誕生日にもらった意外なもの

些細な思い出でも構いませんので教えてください。

A 回答 (5件)

自慢ではありませんが、間もなく死のうとしている人生の中で、女にもてた事はただの一度もありません


口説いたり騙したりしたことは星の数の3倍ほど
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愛人が7人出来て1週間で回せなくなった時w

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50歳くらいまでは5年毎くらいにありましたね。


進学とか就職とか転職とか異動とかで環境が変わる度にモテ期が来る感じでした。
ただ、その都度すぐに化けの皮が剥がれてモテは消えましたけど。
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モテキみたいな経験は私にもありますよ。

異性との関係だけではなく、友人関係、仕事上の関係、その他「他の人に支持される(共感される)」時期と言うのはあります。そういう時期にたまたま「異性(または同性)の好感度が上がっている」と捉えるべきです。

以下は長いので興味があればお読みください。

●モテキを運気と言い換えて考える

運気と言われる物があります。しかし「運気」と言うのは自分では分からないものです。何となくトラブルが減り、望んだとおりに物事が進み、いつもと違うと感じて不思議に思う。そういう場合は運気が上昇していると捉えるのでしょう。

またその逆もありますね。「どうして自分だけがこんな酷い目に合うの?」こういう風に感じてしまう。例えば色んな人にゾンザイに扱われていると感じている時は「運気が下降気味」となります。誰も自分に一目置かない。それどころか対等に接してくれないと感じるでしょう。

●「自分はいつも通り」と思う錯覚

運気と言うのは「主観での見え方」だと思います。簡単に言えば「自分にとって都合が良い方向に周囲が動いている、または悪い方向に周囲が動いている」と感じる気持ちなのです。もしも自分自身が「いつも通り何も変わっていない」のであれば「周囲が勝手に対応を変えている」と思うはずです。しかし「自分自身に変化があるのに気がついていない」のであれば「自分にあわせて周囲が対応を変えている」事になります。

つまり他の人には、

「あの人最近変わったね(良い風に、または悪い風に)」

見えているという事です。そうであるのに「自分は昔からこのままだ」と思う錯覚が人間にはあるのでしょう。この錯覚によって運気があるように見えてしまうのです。

●周囲の人はどうして対応を変えるのか?

「モテキ」または「運気の上昇」と言うのは「周囲の対応がいつもより良くなった」と感じられることです。しかし「どうしてそうなるのか?」分かっていませんと「モテキ」と「運気」の制御ができません。ただ偶然を待ち望む事になります。もしも視点を変えて「周囲の人の都合」まで考えた場合、実はそれほど難しい話ではないのかもしれません。

例えば(仕事上の)ある職場での話。

「あの人(これまでエースだった社員)が居なくなって
 不味い事になった。今はこの人(例えば自分)を頼り
 にしないといけないだろう」

こんな事を周囲の人が何となく思ったとします。職場の人が一斉に「そう思う」わけですから「モテキ」が来てしまいますよね。しかし「別のエースが見つかった」瞬間に扱いは元に戻るんです。漫然と日常を過ごしている人は「運が良くなった」「運が悪くなった」と感じてしまうでしょう。

●相対評価による暫定一位が答え

「モテキ」や「運気の上昇」は「暫定一位」に対して起きる「無責任な期待」なのだと思います。職場の恋愛対象が少ない中でも「今現在、選ぶとしたらこの人」的な男性または女性が存在しているのです。「無理に選ぶとしたら?」誰もが「この人じゃないか?」と思う人は必ず一人いるはずです。

「絶対的な評価では不満があっても相対的に一位であると
 いう人は扱いが良くなる」

大概の人は「絶対的な力」を欲してしまい「どうせ無理」と諦めます。現実は「ご近所で相対的に一位であれば良い」のであり「自分の周囲のランキング」を無視してはいけないのです。

●モテキや運気のカギとなる相対評価って何の評価?

「自分の周囲のランキング」に気を配るとして「いったい何を競い合っているのか?」分かりませんと「ランキング上昇」を目指せませんよね。この時は「容姿」や「特技」等の「絶対的な能力」はカギとなりません。つまり必要ないという事です。何故かと言うと「容姿」や「能力」と言うのは足切りに使われる場合が多く「最初から仲間に入れない」という対応をされているからです。逆に言えば自分に接している人は「そこを問題にしていない」人達ばかりなのです。

では多くの人が相対的な評価に用いている物は何か?

