きなだけ増やせばいいと思います。



その手の「こう生きると死後どうなるか」という話、「生きている人は誰も死んだことがない」「臨死体験をしたところでそれが妄想でないという証明はできない」「死後どうなるか知っていると宣う人の真贋を見極める方法はない」といったことを前提にすると、同程度に確からしい可能性はいくらでもでっち上げられます。

何かを信じるとか、いいことをするとか悪いことをするとか、そういう価値基準って全部人間のものであって、仮に神様が実在したとしてそれに準じた判断をするという根拠は全然ないですよね。

例えば天国や地獄があるとして、

・ どちらに行くかは完全にランダムで決まるのかも知れない。

・ 歩数や心臓の脈動数、死んだときにいた場所など、全く善悪と関係ない要素で決まるのかも知れない。

あるいは、中途半端に倫理観を持ち込むなら、

・ たくさん人を殺したほうが天国に行くのかも知れない(人間こそが悪だ、という中二病理論を敢えて正しいとするならば)。

・ 子供をつくった数で決まるのかも知れない(生命が生まれることは無条件に素晴らしい、とするならば)。

それだと、生涯童貞を貫く聖職者は地獄行きで、無責任に口説いて抱いて婚外子があちこちにいるチャラ男は天国行きですね。


「くっだらねぇ」と思われるかも知れませんが、「死後のことも神様のことも、人間にはわからない」ということを前提とすると、巷に信じられている「天国や地獄」と、確からしさは本当に全く同程度です。「こうだ」というより、「どうせ当たる訳がない」という意味でですね。

こういう、適当な解釈や妄想がいくらでもできる中、

・ ある宗教を信じていれば天国に行けるし、信じないと地獄に落ちる
・ その社会の倫理に照らして良いことをすれば天国に行き、悪いことをすれば地獄に落ちる

って、もの凄く都合がいいというか、恣意的な解釈だという気がしませんか?

個人的な願望としては、もし神様が(概念やシステムではなく実在として)存在して、それが絶対的な存在なのであれば、もっと人から見て不可知というか、「うんうんそうだよね、いい奴は死後いい目に遭って欲しいし、悪い奴は酷い目に遭って欲しいよね。わかるよ」と人間が理解できるような価値観じゃなく、もうちょっと人間ごときの感性で理解できない判断を下す存在であって欲しい気はします。
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現代語訳でもいいので法華経を読んで、


どのくらい危ないかを実感してください。
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この回答へのお礼

「法華経に帰依しないと死後の行き先が危ない」のか、「法華経信者の思想が危ない」のか、気になりますね
(どちらの意見も言う人たちが居て、いつも対立して争っている)

お礼日時:2024/07/10 05:22

仏教もキリスト教も、日本の歴史に照らしたら、ごく最近


日本に入って来たものだ。

それ以前の、日本人は、皆、地獄に落ちて、永遠の
苦悶の中に、居るのか?

そんなわけないだろう?

宗教なんて、死ぬのが怖い、連中が、へらへら笑って、
「天国へ行けるんだ~」と、死ねるように生まれたものだ。

「大丈夫、死ねば、向こうに、天国が待ってる。」なんてね。

そのうち、これは金になる、と悪徳宗教の連中が、
自分の言う事を信じないと、「地獄に落ちる」と
やり出した。

現在のあらゆる宗教では、「神」が必要だ。
詰まり、「天国と地獄を選択できるもの」が必要に
なったから、「神を生み出した」。

宗教とは、結局、悪徳宗教家が生み出した「詐欺」に
過ぎない。

宗教誕生以来、「地獄の存在」、「天国の存在」を
合理的、客観的に「証明」した奴なんか、居ない。
無いものは、有るとは証明できない。

真理は、「生き物は、生まれて、死ぬ。」、という
事だけだ。
ダンゴムシも像も人間も、犬っころも、皆、
その法則に従っている。

宗教かぶれの、厭らしさよ、と思う、今日この頃。
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この回答へのお礼

智慧を感じさせる回答ありがとうございます! ザビエルが「イエスが誕生する前に死んでしまったあなたたちの子孫は地獄に居ます」って答えたことが戦犯ってよく言われますよね

死んだ先に何が待っているか? 「永遠の無」は怖いですが、その時点ではすでに「恐怖」なんていうものを感じ取ることもなくなっているので、「永遠の拷問」よりもずっと救いだと思いますね

お礼日時:2024/07/10 05:18

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