「平成」を感じるもの

タイトルの通りです。
東北道が、たしか埼玉岩槻(勘違いかも知れない埼玉川口)から、青森碇ヶ関までしか繋がってなかったのはいつまででしたか。青森市まで延伸したのは?

質問者からの補足コメント

  • Wikiなどで調べたがよく分からなかった。

      補足日時:2024/10/06 15:35
  • 青森~大鰐弘前は79年、大鰐弘前~碇ヶ関は80年、碇ヶ関~十和田は86年、
    だとすれば何で碇ヶ関で降りて、一般道に?
    よく覚えてなくて勘違いしてるのかも?

      補足日時:2024/10/07 22:09

A 回答 (2件)

この質問をみて気になったので自分もWikiで確認したけど分かりにくいですね。


十和田IC~碇ヶ関IC間が繋がったのが昭和61年(1986年)7月30日なので、時代背景を考えると十和田で降りて(終点)一般道でそのまま青森じゃないですかね?
ただ、その前年・前々年くらいから安代周辺で開通しているので質問者さんが通った年によってどこで降りてそのまま一般道で山越えしたかが変わると思います。

※昭和44年生まれの自分は小学生の時、自営業の父親の仕事で静岡県から福島の工場に行く時のトラックに夏休み等で同乗させてもらいました。
運送会社ではなく自営業仲間の依頼で自家用トラックで行くいわゆる白トラックです。
当時、首都高を上野くらいで降りて下道で浦和か岩槻から東北道に乗ったのを覚えていますが、浦和~岩槻開通が昭和55年(1980年)なのでどっちから乗ったのか今となっては曖昧です。
その後、免許を取って遠出をするようになったら首都高と東北道が繋がっていてビックリしました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

当時、東北道は岩槻から、終点は碇ヶ関までしか無いよって、仕方なく青森までは山の中を抜け一般道(弘前は通らない)に出た記憶しかないんですよね。
十和田IC~碇ヶ関IC開通も無かったし、大鰐弘前IC - 青森ICも無かった。

お礼日時:2024/10/07 15:17

「青森碇ヶ関までしか繋がってなかった」


碇ヶ関ICが開通区間になる1980年の前年1979年に 大鰐弘前IC - 青森IC間が開通しています

南から順番ではありますが
工事の進捗度合いや現地の利便性などによって開通時期が前後しますので
青森市内の方が先になったんでしょうね

なので青森まで全通という意味では1980年でしょうし
青森ICが使えるようになったのは?という意味なら1979年でしょう
    • good
    • 1
この回答へのお礼

早々とありがとうございます。
記憶では碇ヶ関から山を抜けて
青森まで行ったような気がして、
既に大鰐弘前IC - 青森IC間が
開通してたとは知りませんでした。

お礼日時:2024/10/06 16:03

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


おすすめ情報

このQ&Aを見た人がよく見るQ&A