「他者に対する態度です」

態度が良いか否かしか見ていないというのが鍵なのです。

●態度と言われる物の正体

これも暗黙知(言葉にされていない部分)があります。態度の良しあしと言うのは「道徳的であるか否か」でしかありません。道徳も五常と呼ばれる5つの要素で分解することが出来ます。

・仁(思いやり)
・義(社会秩序を重んじる)
・礼(他者や事物に感謝を忘れない)
・智(知識が豊富。問題解決のアイデアを出せる)
・信(寄り添う。付き合う。一緒にやる気持ち)

これらに関して反する発言や行動をしないことです。肯定する、推奨するような模範的なムーブを観察されているという分けです。

●このサイトでも実際に起きている

良くある質問で「このサイトの人たちは可笑しい。質問と関係のない回答ばかりする」と言うのがあります。他のサイトから来た人から良く出ます。逆に「何を質問しても皆が応援してくれる」と感じている(だろう)質問者もいます。実は私もその人のファンです(回答しませんけど。固定ファンの人が応援しているので。自分としては和むために質問を読んでいます)。

この様な違いが出るのは「モテキ」「運気」から生じていると思います。つまり「相対的暫定一位」の話です。相対的な評価は「態度」によって決められます。そして相対であるため「元のサイトでは上位」だった人も「このサイトの質問者のモラル」と照らして「相対順位が下がる」可能性は大いにあるのです。つまり自分はいつも通りなのに「モテたり」「煙たがられたり」する現象が起きてしまうのです。

●人生の運気について大別する

自分や他の人の浮き沈みを見ていて感じる事があります。大別して3つの状態にあると思えます。「こんなの酷い」と全ての人や社会から虐められていると感じる状態(運気下降・ジリ貧状態)。今の自分の位置づけはともかく「どんどん良くなっている」と手ごたえを感じる状態(運気上昇状態)。そして「まさかの転落。ワンミスですべてを失った」という「想像もしていなかった悲劇」に陥る状態(転落状態)です。

これらをモードとして仮に定義します。

モードA:全てから疎外されていると感じる「運気下降・ジリ貧状態」
モードB:少しづつ良くなっていると手ごたえを感じる「運気上昇状態」
モードC:高みからいきなりどん底に落ちる「転落状態」

今現在全ての人はこの3つのモードのいずれかにいると考えます。人生はこの3つのモード変化で描かれているのです。不適切な発言で全ての栄光(や仕事)を失う人はモードCに滞在していた言う事です。

●3つのモードと運気の話を連携させて考える

運気と言うのは「相対的な暫定順位」から生じると述べました。そしてその順位評価は(モラルに沿った)態度によって決められます。「何となく皆がそう思っている」という状況が作り出します。だとしたらモード変化のカギとなる要素がモラル(道徳の五常)の中にあるはずです。

ここで各モードに滞在する人の特徴を考えてみます。

モードA:無関係な人に八つ当たりをし社会秩序を乱す嗜好がある
モードB:些細なことにも感謝の心を述べる傾向がある
モードC:自分にとって当たり前になったことに感謝しない傾向がある

これらから五常の「義(秩序を重んじる)」と「礼(他者や全ての事物に感謝する」が影響していると思われます。つまり、この二つの要素が人生を左右しているという事です。モードAは義に欠けますよね。モードBは礼において優れています。モードCは礼に欠けます。

●もう一度、サイトの中の質問を見渡してみる

質問の内容が社会秩序を乱したいという欲求を持っていたり、何かに八つ当たりをしたいという意思から生まれた物であれば、その人はモードAに滞在しており、徐々に運気が下降し「今よりの酷い状態」になるジリ貧が確定しています。このサイトで固定がファンがつくような「礼をの心を維持している」人は、いずれ「皆が羨む高み」に昇り詰めるでしょう。しかし「慢心し感謝の心を忘れた」時はモードCへ滞在することになり「突然転落する」わけです。

●では「義」と「礼」で一生上昇することのか?

ここも注意が必要です。自分的には変わっていないと思えるのに「所属する場所を変えた」だけで扱いが変わるという事があります。相対評価であるという事を忘れてはいけません。周囲の人の態度が道徳的でない時「暫定上位」として人気が出るかもしれません。しかし、それは相対的なものでしかなく「自分の真の実力値」がもたらしたものではないという事です。常に「周囲のモラル度合(特に義と礼)」で自分のランキングを予想する習慣が必要となります。

「自分は何かに開眼したのだ」

と言う勘違いはモードCに滞在している証拠です。自分よりもモラルの高い人を視野に入れて競争する構えが必要であるという事です。モラルにおいて優れた集団に混ざれば自分は凡人になるという事です。ここで上昇が止まります。

●総括

モテキを運気の側面から解説しました。冒頭で自分からの見え方と他者の思惑の違いについて述べました。そこで起きる相対順位は態度で評価されているという話をしました。これらは態度とは道徳に沿った言動のことです。次に人生のモードを3つに大別しました。これらは「義」と「礼」によって自分で制御可能であると述べました。

運の良しあしを感じてしまうのは「制御できていなかった危険な状態」でしかなく「他の人はメカニズムを良く知っていて制御していた」のかもしれませんね。

以上、ご参考になれば。
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男性の多くが30歳前後でやたらモテたと言います。


それまで一回も告られたことなさそうな男性まで、会社でたくさんの女性からアプローチがあったと自慢していました。
そこそこいい会社行ってる30歳前後の男性は結婚したい女性のターゲットになるみたいです。
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