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この世界の情報については、すべて物理的な対象についての物理的情報だけであって、それ以外の情報はないと言えるでしょうか?教えてください。

A 回答 (10件)

その回答は現代技術が進歩すればするほど解決しそうですね。

現在ではそれはないとは絶対に言い切れません。未来においては言い切れる時代がきてもおかしくはないと思います。(その時まで生きていれば)
今でも生物の本能、人の意思なども神経伝達物質がどうの筋肉を動かす電流がどうのと言われている位ですから。
ただ今は物理的や科学的なもので全て解明されていないので物理的情報だけではないと言わざるを得ないようです。
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はじめましてMKと申します。


物理的な対象がどこまでを指すかによっても、考え方は変ってきます。
実際には空気中ですら原子と分子で満たされているので、この世に存在する情報の全ては物理的対象があるというのも間違いではないと思います。
しかしながら、人間の思考というのは実際には存在しないもの(するのかもしれないが)を作り出すこともできますよね?例えば宇宙の果ての向こう側とか、隣り合う別の次元のこととか・・・。つまり、理論上だけで語られ実験のしようがないものは現実的には抽象的対象に対する物理的情報なんですよね。また、幽霊話なんかは抽象的対象に対する抽象的情報の場合が多いですよね。なので、私の見解としては、それ以外の情報も沢山あると言う結論です。ただ、私は哲学者でも物理学者でもありませんので、あくまでも私がこの質問について考える限りこのような結果になるということですので、ochibuさん自身はご自分の考え方で進まれれば良いと思いますよ。
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ふとデジャブという現象を想起しました。

 あるいは広く錯覚などは外界からの情報によって、その情報とは殆ど因果関係など脈略の無い”突拍子も無い”ものです。
 或いは、或る絵画を見ていると例えば反戦思想だとか
何かを抽象している場合などはそのようなイマジネーションを誘発するということが多々有ります。
 特に、芸術作品に暗号化して何かを風刺した絵画や音楽
など、意図的に隠蔽したメッセージは、同じ情報でもそれを理解できるか否かにかかっており、情報とは情報量のみに関わったものでは無い。 
 こんなことを考えました。
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こちらの考えすぎだったらごめんなさい。


ちょっと心配な質問です。元気を出してください!
「普通」の日常生活ではそのような問いは出ません。
もし、探求しすぎたり、原理的な問いに苦しんでおられるようであれば、それは正しくないです。ochibuさんのこれまで「普通」と思っていたものを大切にした方がいい。
その「普通」はとても偉大なものによって支えられています。日常が揺らぐと、精神的に辛いです。
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あいた、間違った…ちょっとミスリードしてしまったようです。

申し訳ありません。

物理的対象に対する物理的情報、と考えると、情報が常識とか概念を含めた場合、物理的対象だけではないと思います。
永遠とか不変という概念はたいていの人が解しますが、これらが物理的かと言うと首を傾げざるを得ません。ただ、理解されるので情報ではないか、とすることは出来ます。これは情報ではあるが、物理的ではないといえるのではないでしょうか。
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情報に対する定義などが分かりませんので主観的に解釈します。

哲学上で何か定義があって、それについてであればすいません。

情報自身は流動する性質を持たないので、物理的ではないとする理由のひとつになると考えます。物理的なものは恐らく、全て流転しうるからという仮定の上の話ですが。
情報は、例えば人の成長によって更新されると考えられるかもしれませんが、ある時点におけるある情報は不変ですから、流動しません。こう考えたら物理的ではないかなと…
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「全体の自然は物体と空虚である」 エピクロス



このフレーズ、一度使ってみたかったのですが、
やっと使えました、有難うございます(笑。

ところで、ベルクソンの考えからすれば
純粋知覚とされるものは「物理的」ですね。
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全て社会的な情報だと思います。

物理的な情報も社会的に意味を持たなければ人々に知られることはありません。いっぽう法律や政治制度に関する情報は、法や制度といった目に見えないものの情報ですが、社会的に意味があるので人々に知られることになります。法律は紙に書いてあるから物理的情報だ、と言えなくもないですが、例えば憲法に書いてある平和や民主主義の理念は物理的な対象ではありえません。
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私はデカルトに苦しんだことのある者です。


現在は街の法律家です。

たとえば、その人が感じるところの、その感情というものは、物理的情報以外のものではないでしょうか。たとえば誰々さんが悲しんでいるという情報を得たとき、それは物理的情報かもしれません。しかし、その誰々さんが自分の近しい人であるときなどは、ともに悲しむことがあるので、それはもはや物理的情報以外のものではないでしょうか。
目に見えるもの・物理的な情報以外の、目に見えない・精神的な何かを、私たちは感じることができます。
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 物理的情報 ∽ 事実だとすると、物理的情報はほとんどないと思います。


 人を介する情報は、意識や意図によって、善意であれ悪意であれ、無意識であれ、必ず変形するので、全て論理的情報ではないでしょうか。
 
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